【早川書房】
『ひつじ探偵団』

レオニー・スヴァン著/小津薫訳 



 「万物の霊長」だの「食物連鎖の頂点」だのと自らを位置づけ、この世界を我が物顔で闊歩している私たち人類ではあるが、同じ人間どうしで戦争をして殺しあったり、あるいは自ら命を絶ってしまったりするのをいつまで経っても止められないことを考えると、「万物の霊長」であることと、生物という大きな集合の一員としての賢さとは、かならずしも分かちがたい関連性をもっているわけではなさそうだと言わなければなるまい。もちろん、その当事者たちにしてみれば、戦争をするのも自殺をするのもそれ相応の理由があり、それは彼らとっては深刻な問題なのかもしれないし、同じ人間である私たちもまた、ある程度そうした思考を理解することもできるのだが、そうした事情をまったく知らない――たとえば、地球以外の知的生命体が私たちのことを観察したときに、そんな私たち人間の行動がとてつもなく奇異で、理解しがたいもののように思われたとしても、もしかしたらさほど不思議なことではないのかもしれない。

 たとえば、私たちは言葉を使う。言葉は私たちがこれまで知らなかったもの、理解できなかった事柄に対して、名前を与え、自分たちに属するものとして取り込んでいくのに力を発揮する。私たちが自我をもっているのも、死を恐れるのも、「自我」や「死」の存在を言葉によって意識するようになったからに他ならない。それゆえに、言葉をもたない動植物たちが、生や死の概念について知らず、また自分を他の誰でもない、まぎれもない自分自身だと認識するすべももたない、と考えるのは至極妥当なことであるが、そうしたものの考えは、私たち人間の価値観を無自覚に他の動植物たちに押しつけているという意味で、やはり傲慢なものだとも言える。あるいは、私たちの周囲にいる生き物たちは、私たちには想像もできないような思考方法を有していて、やはり自分たちこそが中心にいるかのようなものの考え方をしているのかもしれないのだ。そして、私たちと同じように、人間たちのことを、理解しがたい愚かな生き物だとみなしているのかもしれない。

「人間たちを理解するのは、簡単じゃないわね」

 今回紹介する本書『ひつじ探偵団』の原題は「glennkill」となっており、これは本書の舞台となるアイルランドにある小さな村の名前を指す単語であるが、この「ひつじ探偵団」という日本語訳は、ある意味非常にうまい意訳であると同時に、別の意味で読者に変な誤解を与えかねないタイトルでもあると言わなければならない。それというのも、この日本語訳を目にしたときにまず考えるのは、羊たちが人間に代わって殺人事件を鮮やかに解決する、というストーリーだからである。基本的に、その認識は間違ってはない。だが、その事実にあまりにも固執しすぎると、もっと重要な本書の本質を見落とすことにもなりかねないのだ。

 この物語のなかで中心となるのは、もちろん羊たちである。グレンキルの牧草地に放牧されている数十頭の羊たち――彼らはこれまで、少しばかり偏屈な、しかし羊飼いとしてはこのうえなく優秀なジョージ・グレンの庇護のもと、何の問題もなく日々過ごしてきた。物語は、そのジョージの死によって幕を開ける。農耕用の鋤で体を貫かれて絶命したジョージの死体は、彼が何者かに殺されたことを示している。いったい誰が、何の目的で? しかしながら、こんなふうに考えるのは人間独自のものであって、他の動物たちにとって、基本的にはどんな殺人事件も別世界のことでしかない。たしかに、ジョージの羊たちのなかには、グレンキル一賢い羊、もしかしたら世界一頭がいいかもしれない羊であるミス・メイプルがいるし、彼女が殺人事件についていろいろと推理を展開していったとしても、それはそれで問題になるわけではない。だが、彼女はあくまで賢い「羊」ではあっても、「探偵」ではない。彼女を含む羊たちがはからずも探偵役を演じることになったのは、自分たちの主の死によって、羊たちの日常が日常でなくなったから、というのが実際のところなのだ。

 好奇心旺盛で、今回の殺人事件においてもっとも「探偵」としての素養を発揮するミス・メイプルをはじめ、四本の角をもつ武闘派のオテロ、食いしん坊だが一度憶えたことはけっして忘れないモップル、抜群の嗅覚をもつモード、哲学的なゾラなど、個性あふれる羊たちが、それぞれの得意分野を駆使してジョージの死の真相を求めていくという本書は、彼らが羊であるという特性をいかんなく発揮して、独自に情報を収集していくという点が大きな特長だ。その嗅覚で人間の内面の気持ちを正確に把握し、また羊であるという事実ゆえに、人間たちはうっかり彼らの前で重要なことを漏らしてしまう。こうした、羊だからこそできる調査に注目するというのは、ミステリーにおけるひとつの発想の転換だと言える。だが同時に、彼らが羊であるという、まさにその理由によって、人間にとってはごくごく基本的な事柄が彼らには理解できなかったりもする。それゆえに、「ひつじ探偵団」たちの探偵としての能力は、じつのところけっして高いものではない。じっさいに、羊たちは死体についていた蹄の跡や、犯行現場に落ちていたネックレスなど、いくつもの情報や物品を集めてはくるが、今回の事件が起きた背景や、村人たちが隠している秘密といった、事件の真相にかかわりそうな情報については、けっきょくのところメルモスという名の、群れのなかでは伝説となっているはぐれ羊の登場を待たなければならないし、物語の展開のなかにも、多分にご都合主義的な要素が多い、というのも否めないところがある。

 そして、これはネタばらしになるのであまり多くは語らないが、最終的にメイプルが見出した事件の推理、そしてジョージの死の真相の部分については、羊たちとしてはよくやったほうではあるものの、ミステリーとしてはおよそお粗末なもののように思われるかもしれない。だが、にもかかわらず私が本書を高く評価するのは、まさに彼らが羊であるという特性、そこから展開していった推理の一端が、結果としてホワイダニットという点では、このうえなくその真実に迫っていたことに尽きる。

 物語のなかで、羊たちは何度かジョージが本を朗読してくれたことを思い出している。この物語朗読という要素は、メイプルが事件解決にことのほか意欲を見せるための伏線であったり、あるいは事件の真相を明かすための小道具となっていたりするものであるが、じっさいのところ、この要素のもっとも重要な部分は、グレンキルの羊たちが、彼ら独自の世界を構築させるためのものだと言える。羊たちの世界において、羊たちは群れをなす生き物であり、群れから離れて生きていくことはできない――これが、彼らの世界における基本事項だ。それは人間の基本事項とは異なるものであり、そうした世界のなかで展開された推理が、人間世界のなかで起きた殺人事件の真相にたどりつかないというのは、言わばあたり前のことである。だが、羊たちがその基本事項をもとにして、他ならぬジョージ・グレンの生活をあてはめたとき、彼らははじめてジョージが「群れから離れた羊」であることを理解する。そしてそのとき、人間の世界と羊の世界の狭間にいたジョージの、きわめて人間味のある感情がよみがえってくることになるのだ。

 殺人事件の真犯人を言い当て、仕掛けられたトリックを鮮やかに見破ってみせる探偵、という意味では、力量不足の「ひつじ探偵団」――だが、探偵のそもそもの役割が、殺された人間にまぎれもない人間性を回復させるものであるとするなら、グレンキルの羊たちはまぎれもなくその役割をはたすことに成功した。個性溢れる羊たちの、見事な羊っぷりをぜひとも楽しんでもらいたい。(2007.11.05)

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