【中公新書】
『がんを病む人、癒す人』

比企寿美子著 



 今年の6月、私はそれまでただなんとなく入っていた某大手の生命保険を解約し、代わりに医療保険一本の終身保険に入りなおすことにした。私が会社に勤めはじめたある日、突然やってきたセールスレディに勧められるままに入った以前の保険が、よくよく考えるとちゃんとした家庭をもつ父親を想定したものであり、一人暮らしの独身で、今後結婚するかどうか(できるかどうか)もわからない今の私のライフスタイルにはあまりにもそぐわないものだと思われたからだ。そしてそのさい、ひとつ問題となったのが、ガン保険にも入っておくべきか、あるいはガン特約をつけるべきかどうか、ということでもあった。

 現在、三大疾病と言われている脳卒中、心筋梗塞、悪性新腫瘍すなわちガンのうち、前者のふたつが比較的高年齢の方々に生じやすい病気であるのに対して、ガンは30代や40代の人でもかかる可能性の高い病気であるうえに、再発の割合も高く、それゆえに治療には多くの費用がかかると言われている。だが、こうしてガンに関する知識を手に入れ、健康なうちにどの生命保険に入るべきかについて考える人はいても、自分が実際にガンと診断されたときに、どのような構えでその病気と戦うべきなのか、身近でガンと接する機会のない人には、想像するのも難しいものだ。

 本書『がんを病む人、癒す人』は、医師の父親を持ち、また医師の妻として長年医療のかたわらで暮らしてきた著者が、ガン治療の現状について触れつつ、けっして容易なことではないガン治療に対してどう向き合うべきなのかを、患者と医師の両方の立場から述べたノンフィクションであって、こうすればガンは治る! といったたぐいの本ではない。そういう意味では、本書は実際にガンに悩む人にとっての、直接的な助けとなる実用書とは言えないところがある。だが、本書の中で語られている、医療の現場で患者とともに病気と戦い、真に患者にとって良いこととは何か、ということを日夜考え、悩みながらも、確かな腕で治療をおこなう医師たちの姿、そしてその意志を受けて病気のことを理解し、治ろうと努める患者たちの姿に、読者はきっとあらためて、人間の生と死――人としてどのように生きることが幸せなのか、ということを考えるに違いない。

 ガンに関する本については、それこそ専門医による研究書から、患者による闘病記のたぐいにいたるまで、じつに多種多様な本が出版されている。とくに近年、記憶に新しいものとしては、近藤誠が著した『患者よ、がんと闘うな』が挙げられるだろうか。強い副作用で例外なく患者を苦しめる抗がん剤がじっさいに効果を発揮するのは、ガン全体の一割程度でしかなく、手術による切除はほとんど意味がない――それまでのガン治療の常識をことごとく覆す理論を展開するこの本は、苦しいガン治療の現場にいる多くの患者やその家族にとって、バイブル的役割を果たすほどのベストセラーになったが、同時に臨床医をはじめとする多くの医師たちの反論を呼び、その内容にもいろいろな問題点があることが指摘されている。

 この本が出版された年は、結果としてガン医療をめぐって活発な意見が交わされた年になったと言われている。そういう意味で、近藤誠の著書は、議論の火付け役として重要な役割を果たしたと言ってもいいのかもしれない。そして、私たちはそうした議論を通じて、正しく理解さえすればガンは必要以上に恐れることのない病であることを知ると同時に、ガンとひと口に言ってもさまざまな種類があり、その年の論争のようにとめどなく意見の食い違いを生じさせるほど、難しい病気であることも知ることになった。

 本書がこの論争をどこまで意識していたのか、私には判断するすべはないが、少なくとも患者と医師との間の信頼関係が大きく揺らぎつつあること――とくに医師たちが、患者に自分の抱える病気を正しく理解させる努力をおこたり、患者とともに病と闘っていこうとする意志が薄れてきているのではないか、という危惧のようなものは感じていたのではないだろうか。それでなくとも、あってはならない医療ミスによる過失が問題視されている昨今である。

 そういう意味で、本書はガン治療を受ける患者がまぎれもない人間であることをけっして忘れてはならない、ということを訴える本であると同時に、患者と同様、個々の医師たちがガンというやっかいで難しい病気に対してどのような立場をとるべきなのか、について試行錯誤をつづける記録でもある。たとえば、ガンの告知ひとつとっても、現在はおおむね肯定意見が多いが、ただ告知すればいいのではなく、患者やその家族たちの背景について深い配慮が不可欠、という前提があるのは、告知することで、あるいは告知しないことでとり返しのつかない失敗をしたという、個々の体験に起因するところの大きさを物語るものだ。とくにガンにかぎらず、病の治療というのは、マニュアルどおりの方法がすべて通用するわけではないのは、患者が人間である以上あたり前のことではあるが、だからこそ医師たちは「病」ではなく「人」を診るべきだという主張が生きてくる。インフォームド・コンセント、セカンド・オピニオン、代替治療や緩和ケアといった専門用語の根底にあるべきなのは、なにより人と人とのコミュニケーションであるのだ。

 二十一世紀にはさらに医学が進歩して、多くの病気が制圧され、人の命さえもコントロールできるようになるだろうと考えられている。だが医療が進めば進むほど、癒す人のあたたかみが恋しくなってくるのはなぜだろう。

 セールスレディを使った、判で押したような商品しか売ろうとしない某大手生命保険会社の、昔からのやり方が、その保険を受ける側のライフスタイルをほとんど考えていない、柔軟性に欠いたものであるのと同じように、『患者よ、がんと闘うな』の著者が打ち出した、いわゆる「近藤理論」に関する一連の論争をまのあたりにして私が思ったのは、そこにいる医師たちが議論を重ねていくうちに、本来その中心にいるべき患者の存在を置き去りにしてしまっているのでは、という危惧だった。私たちが本当に必要としているのは、高度な先進医療ではなく、まぎれもない人の手による「手当て」なのかもしれない。(2001.11.17)

ホームへ