【文藝春秋】
『遥か南へ』

ロバート・R・マキャモン著/二宮磬訳 



 外国の小説、とくにアメリカ生まれの作家によって書かれた小説を読んでいると、しばしばヴェトナム戦争に関する言及と出くわすのに驚くことがあるかもしれない。日本人にとっての太平洋戦争、そしてそれにつづく敗戦が、その当時の人たちの心に重い澱となって、心のありようそのものを変質させたのと同じように、アメリカ人にとってのヴェトナム戦争、そして事実上の敗北は、彼らの心に大きなしこりを残すことになった。それは、これまで信じてきた、あるいは信じ込まされてきたあらゆる価値観の崩壊であり、当時、兵士として戦地で戦った若者たちはもちろんのこと、その以外の人たちにとっても、けっして忘れられない、忘れてはならない大国の挫折であったのだ。

 ヴェトコンはアメリカを侵略しようとしているわけではなく、アメリカもヴェトナムを欲しがっているわけではない、それなのになぜ自分たちは銃をとり、女子供の別なく無益な殺戮を繰り返し、戦争とは関係ない村を焼き、仲間の兵士が次々と死んでいくのをまのあたりにしながら、明日の自分の姿をそれに重ね合わせ、そして危険な毒薬を撒き散らしてまで豊かな森を破壊して、それでもなお国のために戦いつづけるのか――あまりに多くの生命が奪われていくという現実、人間の底知れぬ残酷さの前には、もはや神も、救いも、祈りも無力で、自分自身の人間性さえ否定されかねないまさに地獄のなかで、かつて兵士だった若者たちは、いったい何を思い、どんな気持ちを味わい、そして何を見失ってしまったのだろうか。

 本書『遥か南へ』に登場するダン・ランバートもまた、ヴェトナム戦争に従軍した経験を持つ男である。もともと真面目な性格で、けっして他人に弱音を吐かず、自分に与えられた仕事や役割を自分の力で成し遂げることこそが大切だと考えているダンだったが、国のために戦う良き兵士としての役割を立派に果たした彼に与えられたのは名誉ではなく、家族である妻と息子との別離であり、勤めていた建設会社の倒産であり、そしてあの枯葉剤がもたらした白血病に蝕まれ、ただ死を待つばかりとなった自分の体だけであった。あの戦争で思い知らされた絶望によって、ダンの心に宿ってしまった悪夢と狂気――彼の人生そのものを少しずつ狂わせていったその黒い澱は、ある日、一発の銃弾によってダンに決定的な一撃を食らわせることになる。彼の自由の象徴であり、たったひとつの財産だったトラックが、金を借りている銀行によって回収されることがどうしても回避できなくなったと悟ったその瞬間、恐るべき偶然と手違いが重なって、ダンは銀行のローン担当部長を撃ち殺してしまうのだ。そしてこの事件が、彼の長く奇妙な逃避行のはじまり、ひとつの物語のはじまりでもあった。

 ただがむしゃらにトラックを走らせながらも、ダンの口から吐き出される「おれは南へ行っちまった」というつぶやき――「gone south」とは、ヴェトナムの戦場で神経をやられ、狂人となってしまうことを示す、兵士達の言葉である。そして奇しくも本書のタイトルが示すとおり、ダンはトラックを南へと向ける。だが、その道のりがけっして狂気と破滅で彩られているわけではないことは、ダンが強い意志の力で、その時その時の最善の行動をとろうと考え、実行していることを見ても明らかだ。

 そう、このヴェトナム帰りの男は、一度こうあるべきたと決めたことをけっして曲げようとしない頑固者なのだ。ヴェトナム戦争で良き兵士であろうと努め、それゆえに人生をめちゃくちゃにされてしまったダンは、同じく自分が正しいと信じることを成すために、自らの意志で南へ向かうのである。最初は、別れた妻と息子に会って、事の真実を自分の口から告げるために、その後は、顔の右半分を醜い痣で覆われた女性アーデン・ハリデイを、伝説のブライト・ガール――万病を癒す神の灯をその身に宿すと言われる女性の元へと連れていくために。

 その代表作『少年時代』において、壮大なストーリーテリングの才能を発揮した著者は、本書においてもその実力を惜しむことなく費やし、読者を巧みに物語の世界へといざなっていく。何より登場するキャラクターたちが、脇役も含めて誰もが強い個性を持ち、それゆえに独自の魅力をかもしだしているのだ。何かを信じることを頑なに拒否しつづけるダンと、醜い顔の痣を消し去る奇跡を唯一の心の拠り所にして生きつづけ、それゆえに殺人犯でもあるダンとともに行動する決意をするアーデン、また凶悪殺人犯として指名手配されたダンに銀行がかけた賞金を狙い、彼を執拗に追いつづけるプロの賞金稼ぎ、三本の腕を持つフリント・マートーと、自分の才能に自信が持てないゆえに、敬愛するエルヴィス・プレスリーそっくりに自分を演じつづける相棒のペルヴィス・アイスリー ――物語はダンたち追われる立場と、フリントたち追う立場の主体を入れかわり立ちかわり交代させながら、それぞれの心に深く穿たれた心の傷に触れ、お互いに疲れ果て、ボロボロになりながらもそれでもなお追いかけっこを続けていくうちに、まるで何かに導かれるように南へ、遥か南へと彼らを駆り立てていく様子が見事に描かれている。そして読者は、いやがうえにも期待してしまうのだ。彼らが向かっている南の果て――この逃避行の終着点に、いったい何が待ち受けているのか、そして伝説のブライト・ガールとは、何者なのだろうか、と。

「あきらめろ、ランバート!」マートーがどなった「もうどうにもならんぞ!」
 そうかもしれない。だが、この娘はなんとかなると信じている、人殺しに自分を委ねることさえ厭わないほどに。
――(中略)――彼女が抱いている願望の半分なりと自分が持ち合わせていたら、この苦しみの荒野を脱け出して自由の身になる道が見つかるかもしれない、とダンに思わせるほどに。

 本書の中心人物である彼らに共通するのは、誰もが何らかの理由で自分に当然与えられるはずの平穏を奪われ、人生を狂わされてしまった、ということである。さんざん屈辱にまみれ、心がねじくれて、自分はもうけっして救われないのだ、と思いながらも、それでもなお奇跡を――自分の存在が許され、癒される奇跡を捨てきることのできないアウトローたちの悲痛な心の叫びこそが、本書の物語の原動力となっていると言える。何が起こるかわからない人生、理不尽で、不条理な世の中で、それでも必死になって生きていこうとする彼らの姿は、きっと読者の心を打つに違いない。

 追う者と追われる者、どこかで似たような心を持った本書の登場人物たちが、最果ての地でいったい何を見出すことになるのか、ぜひとも確かめてもらいたい。(2000.11.18)

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