【文藝春秋】
『月下上海』

山口恵以子著 



 私たち人間がしばしば複雑怪奇な真実よりも、単純明快な嘘のほうを信じたがる生き物であることは、これまでの書評をつうじて私が主張してきたことのひとつであるが、そこには多かれ少なかれ、そんなふうに自身の心を整理しなければ行動することができない、前に進んでいくことができないという事情もあるのではないか、とふと思うことがある。私たちは日々の生活に追われ、何はともあれ生きていかなければならない。そのためには、ただ立ち止まっているわけにはいかないことも往々にしてある。いっときの感情に流されて、あるいは自分の本当の気持ちに耳を塞いで、人は単純な理屈で行動する。だが、世のなかの多くの真実と同じように、人の心というものもけっして単純明快に割り切れるようなものではなく、だからこそ表面に現われてくる言動と心との乖離に苦悩しなければならなくなる。

 他ならぬ自分の心にしたところで、けっして理性で制御できるようなものではなく、しばしば思いもよらない感情を爆発させることがある。そうでなくとも、心というのは常に移り変わってとどまることのないものだ。環境によって、状況によって、そして出会う人によって、心はいつも変化し、揺れ動いていく。犯罪者が、いついかなるときも犯罪者であるのなら、これほど楽な生き方はあるまい。だがじっさいには、悪人がいつも悪人というわけではなく、その逆もまたしかりである。今回紹介する本書『月下上海』では、八島多江子という女性がまさにそのような人物の代表格として物語のなかに登場する。

 ファンを裏切るわけにはいかない。――(中略)――しかし、このままでは後がない。新しい道を見つけなくては画家として明日のないことを、多江子自身が良く分かっていた。それを探すためにやってきた上海だった。

 上述の引用にもあるように、多江子は画家として上海にやってきた。絵の個展と文化講演をおこなうのが目的であり、停滞していた日中の文化交流の目玉として期待されていることからも、彼女の画家としての地位の高さがうかがえるのだが、その地位は彼女の画家としての才能はもちろんのこと、それ以上に逆境をはねのけてのしあがってやろうという強い意思と、世間の荒波をうまく渡っていくだけのしたたかさ、度胸によるところが大きい。時は昭和十七年。日米開戦によって彼女の描く絵もまた戦時統制によって日本での発表の場を失いつつあった。今回の上海行きは、多江子にとっては言わば画家としての新天地を求めるという意味合いが強いものであったが、そこで彼女を待ち受けていたのは、上海で渦巻く謀略の嵐だった……。

 日本で有数の財閥のひとつである八島財閥の令嬢という生まれであり、いったんは意中の男と結婚したものの、その夫の浮気性がもとで引き起こされたスキャンダルで離婚、しかし出戻りの身に甘んじることなく、画家としての道を切り開いてきた多江子――結果として、彼女に瀕死の重傷を負わせることになったその事件は、当時の夫である瑠偉と、その浮気相手の女との共謀による殺人未遂事件だったというのがおおまかな概要ではあるが、その真の首謀者は多江子自身、つまり彼女の自作自演であるという秘密があった。上海憲兵隊という身分を隠し、彼女の世話役として近づいてきた槙庸平は、その真相を脅しのカードとして、多江子をある人物の動静を探らせるためのスパイに仕立て上げようと画策していた。

 中国やロシア、欧米列強や日本といった国々の思惑や陰謀が複雑に絡み合う当時の上海を舞台に、時代の隆盛に翻弄される人々の運命を描いた本書において、多江子という人物は、その荒波を前にして怯むことなく立ち向かっていくだけの強さをもつ女性として書かれている。昔から弱い者いじめといった不正を見逃すことのできないまっすぐな気性をもちながらも、それがいったん悪い方向に傾くと、愛する夫を破滅させることすら厭わない気性の激しさをもつ彼女が、「魔都」とも言うべき当時の上海のなかにあってなお際立つ個性を放っていることは言うまでもない。だが、それ以上に本書で注目すべきなのは、そうした多江子の表向きの人柄からはうかがい知ることのできない心の揺れ動きである。そしてそれは大抵、表に現われてくる言動とは裏腹な心や感情という二律背反という形で提示されてくる。

 槙の読みどおり、多江子は民族資本家の夏方震にうまく取り入ることに成功する。蒋介石ひきいる国民党とひそかにつながっており、日本の傀儡政府である南京政府の転覆をもくろんでいるとされる人物である。多江子にとっては、あくまでその証拠をつかむための接近でしかなかったのだが、自分の国の未来を真剣に憂うその真摯な態度に、彼女の心は揺り動かされる。そこには、自分が損得づくで判断しやっていることと、その心が感じとっていることとの乖離があり、それゆえに多江子は思い悩むことになる。

 夏方震も同じだ。あの人の心は二つのものに引き裂かれている。上海と支那、租界と華界、自由と統一。その境目には大きな穴が開いている。

 この「二つのものに引き裂かれている」という文句は、本書のテーマを象徴するものだ。本書では上海のほかに、東京を舞台とした、多江子の過去について物語る章があるのだが、そこを読むかぎり、彼女と瑠偉との関係が、けっして単純な言葉で説明できるようなものではないことが見えてくる。好きなのに嫌い、嫌いなのに好き――相反するものでありながら、時と場合によってどちらにも振られてしまう人の心のままならなさを、本書は丁寧に描き出していく。そして、それは多江子だけではない。彼女を利用し、さらには自分のものにしようという欲で動いているように見える槙庸平でさえ、それとは裏腹な心理をかかえていることが、本書を読み進めていくと見えてくるようになる。

 多種多様な文化が入り混じり、まさに混沌としながらも独自の活気で満ちている当時の上海もまた、ふたつの両極端のものをその内に抱え込んでいる街だ。高貴と貧困、光と闇、華麗さと醜さ――それはまさに、「二つのものに引き裂かれている」人間そのものである。はたして八島多江子は、上海という異国の地で出会う男たちのあいだでどのように揺れ動き、そしてそれが男たちをどのように変えていくことになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2014.04.13)

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