【集英社】
『金のゆりかご』

北川歩実著 



「あなたは天才になりたいと思いますか?」

 もちろん、人より勉強ができるようになる、というのとは違う。学校でいい成績がとれるかどうかは、たんに記憶力と要領の問題だ。そうではなく、常人とは違った論理思考能力を持ち、五次元、六次元といった世界を理解し、人の心や世の中の動きを簡単に予測してしまう、そういう意味での天才だ。
 でもあるいは、そういう天才はこんなことを思うかもしれない。「自分は他の人間とは違う。選ばれた人間だ。だから何をしても許される。たとえ、他の人間を殺したとしても。彼らと私とでは、その価値が違うのだ」と。

 本書『金のゆりかご』には、GCS幼児教育センターという、早期幼児教育をおこなう施設が登場する。早期幼児教育研究の第一人者で、一時期天才少年少女を生み出したことで有名になった近松吾郎の理論を実践するセンターなのだが、そのセンターから、主人公の野上雄貴の元に、幹部として迎えたい、という誘いが来る。かつて近松の研究で生まれた「天才少年Y」として世間の注目を浴びつつ、けっきょく天才にはなれずごく平凡な生活をおくっていた野上は、最初その誘いを断っていたのだが、フリーライターの河西からセンターの「九年前の事件」――センターの早期幼児教育を受けていた四人の子供が次々と精神的異変をきたしたにもかかわらず、その後は何事もなかったように生活している――という話や、かつての恋人漆山梨佳とその子供が、近松の研究となんらかの関係があるかもしれない、という話を聞くにつれ、野上の胸のうちに徐々にGCSに対する疑念がわいてくる。
 しかし、そうこうしているうちに、河西が行方不明になり、梨佳は野上に手紙を残して失踪してしまう。

 読んでいくうちに次々と明らかにされる新事実、そしてニ転三転どころか五転六転しつつ、もうないだろうと思ったところにさらに大きな展開を用意する本書の構成力は秀逸だ。私はあまりミステリーとは感じなかったが、純粋にミステリーとして読んでも充分楽しめる作品だと言える。だが、それ以上に、この物語のテーマは相当に重い。読者は明らかにされる謎を楽しみながらも、じわりじわりとのしかかってくる本書のテーマの重みを感じずにはいられない。
 天才にしか興味を示さない近松、天才であることでしかアイデンティティーを確立できない野上、金のために自分の子を研究の実験台にする親、そしてすべてを高みから見下ろすかのようにふるまう天才児たち……。たとえ事件の真相がすべて明らかにされても、登場人物たちの抱え込んだそれぞれの想いの重さは、あるいはさわやなか読後感を与える、と言うわけにはいかないかもしれない。

 同じ人間に優劣はない。特別な人間などいない。命の価値はみんな同じ――それは事実だろう。だが、実際の世の中ではどうだろう。学歴や就職先、金の有無、外見、そして天才と凡人――同じ人間でありながら、人は意識無意識を問わず、確かに人に優劣をつけて生きている。それもまた事実だ。だが、優れているとみなされた者は劣ったとみなされた者を犠牲にしても生きる権利があるのか、後者は前者のために苦しむことを義務としなければならないのか。おそらく、天才児たちはイエスと答えるのだろう。そしてそうであるならば、天才というものはもはや、人間とは違った種であるのかもしれない。

 本書『金のゆりかご』を読み終えたのち、私はもう一度問う。「あなたは天才になりたいと思いますか?」と。(1999.01.17)

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