【宝島社】
『殺戮ガール』

七尾与史著 



 以前読んだ池谷裕二の『脳には妙なクセがある』によると、人間には「顔面フィードバック」という機能があるとされている。これは、たとえ楽しくないような状況であったとしても、意図的に笑い顔をつくることによって楽しい気持ちが生じる、というもので、感情が表情をつくるのではなく、表情の変化によって感情のスイッチが入るという流れを、脳科学の分野の立場から語っているのはなかなかに興味深いものがある。とはいうものの、たとえば自分が誰かに殺されかけているような状況、あるいは大切な家族や恋人が理不尽な死に方をしてしまったような場合に、はたしてつくり笑いがどれほど当人の恐怖やつらい気持ちを取り除くことができるのか、という問題は当然のことながらある。

 ここで、ある極端な仮説を立ててみる。たとえば、史上最強のお笑い芸人がいるとする。彼の漫才はまさに天才的で、どんなに暗い気分になっている人からでも爆笑を引き起こすことができる。もし、彼の漫才が究極の笑いであるならば、たとえ今まさに殺されかけているような相手に対しても笑いを取ることができるに違いない。だが同時に、自分が殺されかけているのに笑ってしまうという状況は、たとえ顔面フィードバックの機能があったとしても、それが楽しい気分を引き起こすとは考えにくい。ごく普通の人間の想像力では、あまりに不自然すぎるととらえられる状況である。

 史上最強のお笑い芸人というのは、あくまで想像上のものであって、実現するはずのない幻想だと言える。だが、もし普通じゃない想像力の持ち主がいて、究極の笑いを実現させようとしたときに、はたして彼がどのような手段に訴えることになるのかを考えるのは、ある意味非常な恐怖でもある。今回紹介する本書『殺戮ガール』は、サイコパスに分類される女の存在が物語の主軸となっているが、その人物のサイコパスっぷりをよりいっそう際立たせている要素として、「お笑い」の存在がある。

 遺留品は証拠であり手がかりにもなる。犯人にとって得にならないどころか不利にさえなる。それでも犯人はわざわざオセロ盤を残した。捕まらない自信があるのか。それとも捕まることを恐れてないのか。何より現場より垣間見える犯人の「遊び心」が不気味だ。

 本書に登場する奈良橋桔平は警視庁捜査一課の刑事として、強盗や殺人といった重大な犯罪の捜査にかかわる仕事に就いているが、彼には独自に調査をつづけている案件があった。今から十年前、「平成最大のミステリー」としてメディアを沸かせた、女子高団体バス失踪事件――遠足の行事として目的地に向かっていた清遠女子高校の一クラスが、乗っていたバスもろとも消え失せてしまうというもので、長らくその行方がわからないままだったのだが、つい最近になって、たまたまK県山中の産廃処理場近くの土中にバスごと埋められているのが発見された。白骨死体と化した高校生のなかには、奈良橋桔平の姪である今川美咲も含まれており、そういう意味でもこの事件は、桔平にとって特別な因縁をもつものでもあったのだ。

 バスをまるごと地中に埋めてしまうというやり方は、相当に突飛な発想であり、またそれゆえに警察さえも想定していなかった事態である。そしてなにより「なんのために」という疑問が残る。たんに誰かを殺してしまいたいというのであれば、バスを崖から転落させるという方法でもよかったはずなのだ。なぜ犯人は、こんな手間暇のかかる仕掛けを用意する必要があったのか。そして当時、そこで何があったのか。損傷した死体といっしょに出てきた多数の鉄パイプや、なによりひとり分だけ足りない死体は何を意味するのか。物語は当初、この謎が謎を呼ぶ失踪事件を中心に動いていくかのように見えたのだが、その後桔平が担当することになる作家宅放火事件や、その事件を追ううちに次々と明るみに出てくる別の失踪や殺人事件といった展開から、物語の焦点はあるひとりの女性のほうにシフトしていくことになる。

 身寄りのない女性をターゲットに、その本人をひそかに殺害して身分を奪い、当人に成りすまして生きている女が、この社会のどこかに潜んでいる――作家宅放火事件の被害者である小田原重三は、『スペクター』というタイトルの新作を書いていたことがわかっているが、その原稿を読んで内容を知っていた担当編集者や、偶然その原稿を読んだ恋人も殺されてしまうという事態、さらには小田原重三が、『スペクター』のもとネタとなっていると思われる女性の調査に雇った私立探偵もまた不可解な死を遂げてしまい、桔平たちはなかなかその犯人に迫ることができず、肝心の原稿も失われたままである。しかしながら、非常に用意周到で、かつ警察の捜査を先んじる対応の早さを見せながら、そのいっぽうで非常に幼稚で、かつどこか遊び感覚なところもある殺害方法など、特徴的な部分も多い犯人像は、間違いなく読者の興味をかきたてる大きな謎である。

 高校の一クラスを、運転手や教師もふくめてまるまる生き埋めにしてしまう女子高団体バス失踪事件をはじめ、じつに数多くの犠牲者が出てしまう本書であるが、これらすべての犯罪で主犯的な役割をはたしている人物が誰なのかを特定するのは、じつはそれほど難しいことではない。なぜならこれらの事件の裏で見え隠れする女性には、ある共通する特徴が明示されており、そのうちのひとつに「お笑い好き」というものがあるからだ。となると、本書の読みどころは彼女の引き起こした数々の事件の動機という点に絞られてくるが、女子高団体バス失踪事件にしろ、作家宅放火事件にしろ、あるいは事故として処理されてしまったカセットコンロの爆発事故にしろ、なぜ他ならぬその殺害方法なのかという点となると、とたんに脈絡のないものと化してしまう。

 私はこの書評のなかで、犯人たる女性をサイコパスだといったんは定義した。だが、彼女をそうした既成の単語の枠に収まらないようなキャラクターとして演出させようとしていることは、本物のサイコパス――ここではある種の典型的シリアルキラーが登場することからも明らかである。そして彼女にとって、シリアルキラーすらも駒のひとつにすぎない扱いなのだ。では彼女はいったい何者なのか、という点を考えたときに、やはりキーワードとなるものとして出てくるのが「お笑い」である。

 彼女はその生活において、自身のお笑い好きという性格を隠そうとはしていない。むしろ周囲の人たちに、自身のお笑い好きな特徴をあえてアピールしているようなところさえある。それは逃亡生活をおくる者としては、個人を特定されやすい致命的な欠点だ。にもかかわらずそれを隠そうとしないのは、彼女にとっての人生が、そもそもお笑いによって成立しているからに他ならない。人を殺すこともすらも、彼女にとってはお笑いを演出する手段のひとつにすぎない――そのことに気がついたとき、私たちは彼女のなかに渦巻く底知れぬ狂気に戦慄ぜすにはいられなくなる。

 純粋な悪、生まれついての邪悪な存在というと、最近では貴志祐介の『悪の教典』といった作品を思い出すが、その人間離れしたメチャクチャな発想という意味では、むしろ本書のほうがインパクトの高い部分があると言える。人々に笑いを提供するお笑い芸人を目指すサイコパスは、はたしてどのような夢をみるのだろうか。(2013.09.07)

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