【岩波書店】
『ガリレイの生涯』

ベルトルト・ブレヒト著/岩淵達治訳 



 私たちのいる世界は地球という惑星であり、太陽が東から昇って西へ沈むという現象は、地球の自転作用によるもの、そして地球そのものも、一年周期で太陽の周囲を公転しているという事実は、今でこそあたり前の知識として学校で習う事柄のひとつとなっているが、この事実をはじめて発見した人の、その発想の転換はいかにも想像力をもつ人間らしいものだと言える。なぜなら私たちは、地球上で暮らしているかぎりにおいて、地球の自転や公転のスピードを、乗り物に乗って体感するようには体感できないし、そうである以上、地球そのものが動いているという発想にいたるためには、たとえば乗り物の窓から見える景色という、ごく限られた視点から思いっきり想像力を飛躍させるしかないからだ。

 私たちの目がとらえているように、星や太陽が地球という中心を回っているという考えは、いっけんすると誰にでも納得のいくものであるが、そこから逆の発想、つまり地球が太陽のまわりを回っていると考えるためには、地球という乗り物から降りて物事をとらえるという想像力を必要とする。人間の五官に頼らない、純粋に論理だけで、回っているのが太陽ではなく地球であると認めること――そんなふうに考えたとき、地動説というのは私たちがたんに知識のひとつとしてとらえている以上に、当時の人々のものの考え方を一変させる何かがあったのではないか、と思わずにはいられない。

 われわれは今、勇気をもって、天体を何の支えもなしに、空中に漂わせることにした。そして天体は、われわれの船と同じように、全く何にもひきとめられずに、大航海をはじめている、とまることない大航海にのりだしたのだ。

 望遠鏡を天体に向け、コペルニクスの地動説がたんなる仮説ではなく、まぎれもない事実であるという証拠をその観測によって導き出した宮廷物理学者ガリレイ――今回紹介する本書『ガリレイの生涯』は小説ではなく、戯曲として書かれたものであるが、まぎれもない事実であるにもかかわらず、時の権力の都合によって嘘として弾劾され、自説を撤回するという不名誉を受け入れなければならなかったガリレイの態度をどのように受け取るのか、という点が、この作品を語るうえで大きなポイントとなるのは間違いない。というのも、この話は17世紀に起こったことを題材としているが、本当に正しいことがかならずしも世のなかに受け入れられるわけではない、むしろ場合によっては、まぎれもない事実であるがゆえに隠蔽し、葬り去ってしまうという人間の愚かしさ、臆病さは、私たちの生きる現代においてもまったく変わっていないからである。

 この作品におけるガリレイの性質として一貫したものがあるとすれば、それは人間の知性に対するゆるぎない信頼である。もちろん、彼は自分もふくめた人間が狡猾であること、だまされやすく、既存の価値観に流されやすいものであることを認めている。だが、何が本当に正しいことなのかを判断するにさいし、圧倒的な事実からはいつまでも目をそらすことはできないし、それが真実であるならば、人々の理性はその事実をいつかは受け入れるしかないという信念をもってもいる。本作品におけるガリレイは、すでに物理学者として大きな功績をおさめており、その気になれば裕福な貴族を相手に、いくらでも金を稼ぐことのできる身分でありながら、じっさいには家政婦の息子を助手にして、地動説の原理について説明したり、太陽や星の動きを観測し、研究することに熱心な人間として書かれているところからも、そうした彼の性質が見えてくる。

 同時に見えてくるものとして、当時信じられていた天動説と宗教――キリスト教との深い結びつきというものがある。すなわち、地動説を信じることが、そのままキリスト教の聖典である聖書の記述そのものを否定することへとつながるというものであり、その影響の大きさは宗教家はもちろん、それまでキリスト教の教えを人間の倫理として受け入れてきた信者もふくめ、はかりしれないものとなるのではないかと危惧する雰囲気があるのもたしかだ。あまりにあたり前すぎて、疑うことすら考えられなかった「常識」のひとつとして天動説があり、地動説はあくまで仮説であり、「非常識」の範囲にあった、ということである。

 上述したように、ガリレイは人間の理性に信頼を置いていた。たとえ、今は間違った事実が「常識」としてまかりとおっていても、それが間違いであるという根拠を誰にでもわかる形で提示してみせることで、いずれ新しい「常識」が広がっていく。そう、本当に正しいことというのは、何をどうしたって隠しとおせるものではない――そうした意味合いをふくめて、ガリレイの生涯をたどっていくと、彼がとった行動の裏に、どのような想いが込められていたのかを垣間見ることができるし、それをこそ役者は汲み取って演技すべきだとも思う。それは、まぎれもない真実をまえにして、自分をふくめたすべての人間は、けっきょくのところただの人間でしかない、ということである。

 アンドレア (大声で)英雄のいない国は不幸だ!
 ガリレイ  違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ。

 歴史にあるとおり、ガリレイは異端審問の結果として地動説を撤回し、その後長く教会の監視のもとで生きることとなった。その行為を科学的真実への裏切りととらえるのか、それとも真実の知を消し去らないための覚悟ととらえるのかは、この戯曲を読んでたしかめてほしいところであるが、ある意味でこの作品ほど、偉人や英雄といったもののとらえかたを否定するものはない、と言うことができる。著者自身が残した覚書や訳者の解説もふくめ、この戯曲が現代において何を私たちに伝えようとしているのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2011.07.18)

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