【東京創元社】
『夢見る黄金地球儀』

海堂尊著 



 たとえば、私が今住んでいる町でもよく見かける放置自転車。とくに駅前の繁華街においてはこの放置自転車が顕著で、歩道の半分が駐輪された自転車で埋め尽くされている場所もあり、歩きにくいことこの上ない。本来、駐輪してはいけない場所であるにもかかわらず、みんなそんなことをとくに気にするふうでもなく、「他の人も駐めているから」といった感じで次々に駐輪していく。もちろん、歩くのに邪魔だというのもあるが、ひどいところでは、視覚障害者の誘導のために設置された黄色いブロックの上にまで自転車が駐輪されていて、これでは何のための誘導ブロックなのかわからなくなってしまっているところもある。

 自転車を手軽に駐輪したい、という気持ちは私にもある。そもそも、駅前にある駐輪所に自転車を駐めようとしたところ、そこが有料であることを知って愕然としたし、自転車くらいタダで駐めさせろよ、と憤りもした。だがいっぽうで、無造作に歩道を埋め尽くす放置自転車を見ていると、どうにもやり場のない苛立ちを感じずにはいられない、というのも事実だ。じつのところ、こうした日常のちょっとした迷惑行為が、生きていくうえでもっともやっかいなものではないか、と最近になってふと思うようになっている。ひとりひとりが自転車を駐めること自体、たいしたことではない。だが、それが積もり積もって結果的にマイノリティーの歩行の妨害となってしまっている状況をまのあたりにしたときに、はたして誰を責めるべきなのかわからなくなってしまうのだ。悪いのは自転車を駐めた人たちか、それとも自転車をタダで駐められる場所を用意しない市役所なのか――容易に結果を出せないがゆえに、ときどき放置自転車をブルドーザーか何かでまとめてぺしゃんこにしてやりたい、という衝動に駆られることさえある。だが、現実において私にできるのは、せいぜい「天誅」と称して放置自転車のカゴにゴミを放り込むくらいのことでしかない。

 駐めてある自転車のカゴにゴミを放り込むなどというのは、しょせんは自己満足でしかないし、された側の迷惑を考えればそもそも悪いことでもある。だが、そんなしょうもないようなことであっても、いろいろと理由をつけて正当化し、やってみたくなるのが人間というものだ。本書『夢見る黄金地球儀』を読んでいてまず心に浮かんだのは、駅前を埋め尽くす放置自転車のイメージだった。もっとも、本書の語り手である平沼平介が成し遂げようとしているのは、桜宮市がかつての「ふるさと創生一億円」で作った「黄金地球儀」の強奪なのだが。

「厳密に考えれば違法行為だ。だけどやることは、あいつら役人と大して違わない。ヤツらは自分たちのやっていることが都合悪くなるとルールを変える。法律を作り直し、自分たちだけは甘い汁を吸い続けようとする。それだけの違いだ」

 そもそも地方都市の町工場、それも父親の豪介が社長、妻の君子が経理担当という典型的な家族経営の会社ではたらいている、ごく普通の一般市民にすぎない平介が、どのような過程を経てバブル景気の遺産とも言うべき桜宮市の「黄金地球儀」―― 一億円分の金塊でこしらえ、今は桜宮水族館別館・深海館にむきだしのまま安置されているモニュメントとしての地球儀を強奪することになったのか、という一点をとってみても、目に見えない部分でじつにさまざまな伏線やそれぞれの登場人物の思惑が入り混じっており、その計画の顛末もふくめ、たたみかけるように真相が明らかになっていくラストが爽快な本書であるが、こと語り手である平介に的を絞ることで、この作品の本質が見えてくるところがある。

 物語における平介の立ち位置は、典型的な巻き込まれ型キャラクターである。もともと「黄金地球儀」の強奪計画をもちこんできたのは、大学時代からの腐れ縁である「ガラスのジョー」こと久光穣治という男だが、何か綿密な計画や画期的アイディアがあるのかといえばそんなものはまったくなく、要するに口八丁手八丁で平介をその気にさせ、苦労は相手に押しつけておいしい部分はしっかりいただこうという魂胆が見え見え。常識で考えれば、そんなずさん過ぎる計画など端から問題にさえしないところであるが、あらたな有人潜水艇の開発に意欲を燃やす豪介の資金問題や、まるで計ったかのように舞い込んできた、桜宮市役所管財課からの「黄金地球儀」盗難防止システムの開発依頼、いつのまにか豪介の町工場が契約させられていた警備の約束のことや、さらに盗難に遭ったさいの賠償責任の件など、平介の意向など何ら斟酌されないまま、気がつくと「黄金地球儀」を強奪するしかないような状況に追い込まれてしまっているのだ。

 管財課課長である小西から、「黄金地球儀」のある深海館の警備が事実上ザルであることを聞かされた平介は、どうせいずれ他の誰かに盗まれて賠償させられるのであれば、いっそのこと自分で「黄金地球儀」を盗み出し、外側だけ残して中身をいただくしかない、というなかばやけっぱちのような思いに駆られて強奪を決意するわけだが、彼が状況上やむなく犯罪行為に加担しているのかといえば、むしろかなり乗り気になっているところがある。役人側のえげつないやり口、自己保身と責任のなすりつけあいという醜さもあいまって、犯罪行為でありながら間違いなく犯罪を計画する側を応援したくなる、という意味では、真保裕一の『奪取』を髣髴とさせるものがあるのだが、それ以上に重要なのは、平介の心の内でくすぶっている思いのほうだと言える。

 平介は今でこそ稼業である町工場の営業だが、もともとは物理学者を目指していたし、そのための大学にも通っていた。そしてそこで知り合った穣治と「ジハード、ダイハード」の合言葉のもと、馬鹿馬鹿しいくらいまっすぐな軽犯罪を繰り返してきた。それは間違いなく、彼にとっての輝ける青春であり、またそれゆえに今の平凡な生活との対比も際立ってくる。そしてこの対比という意味では、平介とそれ以外の登場人物についても同じようなことが言える。技術者として世界に誇れるような才能がありながら、まるでその才能を無駄遣いするかのように、どうでもいいような発明ばかりしている父親の豪介、どんなときも軽薄で、図太い神経で平介を茶化してばかりいる穣治、あらゆるトラブル対応を請け負う「S4エージェンシー」の面々や、平介への片想いがときに暴走してしまう怪力女の殿村アイなど、いずれもひとクセもふたクセもあるユニークなキャラクターばかりであり、そういう意味で平介はごく平凡な性格しかもちあわせていない。だが、周囲が変人ばかりであるがゆえに、ひとりだけ異質である平介の存在は逆に浮き上がったものとなるのも事実である。

 ずっと昔に才能がないとあきらめたはずの夢――平介にとって、今回の「黄金地球儀」強奪計画は、そのあきらめた夢をもう一度揺り起こすための、一種の起爆剤として機能したところがある。ストーリー全体を見渡すと、まるで「黄金地球儀」強奪計画ありきで各種設定を行なったのではないか、と思えるほど都合の良い部分があるのは事実だが、なにより誰もが転んでもタダでは起きない図太さで、この世知辛い世のなかを生き抜いていこうとする様子が清々しい作品であることは間違いない。今回の犯罪計画が最終的にどのような形で決着することになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2010.04.17)

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