【角川書店】
『ジェノサイド』

高野和明著 
第二回山田風太郎賞受賞作 

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 他人を信用せず、騙し、裏切ってのし上がっていく者がいるいっぽうで、他人を簡単に信用し、騙されたり裏切られたりしてはじき出される者がいる。もし私たちが生きるこの人間社会が、野生のような純粋に弱肉強食の世界だったとしたら、生き残るのはおそらく前者のほうなのだろう。そしてそれが、生物として純粋に優れているということにもなるのだろう。だが、純粋に生物として優れていることが、そのままひとつの人格としての優劣を決定するわけではない。なぜなら、もしそれを認めてしまったら、私たちが他ならぬ人間として生まれてきたこと――自我をもち、想像力を有する知的生物として存在することの意味を見失ってしまうことになるからだ。だが、私たちはそうした原始的な感情から、どこまで自由になれるのだろうか、とふと思うことがある。

 人はひとりでは生きられない。ひとりよりも、ふたり、あるいはそれ以上の人数で協力しあったほうが生き残る確率は高くなる。そしてある個体が、その腕力や知略に優れている場合、彼を中心に据えて生活をともにしたほうがさらに生存には有利となる。言うなれば、私たちは生存の本能的なものとして、強い者、権威ある者を敬い、従う性質をもってしまっている。だが、より複雑化した今の人間社会において、権威はしばしば容易に権威的なまがい物のなかに紛れ込んでしまう。それは、あるいは銃などに象徴される暴力という形をとり、あるいは金という経済的な力となり、あるいは権力という社会的地位の形をとる。そしてこれらまがい物の力は、社会の発展とともに容易に人の手に渡るようになってしまっている。あるいは本人すら自覚しないままに、そうした力の象徴として周囲から祭り上げられてしまっていることさえある。

 生き残るために「力」に従う、あるいは生き残るために「力」を振るう――その「力」を、邪魔な他者、自分と同じ人間であるはずの者たちを排除するために行使しつづけてきたのが人間の歴史であるとすれば、そしてそれが、人間であるがゆえの業であるとするなら、私たち人間という生き物は、どこまで愚かしいままなのかと考えずにはいられない。本書『ジェノサイド』は、まさに人間という生き物の在り様を描き切った力作だと言うことができる。

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量殺戮を行なう唯一の動物だからだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。――」

 本書は大きくふたつの物語の流れがあり、それぞれの物語における中心人物がひとりずつ配置されている。ひとりはアメリカ人のジョナサン・イエーガー、「ホーク」のコールネームをもつ彼はアメリカ陸軍特殊部隊「グリーンベレー」出身、今は民間軍事会社からの要請で、おもに紛争地域における要人護衛などをこなす雇われ傭兵であるが、そんな彼にある仕事の依頼が舞い込む。詳細は不明ながら、極めて高い機密保持を要求する任務、おそらく暗殺がらみの「汚い仕事」――だが、息子のジャスティンが患っている難病の治療費を稼がなければならないイエーガーにとって、日当千五百ドルは大きな魅力だった。最終的に仕事を引き受けることにした彼が聞かされた作戦内容とは、コンゴ東部に広がるイトゥリの森の住人、ピグミーの一種族であるムブティ人四十人と、彼らと行動をともにしている人類学者ナイジェル・ピアーズを殲滅するというものだった。彼らに感染している新種のウィルス――致死率百パーセントという脅威のウィルスが、外部に漏れるのを防ぐというのがその理由だったが、それだけでは説明できない不可解な点があることに、イエーガーは気づいていた……。

 もうひとりは日本人の古賀研人、東京文理大学に通う大学院修士課程二年で、創薬化学研究室で実験漬けの日々を過ごしていた彼の心は、大きく動揺していた。つい先日急死したはずの父誠治から、電子メールが届いていたからだ。それは、自分がしばらく姿を隠さなければならないことを想定したうえで、生前に書かれていたものらしく、親子のあいだでしか判らない文面で研人に何かをさせようとしていた。やがて研人は、父のメッセージの導くままにある古いアパートにたどりつくが、そこで彼が見たものは、父が秘密裏に進めていた研究のための実験室と化した一室だった。うだつのあがらない研究者だった父親――そんな彼がひそかに、ある難病の特効薬の開発に着手していたこと、そしてその研究の引き継ぎを、ほかならぬ研人自身が求められていることを知るが、その研究内容は彼の知るかぎり、一個人の能力と資金では到底達成できそうにない代物だった……。

 小さな謎とその真相を小分けにして読者の興味を引きとめ、より大きな謎へと導いていくという本書序盤の手法は、たとえばダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』といった、エンターテイメント性の高い作品でよく使われるものであるが、本書の場合、ふたりの主要人物をとりまく危機的状況が、物語をさらにスリリングなものにしていく。コンゴ民主共和国という、現在においても紛争の絶えない危険な地域で任務を遂行中のイエーガーはもちろん、平和な日本にいるはずの研人もまた、限られた期間で特効薬を完成させるという無理難題をかかえているだけでなく、何らかの権力機構が誠治を犯罪者扱いし、さらには研人自身も警察から追われる身となってしまう。そしてイエーガーたちもまた、その権力機構によって自分たちが欺かれ、最終的に始末される身であることを知り、ピアーズとムブティ人の三歳の子どもを連れ、武装勢力やアメリカ軍を相手にしながらコンゴを脱出しなければならなくなる。

 こうしてふたつの物語の概要を見ていくと、それぞれの物語はひとつの敵――アメリカ大統領をはじめとする巨大な権力の座にいる者たちを相手に奮闘する、という点で共通した形をとっている。紛争状態にあるコンゴと平和な日本という、なにもかもが対極にあるような国を舞台としていながら、イエーガーも研人もほぼ同じような困難に遭遇し、似たような境遇に陥っているという点で結びついている。彼らがどのような形で共闘していくのか、そしてどのような知恵で難局を切り抜け、敵を翻弄するか、あるいは翻弄されていくのか、という展開は、それだけでもじつに興奮すべき物語の流れではあるのだが、本書を評するうえで重要なのは、このふたつの物語の視点と、それをまたぐ形で設定されている敵の視点のほかに見えてくる、もうひとつの視点だ。

 この視点を影響をより強く受けているのは、研人の物語である。一介の大学院生にすぎない彼に、難病の特効薬を、限られた期限で完成させるというのは、常識的に考えれば不可能に近い。だが、研人の手には万能創薬ソフトや他人名義の銀行口座、隠れ家としても最適なアパートの実験室など、まるですべてがあらかじめ仕組まれていたかのように、目的達成のための手助けが用意されている。とくに、研人の親友として特効薬開発を手伝ってくれる李正勲をして「ノーベル賞がいくつあっても足りない」と言わしめた万能創薬ソフト「GIFT」は、少なくとも父親が開発できるような代物ではない。はたして誰が、何の目的でこれらのものを用意したのか、ということを考えるとき、私たちは彼らの敵とはまた違った、ひとつの視点を意識せざるを得なくなる。そしてその視点こそが、本書を貫く最大のテーマでもある。

 他人に心を許さず、暴力によって排除しようとする人間が、まさにその暴力性によって万物の霊長としての地位にのし上がったという事実、そして、そうした人類の在り様を、まるで手のひらに載せて眺めているかのような視点――彼らの目に、同種間のジェノサイドを行なう唯一の生物は、どんなふうに映っているのだろうか。そして同時に、研人やイエーガーのような、いっさいの見返りを求めることなく、文字どおり命がけで利他的な行為を成そうとする者たちに、何を思うことになるのだろうか。読み終えた人たちが、少なからず自身が人間であるということの絶望と希望を考えずにはいられなくなる本書を、ぜひ読破してもらいたい。(2012.01.27)

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