【河出書房新社】
『ひとり日和』

青山七恵著 
第136回芥川賞受賞作 



 その家は、駅のホームの端と向かい合わせに建っている。駅は小さく、快速や特急は止まらない。たまに鈍行の電車が止まると、電車のなかの人と目が合ったりするが、電車はすぐに出発していなくなる。そしてその小さな平屋は、駅のすぐ近くにありながら、わざわざ大回りしなければたどり着くことができない。ホーム沿いに道はあるものの、垣根に囲まれて行き止まりになってしまっている。

 今回紹介する本書『ひとり日和』は、そんな平屋に引っ越すことになった三田知寿と、その家の持ち主である荻野吟子とのつかのまの共同生活を書いたものであるが、彼女たちの生活の場となる古い平屋と、そこから目に見える場所にある小さな駅、さらにはそこを通過していく電車との距離感やその位置関係は、この物語において多分に象徴的なものがある。

 知寿は二十歳の女性であるが、高校卒業後はアルバイトを転々とする生活であり、その社会的位置がこのうえなく曖昧な立場にある。そんな知寿が吟子の家に居候することになった経緯についても、明確な目的があるわけではなく、母親が仕事の関係で中国に行くことになったというきっかけと、東京で仕事を見つけたいというあまりにも漠然とした思いがあるだけだ。

 それまでずっとつづいていた母親とのふたり暮らしが、うまくいっていなかったわけではない。だが、自分をここまで育ててくれた母親に対して、そのこと自体を負債か何かのように感じてしまう知寿の性格が、今回の彼女の引越しという事実によく表われている。人間関係というのは、感情的なものによって大きく左右されることが多い。にもかかわらず、彼女はそれらをよりわかりやすい形で置き換えずにはいられない。自分と、自分以外の人たちとの関係をあいまいで感覚的な「好き嫌い」以外の何かで、論理的にくくってしまって安心したいという思いが、その背後にはある。

 恋人もなく、友達もなく、ずっと住める家もない。頼れるのは自分の心と体だけだが、これもいまいち信用ならない。それでも、なんとか一人で、どうにかしなくてはいけないのだろう。

 本書のなかで、知寿はよく「考えすぎだ」と言われる。吟子にも言われるし、恋人になった藤田にも似たような言葉を投げかけられる。彼は、知寿が吟子と暮らすようになってからできた恋人だが、彼女にはそれ以前にも陽平という別の恋人がいた。その事実だけをとらえていくと、上述の引用とは裏腹に、知寿はけっこうな頻度で恋をしているし、その相手となる男にもある程度は恵まれているように見える。にもかかわらず、本書からただよってくるのは、恋人同士でいるときの親近感、距離の近さではなく、むしろふたりのあいだに置かれた距離感であり、そこから生じる孤独感である。

 自分と、自分以外の人間との距離感――それが、本書のテーマと大きく絡んでいるのは間違いないし、だからこそ彼女たちの住む平屋と駅との位置関係が、物語の象徴として生きてくる。平屋を「静」とすれば、駅を通過する電車は「動」。そして平屋に流れ着いた知寿もまた、「静」という場所に身を置いている。だが、人間関係というのは、基本として変化し、動き続けるものだ。人は変わる。誰かが誰かと交わることで、自分にも相手にも変化をもたらす。それこそが人間関係の本質であるにもかかわらず、知寿がそれまでやってきたのは、自分と相手との関係を定義するということだ。恋人の男との関係を「恋人」だと定義すれば、安定はするかもしれないが、そこから何も発展しなくなる。動かなくなる。そういう意味で、知寿は「静」に属している。そしてそれは、動くこと、変わることへの恐怖から来ているとも言える。

 同じ平屋に住む、その家の持ち主である吟子もまた、基本は「静」だ。だが、それは七十一歳という年齢がもたらす意味での「静」であって、じつはそれだけの意味しか彼女には与えていない。じっさい、吟子は本書のなかで社交ダンスの教室に通っていたり、そこで知り合った老人と恋に落ちたりと、それなりにアグレッシブな生き方をしている。同じ「静」の場所にいながら、知寿と吟子の位置づけは正反対だ。この相反する要素ゆえに、ふたりの関係は微妙な位置を保ちながらも、お互いの気持ちを少しずつ揺さぶっていく。その感覚は、とてもひとつの言葉で表現しきれるものではないし、本書においてはおもに知寿の心の揺れが中心に書かれている。だがじっさいは、吟子にも多少なりとも影響しているはずなのだ。それを匂わせるような書かれ方が本書ではなされているし、だからこそ本書の文章構成とその表現の巧みさに舌を巻く。

 知寿にとって、吟子との関係は「母方の祖母の弟の奥さん」ということになる。だが、そんな微妙な親戚関係がふたりをどこまで強く結びつけるものかは、はなはだ疑問であるし、ふたりともそんな関係を重視してもいない。そこには距離を置きながらも、しかしやはり互いに影響され、あるいは影響を与えていくという人間関係の「動」がある。それは、あまりにも小さくささやかなものであるがゆえに、ともするとごと普通の日常に過ぎないようにさえ思えるのだが、そのささやかな変化をしっかり描くことができる作家は、それほど多くはない。そして著者は、それができる貴重なひとりでもある。

 吟子のような老齢であればともかく、まだ二十歳の知寿は、いつまでも「静」のままではいられない。いつかは隠れ家のような平屋から外に出て、駅に滑り込む電車に乗って移動しなければならないし、そうであるべきだ。本書のなかから聞こえてくる、本当に小さな前向きな雰囲気を、はたしてどれだけの読者が感じ取ることができるだろうか。(2011.02.13)


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