【早川書房】
『虐殺器官』

伊藤計劃著 

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 国連人口基金の調べによると、2011年10月末には、世界人口は70億人を突破すると言われている。私が子どもの頃は、世界人口は46億人くらいだと聞いていたから、この人口増加はある意味で驚異的である。このまま地球上の人間の数が増えつづけていけば、何か画期的な技術革新でも起こらないかぎり、いずれ食料やエネルギーが不足して深刻な状態に陥ってしまうのではと考えるのは、けっして大袈裟なことではない。

 メロンの苗を育てていると、一本の苗木には複数の実がなる。だが、このまま放っておくと、どの実も大きくならずに終わってしまう。これは、すべての実に限られた栄養を行き渡らせようとするから生じることであって、不要な実をいくつか摘み取ることで、残った実はジューシーなメロンとして熟してくれる。この書評をお読みの皆様は、こんなふうに考えたことはないだろうか。人間の数が多すぎることでさまざまな弊害が起こっているのであれば、その数を減らせばいいのではないかと。ちょうどメロンの若い実を摘み取るように、70億の人間を10分の1、7億くらいまで減らすことができれば、大概の問題は解決してしまうのではないか、と。

 人口増加の問題は、ありあまる食料やエネルギーを享受できる国の住人にとっては、ふだんの生活において意識することさえない事柄であり、所詮は他人事、対岸の火事でしかない。そうした無関心も問題であるが、逆に「人類の未来のため」という名目で、無作為に大勢の人間を虐殺していく個人がいたとしたら、それもまた尋常なことではない。いったい、どういう心理状態にいたれば、自分と同じ人間を大量虐殺して善しとすることができるのだろうか。今回紹介する本書『虐殺器官』には、そんな問いについて真剣に向き合わざるを得なくなるような、そんなテーマが含まれている。

 本書の語り手であるクラヴィス・シェパードは、アメリカの特殊部隊「特殊検索群i分遺隊」に所属する大尉である。「特殊検索群i分遺隊」とは、暗殺を請け負う唯一の部隊であり、彼らが殺害する対象は、後進国において内戦の首謀者とみなされる者や、大規模殺戮を指示した独裁者たち。それまで「世界の警察」として軍事介入はしても、公式には暗殺を禁じていた合衆国政府がその方針を翻したのは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロによるところが大きかった。テロとの戦いや人道上の理由のもと、アメリカ合衆国は暗殺という手段も辞さぬという姿勢を示すとともに、国内では徹底した個人認証によって人々の行動を監視し、誰がどこで何をしたかが追跡できるシステムを確立することで、テロを未然に防ぐ方針を打ち出していた。

 時は21世紀を舞台とする近未来、アメリカ国内でのテロ行為は激減したものの、世界各地で紛争の火種は絶えず、それにともなってクラヴィスたちの部隊による暗殺任務も増加するいっぽうとなっていた。ところが、その任務のターゲットとして何度も名前が挙がりながら、そのたびごとに暗殺を果たせずにいる人物がいた。ジョン・ポール――彼が入り込んだ国では、なぜか半年もたたずに混沌状態におちいり、無辜の民の命が大量に奪われていく。まるで、世界のあちこちに殺戮の種を植えつけているかのように見えるこの男はいったい何者で、どのような方法で人々の不和を煽り、虐殺へと導いているのか。そしてクラヴィスたちは、そんなジョン・ポールの行為を止めることができるのか……。

 冒頭の死体の山が築かれている衝撃的なシーンをはじめ、本書には数多くの死があふれている。主人公のクラヴィスは暗殺部隊というポジションで多くの人の死をまのあたりにし、また自身の手も血に染めるような任務をこなしているし、彼の敵として登場するジョン・ポールは、自ら手を下すことなくかかわった国の人々を殺戮の狂気へとかきたてていく。はたして、彼がどのような方法で大量殺戮を引き起こしているのか、というのも気になるところであるが、それ以上に注目すべきなのは、このふたりがもっている「人を殺すこと」に対する立ち位置と、その捉えかたである。

 たっぷりの銃とたっぷりの弾丸で、ぼくはたくさんの人間を殺してきたけれど、ぼくの母親を殺したのは他ならぬぼく自身で、銃も弾丸もいらなかった。はい、ということばとぼくの名前。そのふたつがそろったとき、ぼくの母親は死んだ。

 クラヴィスは暗殺のプロであり、文字どおり「たくさんの人間を殺してきた」が、そのいっぽうで自分の母親の死に強く束縛されている。事故で意識を失い、機械の力でかろうじて生かされていた母親の延命処置を停止することに同意した、という意味で、クラヴィスは自分が母親を殺したという思いにとらわれているのだが、それはふだんから人の死と近い場所に身を置き、それゆえに人の死に――けっして軽いものではないはずの人の命を奪うという行為に、それ相応の意味をもたせたいがゆえのものである。

 暗殺任務は国の命令であり、またそのターゲットが紛争の焦点であり、つまりは「悪い奴だから」ということで納得することができる。なによりそこには、自分の意思が入り込む余地はない。だが母親の死については、他の誰でもない彼自身の意思が必要とされるものだった。数多くの殺人に手を染めながら、たったひとりの身内の死が今もなおクラヴィスを悩ませるのは、それが本当に正しい判断だったのかを確認する術が存在せず、また他の誰かの判断をあおぐこともできなかったからに他ならない。死んだ母親に話を聞くわけにはいかないのだ。

 だがそれは、じつは彼が暗殺してきたターゲットについても言えることである。本書のなかで彼がその後を追うジョン・ポールは、たんなる「悪い奴」という枠組みのなかに収まらない。本書を読み進めていくとしだいに見えてくることであるが、ジョン・ポールは彼独自の意思によって行動し、大量殺戮を引き起こしているところがある。そしてそんな彼の存在は、クラヴィスにとってそれまで自分が成してきた暗殺任務をふくめた、すべての殺人の意味、しいては彼が守ろうとしているアメリカという国の今のあり方そのものすら失わせるに等しいものとして、彼の前に立ちふさがってくる。この作品がたんに、主人公と悪人との対決という単純な形では収まらないのは、そうした思索的な部分が大きく関係している。

 罪から逃れたいのではない。ぼくが恐れているのは逆で、自分にその罪を背負う資格がないという可能性だ。その罪が虚構であるという最悪の真実だ。

 人はどれだけ多くの事実を突きつけられても、けっきょくは自分の見たいものしか見ない――それが事実というものの限界であるとするなら、そもそも人がコミュニケーションの道具として用いている言葉に、その言葉に乗せられるはずの事実に、どれほどの意味があると言えるのか。本書はあくまでフィクションであるが、アメリカ同時多発テロ後の世界がかかえる問題を、まさにその現実を生きる私たちとじかに結びつける形で突きつけることに成功した作品でもある。あたなは本書が見せる世界の在りように、いったい何を感じ、どのような思いをいだくことになるのだろうか。(2011.05.27)

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