【角川書店】
『生首に聞いてみろ』

法月綸太郎著 

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 密室殺人や首なし死体といった要素は、ミステリの分野においてはもはや定型ともいうべきありふれた謎の形ではあるが、いざそうした事件が現実に起こったとしたら、それは間違いなくセンセーショナルなものとして世間の耳目を集めることになるに違いない。ただの殺人事件なら、毎日のようにどこかで起きている。けっして人の命を軽く見ているわけではないが、それがまぎれもない事実だ。だが、あきらかに他殺なのにその死体の発見された部屋に外から侵入する手段が閉ざされている密室殺人や、死体の首をわざわざ切断し、どこかに持ち去ってしまった結果として残される首なし死体には、たんなる殺人以上の意図性が垣間見られる。そしてその意図性は、しばしば殺人犯による完全殺人という方向性を与えられることになる。

 言うまでもなく、人間社会において殺人という行為は、大きなリスクをともなうものである。もし仮に、殺人を実行しようとする者がいたとして、最良なのはその痕跡をいっさい残さないこと、つまり被害者の遺体と、彼がそこにいたるまでの足どりを完全消滅させることに尽きる。だが、現実問題としてそれを貫徹するのは不可能だ。だからこそ密室トリックや首なし死体の出番となる。死体を消滅させることはできないが、その一部を隠すことはできる。被害者の痕跡は消し去れないが、その道筋との接点を意図的にずらし、断ち切るよう細工することはできる。そんなふうに考えたとき、殺人現場に残された不可解な状況というのは、完全犯罪を目指すものというよりは、むしろ不完全な人間ゆえの切ないあがきというべきものであって、けっして犯人の探偵や警察への挑戦状などという、大それたものではない、ということになる。

 本書『生首に聞いてみろ』は、著者と同姓同名の探偵が登場するという、ちょっと珍しいミステリーシリーズのひとつで、作品のなかの法月綸太郎も作家業を営んではいるが、同時に警視庁勤務の父親をもつ探偵として、それなりの知名度をもっているという設定だ。そして彼が探偵としての依頼を受けた時点では、まだ殺人事件は起こっていない。彼の知り合いである翻訳家の兄で、著名な彫刻家である川島伊作が急死するが、彼は表向きは胃ガンから奇跡的な回復を遂げたとされていたものの、じっさいは手の施しようがなかったということであり、彼の死そのものについて事件性は皆無である。むしろ事件性は、川島伊作の遺作となってしまった彫刻のほうにあった。実の娘江知佳をモデルにした石膏直取り彫刻の新作は、彼の死の直前には完成していたのだが、その首から上が切り取られ、持ち去られてしまっていたのだ……。

 いったい誰が、何の目的で彫刻の頭部だけを持ち去ったのか、というのが、今回の一連の事件におけるそもそもの出発点である。そして本書を読み終えて見えてくるのは、上述の出発点こそが全ての謎を解明するための立脚点でもある、ということだ。本書のミステリーとしての巧みさは、この出発点にして立脚点でもある重要な要素から、読者の視線を外させ、別の関心事へと興味を誘導していくその手法と構成にこそあると言うことができる。

 そもそも綸太郎が探偵として今回の事件にかかわることになったのも、石膏像の首切断が、そのモデルとなった江知佳への殺人予告をほのめかしているのではないか、という危機感が前提にあってのことである。そして彼の探偵としての洞察力は、その犯行の張本人が江知佳本人であることを見抜くものの、まるでその洞察から目を逸らさせようとするかのように、今回の彫刻にはそもそも頭部がなかったなどという専門家の意見が出てきたり、過去に江知佳にしつこく絡んできたというカメラマン堂本峻の存在が浮上したり、はては江知佳の母親であり、今は別の男と再婚しているという律子の不可解な過去――十六年前に起こった、彼女の妹である結子の自殺にまつわるもの――なども掘り起こされることになったりと、読者にとっては興味深い事実が次々と出てくることになる。

 そしてその最たるイベントが、江知佳の殺害である。それも、彫刻と同じように首を切断され、その頭部だけが発見されるという、インパクトのある形をともなって。

 さて、本書を純粋にミステリーとしてとらえたときに、こうした構成の巧みさが非常にうまく機能しており、しかもすべての謎が明かされていく際には、事前に示されたさまざまな伏線がきちんとした形でひとつの事件のなかに収束していく。物語のなかで巧みに逸らされていた出発点にして立脚点でもある、石膏像の首切断にすべてがつなかっていくというその解決編は、カタルシスを覚えるほどの美しさであり、ミステリー作家としては本望と言っていい出来である。だがその一方で、本作中に登場する探偵としての法月綸太郎は、江知佳の安全をはかるための真相究明だったにもかかわらず、彼女を死なせてしまったことになる。もちろん、刑事事件として本格的な捜査が開始されなければ、真相を明らかにするパーツのすべてを集めることはできなかったのかもしれないが、生前の江知佳と会い、彼女が何かの秘密をかかえていることに気づいてもいた綸太郎にとって、江知佳の死は痛恨の過失であり、本書のなかで何度もそのことを悔やむような発言もしている。

 探偵というのは、えてして事件とは直接関係のない第三者として、事件の真相を物語る者である。人間の死という、その感情を大きく揺さぶる出来事に対して、あくまで論理の力で対抗し、その死に意味を与える者――だがそれは、彼らの活躍には常に人の死がともなわなければならないというジレンマを生み出すことにもなる。探偵役となる登場人物には、良くも悪くも奇人変人のたぐいが多いというのも、ごく常識的な感覚の持ち主ではとても務まらないがゆえのものであるが、そうした探偵像と比べると、本書の法月綸太郎はひどく人間臭い部分がある。その人間臭さこそが、本書がミステリーでありながらそのリアリティを支える柱のひとつにもなっているのだが、もしその人間臭さの源が、作家としての法月綸太郎から来ているのだとするなら、作中に著者と同姓同名の探偵を登場させるという本シリーズの意図はうまく機能していると言える。

 繰り返しになるが、石膏直取り彫刻の頭部を誰が、何の目的で首から切断して持ち去ったのか、という点こそが本書の謎を解く鍵となる。モデルの体にギプス用の包帯をじかに貼り付けて型をとるというキャスティングの技巧と、それがもつある種の制約もふくめ、ひとりの彫刻家がその最後の作品として作成した彫刻像の真の狙いと、その真相をひとりの人間としての探偵が解明していくさまを、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.03.18)

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