【中央公論新社】
『ぐっとくる題名』
−増補版−

ブルボン小林著 



 単行本として刊行された小説が文庫化するさいに、そのタイトルが変更になるケースがときどきある。たとえば、ヒキタクニオの『My name is TAKETOO』は、文庫版では『ペルフェクション』というタイトルになり、碧野圭の『ブックストア・ウォーズ』は『書店ガール』に変えられ、以降続編も後者のタイトルを踏襲する形となっている。前回紹介した木宮条太郎の『水族館ガール』は文庫で読んだ小説だが、単行本で刊行されたときのタイトルは『アクアリウムへようこそ』である。高村薫の『わが手に拳銃を』にいたっては、文庫化によってタイトルばかりか(『李歐』)主人公まで変わってしまい、もはや別作品といってもいい変更がなされているが、まあこれはこの作家にはよくある現象だ。

 こうしたタイトルの変更が作者の意思なのか、あるいは出版社側の意図なのかはわかりかねるところがあるが、一読者として思うのは、内容は同じであるにもかかわらず、タイトルが変更されることによって、そこから受ける印象がずいぶん変わってしまうということである。これは私にとって、ちょっとした問題だ。というのは、私がこのサイトにアップしている書評は、じつはその作品のストーリーや内容だけでなく、そこにつけられた「題名」にも大きく影響されている可能性があることを指摘するものだからである。

 本に限らず、この世にあるあらゆる創作物には、なんらかの題名が冠されている。今回紹介する本書『ぐっとくる題名』は、そんな創作物につけられたタイトルだけを見て、深い印象を残すことになったものを取りあげて分析する、という内容であるが、あくまで題名「だけ」の印象という点が重要である。逆に言えば、取りあげた作品がどんな内容であるかは、いっさいとは言わないが考慮の対象外となっている。そういう意味では、本書はより純粋に「ことば」を扱った作品ということになる。

 瀬尾まいこ氏の『図書館の神様』は、題名に嘘がある。読んでみると分かるが、小説の舞台は学校の図書室だ。――(中略)――だけど「図書室の神様」とはしなかった。「図書館の神様」の方が「ぐっとくる」から。嘘なのに、本当を凌ぐのだ。

 小説や実用書、映画、音楽、ゲームといった広範囲のジャンルから、著者が「ぐっとくる」と感じた題名について語る本書であるが、この「ぐっとくる」という表記はなかなかに味のあるチョイスだ。本書はもともとウェブサイトのコラムとして連載され、後に女性誌のコラムに移ったものを本としてまとめたものであるが、読んでみるとわかるが、基本的にくだけた口調で書かれており、ところどころで笑いを取るようなツッコミがされていたりと、ふざけた部分も多い。だが、それと同時に取りあげた題名について、著者なりの論理を展開し、なぜその題名が「ぐっとくる」のかを分析してもいて、しかもそれはなかなかに含蓄に富んだものでもあるのだ。

 上述の引用を見てもわかるように、私たちの記憶に残ったり、心に響いたりする題名というのは、かならずしも内容との整合性がとれているとは限らない。もちろん、メチャクチャなタイトルであればいいというわけではなく、ごく短い表記でその作品全体をうまく象徴していたり、その題名そのものが物語性を含んでいたりすることで、人々の印象に残るというパターンもあって、千差万別だ。もっと言えば、ある題名に対して受ける印象は人によって異なるという場合もあるだろう。この書評の枕で述べた、文庫化のさいの改題についても、前の方がいいという人もいれば、変更後のタイトルのほうがいいという人もいるに違いない。

 ただ、この変更にかんしてだけ言うなら、おそらく出版社側の意図が大きいと思われるふしがある。とくに『ブックストア・ウォーズ』と『アクアリウムにようこそ』については、いずれも後ろに「ガール」という単語をつけたタイトルに変わっているのだが、おそらくこれは、「○×ガール」という表記が今の時代をより象徴しており、そのほうが人の目に留まりやすい、さらには売れやすいと判断した結果であろうと推測されるからだ。こうした時代性というものについても、文庫版の本書では書き下ろしとして掲載されているので、もし購入するのであれば、文庫版をお勧めする。

 全体として何か明確な方向性があるわけではなく、基本は題名に対する雑談に近いものが本書にはあるのだが、その「なんでもあり」でお気楽な感じが、「ぐっとくる」というタイトルの表記には含まれている。よくよく考えてみれば、「ぐっとくる」というのはじつに曖昧な表現である。人によって何に「ぐっとくる」のかは異なるだろうし、そもそも「ぐっとくる」の「ぐっ」とはどんな感情なのか明確ではない。だがそれゆえに、このタイトル表記は広がりをもつ。いろいろな理由があるし、またいろいろな感情が湧き出てくるのだが、なにはともあれどこかに「ぐっ」と力のこもる瞬間が、ここに取りあげられた題名を見たときの著者にはあったのだろう。だが、カタカナの「グッとくる」ではシャープすぎるし、「ぐっと来る」では感情の方向性を固定してしまう。まさに「ぐっとくる」がしっくりくる本書なのだ。

 著者は長嶋有名義で『猛スピードで母は』『ジャージの二人』といった、これまた印象深い題名の小説を書く方でもあるが、本書のこだわりのひとつとして、「タイトル」ではなく「題名」という表記を用いているという点がある。私はどちらかといえば「タイトル」という言い方を好んで使うほうなのだが、これを本書のタイトルにあてはめると『ぐっとくるタイトル』となる。『ぐっとくる題名』と並べてみて、はたしてどちらのほうがいいのか考えながら本書を読んでみるのも一興だろう。

 ちなみに、私が最近個人的に「ぐっと」きた題名は、これは漫画になってしまうが、施川ユウキの『バーナード嬢曰く。』だ。これは本書に挙げられたパターンのうち、「パロディーの題名」と「古めかしい言い方で」を組み合わせたもの。しかも「バーナード嬢」という表記は、あきらかに劇作家のバーナード・ショーからとってきたものなのに、どうも彼女は「ショー」を「ジョー」と勘違いしたフシがある。そんなどこか抜けている彼女が、いかにも重々しい「曰く」なんて言葉で語ることが何なのか――もしご興味があれば、本書とあわせてご一読あれ。(2014.11.17)

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