【武田ランダムハウスジャパン】
『ジェネシス・シークレット』

トム・ノックス著/山本雅子訳 

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「原罪」とはキリスト教の言葉で、人類の始祖であるアダムとイヴがエデンの園で最初に犯した罪のことを指す。聖書の「創世記」によると、アダムとイヴは神に逆らって「知恵の実」を食べてしまい、それゆえにエデンの園を追放されたとあるが、この「原罪」が具体的に何を指し示すものなのかはともかくとして、人類の始祖が背負うことになったこの罪は、アダムとイヴ個人にとどまらず、その子孫たる私たち人類全体が、この世に生を受けたその瞬間から負わされる罪として定義されている、というのがキリスト教の一般的な解釈となっている。

 これは人間が人間である以上、けっして逃れることのできない罪である、という意味ではすさまじく理不尽なものであり、だからこそその罪からの救済として唯一神への信仰を説くという流れにもつながるのだが、この「原罪」が知恵を得ること――神の教えに従うのではなく、自分自身で事の善悪を判断するという知恵を指すのであれば、今の人類の在り様は、良いことも悪いこともすべてひっくるめたうえで、人類の総意の結晶であると言うこともできる。

 聖書の内容について、宗教的信仰や原理主義的な観点ではなく、もっと別の視点――たとえば先史考古学や民俗学的な視点から検証していくと、そこから思いもよらない解釈が生まれてくるのではないか、と本書『ジェネシス・シークレット』を読み終えてふと思う。むろん、本書はフィクションであるが、そこに書かれたことが、あるいは物事の真理をついているのでは、と思わせるだけの知識や情報をもち、かつそれらを物語のなかで効果的に提示していくだけの構成の上手さがあるのはたしかである。

 ロンドンの「タイムズ」紙記者ロブ・ラトレルが、トルコ領クルディスタンで発掘中の遺跡を取材することになったのは、それまで紛争地域を飛びまわって取材を重ねるという危険を負っていた彼に対する、編集長の粋な計らいによるものであった。しかしその遺跡――ギョベクリ・テペを訪れたロブは、その巨石建造物にたちまち魅了されてしまう。遺跡発掘を指揮しているドイツ人考古学者フランツ・ブライトナーによれば、ギョベクリ・テペは約一万二千年前に建てられたものであり、これが事実なら世界最古の遺跡、それも祭祀の施設ということになるという。一万二千年前といえば、人類はまだ洞穴に住み、狩猟をして暮らしていた時代――農耕はおろか、土器すら発明されていなかったような時代である。そんな時代に、これほどの規模の神殿をどのように建造したというのか。さらに不思議なことに、この神殿は八千年前に人の手でまるごと地中に埋められた形跡があるという。なぜそんなことをする必要があったのか。

 骨考古学者で魅力的なフランス人女性でもあるクリスティーヌ・メイヤーとのロマンスもふくめ、まるで考古学ロマンを思わせるような物語設定であり、太古の巨大遺跡の全容から詳細への描写、発掘現場の様子やいくつもの謎や推測――たとえば、発掘を手伝うクルド人たちの奇異な雰囲気や、この神殿が聖書でいうところの「エデンの園」であった可能性といった要素が次々と明らかにされていく展開は、それだけで読者を惹きつけるのに充分な魅力をもつのだが、本書の本質は、むしろもうひとりの登場人物を中心として展開する筋のほうにこそある。

 それはロンドン警視庁の主任警部であるマーク・フォレスターを主観としており、彼はロンドンで発生した連続猟奇殺人事件を捜査する任に当たっているのだが、彼がまのあたりにしたのは、被害者の舌を切り取る、頭を地面に埋める、縛り付けて皮を剥ぐといった、考えるだけで身震いするような凄惨な殺害方法であり、さらに信じがたいことに、それが被害者が生きているうちに行なわれたという事実である。事件の起こった場所や、まるで儀式めいた殺人方法から、フォレスターはこれらの事件が過去に存在したカルトクラブに関係していること、そして犯人たちが何かを執拗に探していることを突き止めるが……。

 ギョベクリ・テペの発掘現場で起きた不審な死亡事故は、やがてロブとクリスティーヌを遺跡のさらなる秘密――「創世記」の秘密、人類発祥の謎へといざなうことになるのだが、このロブとフォレスター主任警部、いっけん無関係のように思えるふたつの物語を結びつけるものがあるとすれば、それは「生贄」という血なまぐさい儀式である。過去において、人間を生贄にするという儀式は、洋の東西を問わずさまざまな形でその実在が確認されているものであるが、本書を読み進めていくにつれて、その生々しさ、残酷さに、これが本当に自分たちと同じ人類が考えついたことなのだろうかと疑いたくなってしまう。そして現在、私たち人類は生身の人間を生贄にする過去の儀式を野蛮で低俗なものとして否定するいっぽうで、まるでその残虐性を補うかのように戦争を繰り返したり、また大量殺戮や猟奇的殺人事件を引き起こしたりする。

 人間の知恵と想像力は、さまざまな偉大な発見をもたらし、私たちの生活を格段に豊かなものにしていった。だが人間の知恵と想像力は、いかに多くの人間を効率的に殺傷するかという方向にも向けられている。じっさい、文明の発展は戦争によって引き起こされていると主張する学者たちもいるくらいであるが、もしそれが事実であるとすれば、人類というのはどこまで愚かなのだろうと思わずにはいられない。「生贄」という概念は、それが必要だと当時の人間が考えたからこそ生まれてきたものだ。であるなら、今の人間たちが大量殺戮を可能とする数々の兵器を使用し、お互いに争い続けるのも、それが必要だと判断しているからだと考えるのと、何の違いがあると言えるだろうか。

 そんなふうに考えると、本書の本質は考古学ロマンスなどという言葉で表現できるほど甘いものではなく、むしろ人間が「原罪」としてもつ加虐性、暴力性に対する恐怖を書いたものだと評したほうが妥当である。まるで、人の目から永遠に消し去ろうとするかのごとく地中に埋めらたれ古代の神殿は、どのような秘密を隠し持っていたのか、そしてそれがふたたび陽の目を見たときに、いったい何が解き放たれることになるのか――そこに絶望を見るのか、あるいは希望を見るのかは、読者の主観にまかせるしかない。(2011.11.10)

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