【講談社】
『ガール』

奥田英朗著 



 この世にはオスとメス、男と女の二種類の性しか存在せず、このうち子どもを産むという「再生産」が可能なのは女のほうであり、男はそうではない。純粋に生物学的な見地で物事をとらえたとき、生物の根本的な本質は「種の保存」であり、そういう点で本当に価値があるのは女のほうだと言うことができる。果物栽培における受粉作業を見ても、花粉を生産するオスは、じっさいに実を生らすメスと比べて、それほど数が必要なわけではない。言い換えれば、この世の大半の男性は、生物学的にその存在価値をもたない、ということになる。

 そんな無価値な男のひとりである私にとって、女という存在は多くの謎に包まれた、良くも悪くもわけのわからない生命体という認識があるのだが、その理由はけっきょくのところ、この人間社会が基本的に男性中心の社会であり、父権制を基準として組み上げられたものだから、というところに落ち着くことになる。男性が価値を置くものは、たとえばお金であったり権力であったり、あるいは情報や文化であったりするのだが、存在価値のない「男」たちが滑稽にも追い求めるこれらのものは、じつのところ「種の保存」という行為の前にはなんら価値をもっていない。言ってみればただの幻想だ。そして女たちは、本質的な部分でその事実を知っている。

 本当に価値があるものの権化でありながら、その価値とは異なるルールのなかで生きている世のなかの女たち――本書『ガール』のなかに登場する女性たちの姿は、そんな人間社会のかかかえるラディカルな命題を映し出している。

 もうガールじゃない、か。由紀子は小さくため息をついた。わかっている。三十二といえば、若さが売り物にできる歳ではない。男はともかく、女はそうだ。

(『ガール』より)

 本書は五つの短編を収めた作品集であるが、その表題作として『ガール』をもってきたのは意義深い。というのも、上述の引用でもわかるように、本書に登場する女性たちはいずれも三十代であり、少なくとも「ガール」と呼べるような年代にはないからだ。とくに表題作のヒロインである滝川由紀子は、もって生まれた美貌を武器に、これまでいろいろと得をしてきたという自覚がある。それだけに、過ぎ去っていく年月とともにそうした「特典」が自分の手の内からみるみるこぼれ落ちていくことにも敏感で、このまま歳をとっていく未来に不安を隠せないでいる。

 大手広告代理店勤務ということもあって、自身の容姿に人並み以上の自信をもっており、それゆえに付き合う男性に求める基準も必然的に高くなる。若い頃はそれが彼女にとっての「普通」であったのだが、加齢とともにその美貌にも陰りが生じていくのをどうすることもできない。理想とプライドばかりが高く、妥協というものを知らないがゆえに、気がつけば独身のまま三十二という歳になっていた由紀子は、自分の今後の身の振り方に思い悩むようになるのだが、かといって自分の過去を振り返ったときに、若さと美貌以外に人生を渡り歩くうえで武器となるような何かをもっているかと言われれば、パッと思いつくものもない。

 本書に収められた短編に登場する女性たちには、ふたつの共通する項目がある。ひとつはいずれも三十代であるということであるが、より重要なのは、いずれもキャリアウーマンであるという要素だ。これは、本来であれば男性原理によって成り立っている世界のなかに、あえて女性が進出してきたという構図であり、この時点で彼女たちは、子どもを産むという最大の価値ではなく、男たちが求める虚構としての価値を追い求める立場に組み入れられてしまったことになる。そしてこれはひとつの必然として、彼女たちのストレスのもとにもなってくる。

 それはたとえば『ヒロくん』の武田聖子のように、いっけんすると非合理きわまりない会社内派閥の論理に巻き込まれて四苦八苦するという形をとることもあるし、『マンション』の石原ゆかりのように、独身でありながらマンション購入を決意した結果、会社の人事を怖れて自分らしさを発揮できなくなるという形をとることもあるが、いずれも生物の根本的な本質であり、女性が女性であるための最大の価値でもある「種の保存」から目をそらし、あえて男のように虚構の価値を求めようとするから生じてくるストレスである。とくに『ヒロくん』の武田聖子は、結婚していながら子どもをつくらず、むしろ稼ぎという点では夫より上であるという立場にあるが、出産にかんしては三十五歳でありなからいまだ考えにおよばないという状態だ。

 人間社会における女性の進出は、世界的に見ても避けられない流れだ。そしてそれゆえに世の女性たちは、自分の人生において「専業主婦として子どもを産み育てる」という価値観に縛られない自由を得た。結婚するもしないも、子どもを産むも産まないも――さらに言うなら、『ワーキング・マザー』の平井孝子のように一度結婚してから離婚し、シングルマザーという道を選ぶこそさえ、以前ほどの強制力はなくなってきている。だが、本書を読んでいくと、他ならぬ女性たちが、そうした選択肢の自由に思い悩んでいるように見える。それを象徴するのが、『ガール』の滝川由紀子が同窓会で出会った、専業主婦となったクラスメイトの語った不安に対する返事である。

「ねえ、うちらだってブルーだよ」由紀子が言った。「いつまでこういう生活してていいのかわからないし、自由なんて不便なことばっかだし――(中略)――だいいち、若さなんて永遠じゃないじゃない。焦ってるのはこっちだよ」

(『ガール』より)

 ガールではないという事実は、男にちやほやされなくなるということでもあるが、その先には当然、「子どもを産む」という女の価値が宝の持ち腐れになるという運命が待っている。だからこそ女たちは、男を惹きつける「ガール」であることに特別な価値を見いだす生き物でもある。世の女性たちは、はたしていつまで「ガール」でありつづけられるのか――男性側からは見えてこない、女性側の気持ちをぜひたしかめてほしいのだが、何よりの驚きは、本書が男性作家によって書かれたという事実かもしれない。(2014.11.12)

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