【新潮社】
『幽霊たち』

ポール・オースター著/柴田元幸訳 



 小説というのは、演劇とよく似ている。ただ、演劇には「俳優」という生きた個性があるが、小説にはそれがない。違いがあるとすれば、おそらくその程度のことだろう。だが非常に大きな違いである。

 人間のもつ個性――まぎれもない自分自身と呼ぶようなものは、自分の内側に確固として存在するものではなく、自分と、自分以外の他者との関わり合いのなかにのみ存在するものである。ちょっと考えてみればわかることだが、もしこの世に自分ひとりしか存在しなければ、自分が自分であると判断する必要がなくなってしまう。自分以外の人間が存在するがゆえに、個性に価値が出てくるのだ。
 では、これと同じようなことを小説の登場人物にあてはめてみたら、どうなるだろう。あくまで虚構の存在である登場人物たちとの関係性が、その人物の個性を決定づけるものだと考えるのは、ちょっとナンセンスな気がする。むしろ登場人物の個性は、物語そのものとの関係に依存していると考えたほうが、まだしもしっくりくるものがある。

 ひとつの物語がある。物語には明確なはじまりと終わりがあり、登場人物たちは物語を滞りなく先へと進めるために、与えられた役割を演じていく。そして、完成された物語は、たとえ読者が何度読み返したとしても、決められた筋書きをけっして逸脱することはない。主人公は主人公であり、ヒロインはヒロインであり、敵役は必ず敵役なのだ。だが、登場人物たちの個性の拠り所である「物語」が、そもそもはじまってさえいなかったとしたら、彼らはいったいどうなってしまうのだろう。そういう意味で、本書『幽霊たち』というタイトルは非常に象徴的だと言えよう。

 まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にブラウンがいる。――(中略)――ブルーは毎日事務所へ行き、デスクの前に坐って、何かが起きるのを待つ。長いあいだ何も起こらない。やがてホワイトという名の男がドアを開けて入ってくる。物語はそのようにしてはじまる。

 この冒頭を読むかぎりにおいて、本書の物語には、明確な「はじまり」がある。むしろ明確すぎるくらいのはじまりかただ。事務所というのは探偵事務所のことであり、ブルーは探偵という職業についている。これがブルーの現在。ブラウンというのは、ブルーに探偵術を教えこんだ師匠のような存在だ。今は年老いて探偵を引退している。これがブルーの過去ということになる。極限的なまでにシンプルな文章であり、物語のはじまりかたである。まるで、キュビズムの絵画をまのあたりにしているかのような。

 ブラックという名の男を、必要がなくなるまで見張ってほしい――ホワイトが持ちこんだ依頼の内容もまた、きわめてシンプルなものだ。だが、私たち読者は当然のことながら、物語の今後の展開におおいに期待する。探偵、依頼人とくれば、何らかの事件が待っていると考えるのが、普通の反応だろう。探偵役を演じるブルーは、きわめてクールにその依頼を引き受ける。ホワイトが用意したアパートに移り住み、ブラックの見張りを開始する。あとはただ、何かが起きるのを待つばかりだ。

 だが、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎても、事態はまったく進展しない。ブラックは1日の大半をただ机に坐ってものを書いたり、読書をしたりするだけなのだ。たまにでかけることがあったとしても、食料を買うか、本屋へ行くか、あるいはただの散歩だったりする。しだいにブルーは困惑する。ブラックのあまりにも型どおりの、シンプルすぎる行動の裏に、いったいどんな陰謀が隠されているのか。ブラックとホワイトとの関係は、どのようなものなのか。いろいろな想像がブルーの頭をめぐっていく。だが、現実はいっこうに進展しない物語が、ただ続いていくのみである。

 見方によっては、おそろしく退屈な物語だと受け取られてしまいそうな本書であるが、私たち読者は、おそらくこう自問せずにはいられない。はたしてこの物語は、本当にはじまっているのか、と。たしかにはじまってはいる。明確すぎるくらいのはじまりかただったはずだ。だが、「筋立ても、アクションも、何もない」この物語は、はたして探偵役であるブルーに、どんな個性を期待していると言うのだろうか。

 ランプを見て、彼は自分に言う。ランプ、と。ベッドを見て言う。ベッド、と。ノートを見て言う。ノート。ランプをベッドと呼んではならない。そう、これらの言葉は、それが指し示す事物のまわりにすっぽりと収まるものなのだ。――(中略)――それから彼は道の向こう側に目を向け、ブラックの部屋の窓を見る。部屋は暗く、ブラックは眠っている。問題はあれなんだ、とブルーは自らを励ますかのように胸のうちで言う。

 ブラックという、きわめて抽象的な――何者でもありえるような「名前」は、じつは何も指し示すことのない言葉である。彼がどんな役割を与えられているのか、決定しているのは、ほかならぬブルー本人である。彼は探偵役を与えられた者として、ブラックや、あるいは依頼人であるホワイトに、それにふさわしい役柄を割り当てようと試みる。あるいは物語を進展させるために、ブラックやホワイトと接触しようと行動をおこす。だが、ブルーもまた、本書の登場人物のひとりであり、それゆえに物語によって支配されている身だ。かくしてブルーは、ブラックに役柄を与えることにも、物語を進展させることにも失敗する。そして次第に、彼は「探偵」という役割そのものから逸脱していく。

 俺も誰かに見張られているとしても少しも不思議じゃない、と彼は思う。俺自身がブラックを観察してきたのと同じように、もうひとりの人物に観察されているとしても。かりにそうだとしたら、彼ははじめから自由などではなかったことになる。

 明確な物語の「はじまり」を提示しておきながら、もし本書の物語が――少なくともブルーにとっての物語が、そもそもはじまっていなかったとしたら、「ブルー」という名の登場人物もまた、存在していない、ということになる。何者でもないがゆえに、何にでもなれる可能性を秘めていながら、じつは何者にもなりえないという、大いなる矛盾―――本書のタイトルが指し示すとおり、この作品はたしかに「幽霊たち」の物語だと言えよう。リアルな現実に生きる「俳優」としての個性をもたない登場人物たちによる、物語の存在しない演劇のなかで、ブルーははたしてどのようにして舞台から退場することになるのか、ぜひとも注目してもらいたい。(2002.10.21)

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