【集英社】
『上石神井さよならレボリューション』

長沢樹著 



 ミステリーにおいて探偵役を担う人物というのは、はたして探偵「である」のか、あるいは探偵「になる」のか、ということをふと考えることがある。前者はいわゆる「名探偵」と呼ばれる人たちのことで、彼らは登場時にはすでに探偵としての評価をある程度確立しており、ときには警察からの協力を仰がれたり、あるいは私立探偵として充分にやっていけるだけの立場にいたりする。これは比較的古典的なスタイルのミステリーに多く、彼らにとっては謎を解明することそれ自体がひとつの目的となり、また彼らを動かす原動力ともなっている。だが、これは逆に考えると、なんらかの謎――それは殺人事件という形をとることが圧倒的に多いが――が発生しないかぎり、「探偵」としての彼らの存在意義もまた発生しない、ということでもある。

 提示されたすべての謎にしかるべき解答を与え、事件を収束させるのが、ミステリーにおける探偵の役割である以上、探偵役はそもそものはじめから探偵「である」ことを宿命づけられていると言ってもいい。だがここ最近の、より広い範囲を包括するようになったミステリーにおける探偵は、むしろ後者にあてはまるものが多いと個人的に感じている。彼らは物語のあいだじゅう「探偵」であることを強いられているわけではないし、ましてや「名探偵」という大仰な立場にいるわけでもない。ふだんはごくふつうの、少し変人ではあるかもしれないが、それでも「名探偵」よりは私たちの側に近いところにいる人たちである。ただ、彼らはある特定条件下において、探偵「になる」のだ。そしてそれは、けっして「そこに謎があるから」といった動機ではない。今回紹介する本書『上石神井さよならレボリューション』は、そんな探偵「になる」パターンのミステリーの、ひとつの完成形と言うことができる作品である。

 岡江のもうひとつの顔――眉目秀麗、成績優秀の他に岡江を表現するとしたら”性癖特殊”が適当だろう。もっと一般的な言葉を使うなら”ド変態”だ。

(『落合川トリジン・フライ』より)

 表題作をふくむ五つの作品を収めた連作短編集という形をとる本書で、探偵役となる岡江和馬は都立鷹羽高校の生徒。ロシア人の血を引く美男子という設定で、成績は常に学年トップ、それも勉強ができるというよりは頭の回転が早い天才系であり、そういう意味では、探偵としての資質はじゅうぶんに備えている。ただし、彼というキャラクターをもっとも特徴づけているのは、上述の引用文にもあるように、じつは彼の特殊性癖である。なにせ岡江は極度のフェティシズムの持ち主であり、その「捕獲」と称して女の子の盗撮写真を収集することを生きがいにしている変人なのだ。

 そしてそんな岡江の性癖を満たすため、盗撮の実行犯として動いているのが、本書でおおむね語り手として登場する設楽洋輔という写真部の生徒であり、物語のなかで何らかの事件に遭遇する役割を請け負っている。言ってしまえば探偵役の岡江に対するワトスン役として設楽がいるわけだが、このふたりだけのあいだで成立している関係性は、たんに探偵役とその助手といった切り分けができるようなものではない。岡江は設楽の盗撮写真を得る見返りに、金銭と学習指導を提供しており、設楽は自分の写真の腕前を、不足しがちな成績と小遣いのために活用するという手段を選んだ。つまりふたりのあいだには、お互いの利害の一致を見たうえでの、ビジネスライクなものがまずは成立している、ということになる。

 けっして他人に知られてはならない極秘の関係――盗撮が犯罪である以上、それは当然のことではあるのだが、何よりその「極秘」「犯罪」という強烈な要素が、探偵と助手というミステリーとしての役割をきわめて希薄なものとしてしまっている。これはいっけんするとマイナス要素のように思われるのだが、それはあくまで本書をミステリーとして括ろうとするからであり、むしろ個性溢れる少年少女たちの、コミカルな高校生活を扱った物語として捉えてみると、探偵と助手というふたりの副次的な関係が、じつは盗撮によってつながっている関係性の毒を中和する役目をはたしていることに気づく。

 そう、本書を読んでいくと見えてくることであるが、たしかに謎が提示され、それが最終的に岡江によって解明されるという構成が成立してはいるが、その登場人物たる岡江と設楽にとっては、そうした謎はあくまで「盗撮」というメインの目的の過程で発生した副産物、ぶっちゃけトラブルでしかないのだ。ゆえに、もしふたりがそれを無視する気があるなら、そうしていてもなんら不思議ではない。むしろふたりの極秘の関係がビジネスライクなものだけであるなら、そうなってしかるべきでもある。

 だが、ここにもうひとり、川野愛香というきわめて重要なキャラクターが登場する。

 彼女はいわば、設楽の盗撮の被写体である。ただし、容姿端麗な美少女であるにもかかわらず、本人はそのことにとんと無頓着な天然キャラという立ち位置にある。じっさい、彼女は野鳥の撮影のために設楽のカメラマンとしての腕を借りていると信じて疑っていない。というより、野鳥の魅力の前には自分のパンチラなど、ささいなこととして分類されてしまっているようである。そしてこの無防備きわまりない美少女は、とかく事件や厄介ごとと親和性が高い。むしろ進んで首を突っ込んでしまうタイプであるのだが、それゆえに設楽は遭遇した謎を放ってはおけない立場に追い込まれ、岡江の力を借りるという流れが生まれてくる。そして岡江は、このときにかぎって探偵「になる」のである。

 あくまでフェチ写真の収集がメインの目的である以上、岡江は謎の解明そのものに執着はしないし、またその必要性も感じない。そして同時に設楽もまた、探偵の助手役に徹するというミステリーのお約束から解放されることになる。じっさい、短編によっては設楽が探偵役をはたすこともあるし、表題作である『上石神井さよならレボリューション』にいたっては、岡江を一方的にライバル視する天海晴菜と結託し、むしろ事件を起こす側に回ることさえする。だが、川野愛香という中継点をとおしてふたりが事件や謎とかかわり、探偵「になる」ことで別の誰かが窮地を脱したり、救われたりする。盗撮目的で動いているはずのふたりの思惑が、ミステリーという要素を介することで人助けになる、というのが本書を支える土台である。そしてそれゆえに、私たち読者はそんな彼らを憎めなくなるのだ。

 もちろん、だからといってミステリーとしての要素がおろそかになっているわけでもない。少なくとも岡江や設楽が従来の探偵としての役割をはたさなくとも、読者である私たちの視点からは、一応の謎解きはなされる形がとられている。そしてそのために、短編によっては設楽だけでなく、もうひとりの登場人物の視点が入り込み、一人称が入れ替わるような構成をとることもあり、それがまた読者のミスリードを誘う手法にもなっている。

 こうした探偵「になる」パターンのミステリーは、本書がはじめてというわけではない。だが、かならずしも探偵が謎を解かなければならないわけではない、という認識を意図し、さらにはそれを利用するようなミステリーを構築しているのは、本書がはじめてではないだろうか。

 ちなみに、岡江の求めるフェティシズムは、ただのパンチラ写真などには反応せず、もっと次元の高いところにある。それゆえにごく平凡な頭脳の持ち主である設楽は、岡江の求めるものがなかなか理解できず四苦八苦するだけでなく、川野愛香の高度な写真要求にも悩まされるという苦労人ポジションに立っている。変態的でありながら個性溢れる登場人物たちが織り成す学園ミステリーを、ぜひ堪能してもらいたい。(2014.12.06)

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