【幻冬舎】
『黄金の王 白銀の王』

沢村凛著 



 以前紹介した『フリーダム・ライターズ』や、ヤスミナ・カドラの『テロル』といった作品のなかで、私は「負の連鎖《という言葉を使った。誰かが誰かを傷つける。傷つけられた相手が傷つけた者に対して報復をする。報復されたほうはさらに怒りや憎しみをいだき、もっと手ひどく相手を傷つける、ということを際限なくつづけていくうちに、そもそもの原因から離れて怒りや憎しみの感情そのものが争いの原動力となっていく、という負の連鎖は、第三者の立場から見れば何ひとつ良いことのない、非合理きわまりない行為でしかないのだが、単純にそうした理屈がまかりとおるのであれば、世界各地でこれほどまでに多くの紛争が今もなお未解決のままであることの説明がつかない。人の感情というのは、ある意味で論理とはもっともかけ離れたものである。そしてそうであるがゆえに、人の感情は御しがたく、激しければ激しいほど論理とは無関係にそのエネルギーを爆発させかねないものでもある。

 誰だって傷つけられれば痛みを覚え、踏みつけにされれば悔しいという感情をもつ。悪いことをした人間がいるなら、その罪は問われるべきでもある。だが、それが個人の問題から国や宗派、民族といった集団の問題へと発展していくと、なぜややこしいことになるのだろうか。絶対的な価値観などなくなって、個人が個人としてそれぞれに価値を見出していくという相対主義の時代において、人が自分の属する国や宗教や、種族といったもので物事を推し量ろうとするのは、ある意味で人としての弱さである。国が違うから、民族が違うから、というくくりが、いかにそこにいるはずの個人というものを押しつぶす考えであるかは、第二次世界大戦下のナチスをはじめとして、これまでの人間の歴史がいやというほど証明してきたことだ。

 感情のままに動くこと、ある集団を悪人にして、彼らに憎しみや怒りをぶつけることは容易い。だが、それでは負の連鎖をさらに進めていくことにしかならない。本書『黄金の王 白銀の王』は、そうした負の連鎖を食い止めて、お互いが争うことなく生きていける世の中を造りだしていくために、もっとも困難であろう道を歩む決意をした、ふたりの頭領の物語である。

 りっぱに死んだとほめられることを求めたのなら、それは私利にとらわれたからだ。もう一度言う。恨みを晴らすことは、務めを果たすことの前では小事、そして、務めを果たしつづけるのは、華々しく死ぬことよりも、ずっとずっと困難なのだ。意味をなさない死は、その困難から逃げることにほかならない。

 長きの年月にわたって、敵として血で血を洗うような争いをつづけてきたふたつの勢力があった。鳳穐(ほうしゅう)と旺廈(おうか)――島国である翠の、もともとは双子の王子であったはずのふたりの玉座をめぐる争いは、今ではどちらの語る史実が真実なのかもわからないままに、それぞれの子孫を称する末裔たちが、隙をついては蜂起して都を奪い、追われたほうは野に逃れ、時期を待ってふたたび蜂起して玉座を奪い返すということを延々と繰り返してきた。現在の翠王である穭(ひづち)は鳳穐の頭領であり、旺廈の手にあった玉座を奪い取った先王の息子でもあったが、そのさいに主だった旺廈の一族のことごとくが死を遂げたなか、弱冠七歳だった王子の薫衣(くのえ)だけは、迪師の命乞いによって生きながらえていた。だが、それは人里はなれた丘の上で、鳳穐の厳しい監視のうえで得られる幽閉同然の生だった。

 それから八年後、厳しい「旺廈狩り《で今では旺廈のただひとりの頭領としての資格をもつ者となった薫衣は、都へと連れ戻された。完全に人払いのされた地下墓所で、鳳穐の頭領となった穭とふたりきりで対峙するという状況に戸惑う薫衣だったが、穭の口から切り出された計画は、さらに彼を仰天させるものだった。絶え間ない争いで国は疲弊している。そのうえ、東の大陸から異国の軍が、海を渡って迫ろうとしている。このままではどちらかが滅ぶ前に国が滅ぶ。滅ぼされないためには、一族同士の争いを止め、国を建て直していくほかにない――

 鳳穐と旺廈の長年の争いは、この書評の冒頭で述べた「負の連鎖《の典型だ。憎しみが憎しみを生み、暴力がさらなる暴力を生むという状況は、それゆえにお互いの相手への憎悪が、ひとつの習性と化すほど根深いものであり、川が高いところから低いところへと流れるのと同じように自然なこととして、その血肉に刻み込まれてしまっている。穭の提案は、いわばその流れを変えるというものである。ここで注目してほしいのは、流れを止める、断ち切るということではなく、流れを「変える《と語っているという点だ。もはや激流に等しい鳳穐と旺廈の争いという流れは、いかに頭領の力量があっても、強引に止めることができるほど生易しいものではない。そんなことをすれば、あっというまに流れにのみ込まれてしまうのがオチだ。そうではなく、表面上は流れに逆らわないようにしながら、それでいていつのまにか流れが変わっている、という方向での変化を目指す、ということ――そのために、仇敵だったそれぞれの頭領は、翠という国の存亡と未来という共通点をもって、それこそが王として本来「なすべきこと《であるという見解の一致を得ることになる。

 本書は架空の世界を舞台としたファンタジーであり、また三十年というけっして短くはない歴史を描く歴史小説としての要素ももつものであるが、本書のテーマを考えればけっして華々しい物語でないことは、容易に想像がつく。異国の軍船との攻防で、多少戦記らしい側面を見せるものの、それ以外の大半は、たったふたりだけで交わした盟約のもと、それぞれがそれこそ綱渡りのような、地道で多大な忍耐を必要とする日々に費やされていくし、旺廈の反乱が起こっても、武力で押さえつけるのではなく、あくまで説得という方法での解決を模索していく。だが、にもかかわらず本書が物語としての面白さを感じさせるのは、ほとんど上可能だと思われるような壮大な目的のために、現状を耐えに耐え抜くというふたりの心の動きが、このうえなくリアルで、スリリングであるからに他ならない。

 穭の妹である稲積(にお)を妻に迎え、表面上は旺廈の吊を捨てて穭と義兄弟となった薫衣は、そのことで旺廈の側からは裏切り者として謗られ、鳳穐の側からは腰ぬけとして嘲笑される立場に立たされる。それは旺廈の頭領としては筆舌に尽しがたい屈辱の日々に違いないのだが、まだ若い薫衣がそのいばらの道をどのように進んでいくのか、読者は手に汗握る思いで読み進めていくことになる。

 また、穭のほうもけっして安楽というわけではない。彼は翠の王ではあるが、薫衣と同じく歳若く、また先の争いにおいて鳳穐の側についた氏族たちへの恩や約束ゆえに、さまざまな場面で彼らに譲歩したり、ことを曲げなければならないという問題をかかえている。そして当然のことながら、彼らは薫衣が城内にいるという事実にこのうえない上満をもっている。穭は王としての施政に務めながらも、常に何十年という未来を見据えたうえで、少しずつ、慎重に自分につけられた枷を外していくための一手を打ちつづけていかなければならない。ときには、力をつけすぎた家臣を闇から闇へと葬る、という手段をとることも辞さない穭の心労もまた、同じようないばらの道だと言える。

 そしてもちろん、穭と薫衣とのあいだに横たわる、お互いへの上信感、自分は騙されているのではないか、間違っているのではないかという疑心暗鬼というものがある。どちらも「なすべきこと《をしていると思いながらも、なかなかそのことに確信がもてずにいる。長年の宿敵であるのだから、その感情はあまりにも当然であり、薫衣はもっと良い方法があるのではないかといつも考えているし、穭は穭で、薫衣のたぐいまれなる戦いの資質や、人を惹きつけてやまないその人柄に劣等感を覚えずにはいられない。そういう意味で、ふたりにとっての最大の敵は、鳳穐や旺廈といった一族のつながりに属する自分自身である。真の施政者として、国のために自分のなかにある怨み辛みを私利として退けるということ――その姿は、けっして派手でも劇的でもないが、にもかかわらず、いや、だからこそ尊い。

 はたして、ふたつの種族が、憎しみや怒りで血塗られたそれまでの歴史を乗り越えて、心から手を携えて進んでいけるような日が、本当に訪れるのか。その前途はかぎりなく多難で、また長い長い時間を必要とすることではあるが、それがけっして上可能なことではない、という気持ちにさせてくれる本書は、ある意味もっとも物語としての「なすべきこと《をなしている作品であると言えるのかもしれない。(2008.05.23)

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