【富士見書房】
『ロケットガール』

野尻抱介著 

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 人類がはじめて月面に降り立った記念すべきあの日から、人類はいったい、どのくらい宇宙に近づいたのだろうか、とふと思うことがある。あれから三十年――科学技術は当時とは比べものにならないくらい進歩したにもかかわらず、一般の人達があまり前のように宇宙を旅行したり、宇宙ステーションで生活したりするようになる日は、残念ながら今もなお夢物語のままとなっているようだ。人々の目は、いつのまにか宇宙から離れてしまった。旧ソ連の崩壊にともなう冷戦の終結は、過熱していた宇宙開発競争に皮肉にも水を差し、バブルの崩壊以降、メディアが流す報道は、長引く不況、続発する凶悪犯罪といった、先の見えない未来への不安をあおるようなものばかりである。せっかく宇宙を目指してはばたこうと広げた翼は、しかし大地ががっちりとその両足をつかんでしまい、飛びたとうにも身動きがとれなくなっている、というのが宇宙開発の現状ではないだろうか。

 人類は、宇宙を目指すために生まれてきた、と私は随筆のほうに書いた。その想いは、今もなお変わってはいない。そして、宇宙を目指す心をもった人間が存在するかぎり、人類の未来にはまだ希望が残されているはずだ、という確信も。本書『ロケットガール』は、そんな私の想いをあらためて強くさせる作品だと言うことができる。

 本書は、低コストの有人ロケット打ち上げを目的とした「ソロモン宇宙協会」ではたらく、一風変わったスタッフ達と、そんな彼らの思惑にまんまと乗せられてしまったひとりの女子高生が繰り広げる、SFコメディーとも言うべき物語である。
 その幸運な(あるいは不運な)女子高生の名は、森田ゆかり。今から十六年前、ハネムーン先で失踪して以来、今もなお行方不明のままである父親を探してソロモン諸島にやってきたゆかりは、ひょんなことから「ソロモン宇宙協会」の所長である那須田勲と知り合い、父親を探す手伝いをしてもらうという条件つきで、その基地でアルバイトをすることになった。「ごく簡単な仕事」という言葉に、気軽な気持ちで応じたゆかりだったが、その裏には、あと半年で有人宇宙飛行を成功させなければ、基地を閉鎖すると通告されたスタッフ達が、その最後の望みをかけて開発しなければならない軽量ロケット――いまだかつて一度も打ちあげに成功していないそのロケットの「コンパクトな」宇宙飛行士として、健康優良児のゆかりを育ててしまおうという思惑があった……。

 ロケット製作の技術が、三十年以上も前に確立されてしまった、すでにハイテクでも何でも技術である事実も踏まえて、いかにして安価なロケットを製作し、打ち上げるか、という点でスタッフたちが奮闘するさまを描いた小説として、川端裕人の『夏のロケット』があるが、本書に関してはさすが富士見ファンタジア、というべきか、全体的な雰囲気はずいぶんと軽い。登場するスタッフも、どことなく胡散臭い言動をとる那須田所長をはじめ、ちょっとサドっ気のある妖しげな美女、医学主任の旭川さつきや、研究のこと以外にはとことん無頓着で、人とは感覚が何歩かズレている化学主任、サバイバル訓練と称して、本物の銃で銃撃戦ばかりやらせる保安主任など、かなり変な人達ばかりである。そんなスタッフのなかで唯一、もっとも常識人に近い場所にいるゆかりが、ときにはもみくちゃにされたり、ときにはハンストを決行したり、ときにはなんとか自分を宇宙飛行士にすることを諦めさせようと、いろいろ策略を巡らせたりする様子をおもしろおかしく描きながらも、ロケットや宇宙開発の技術について、ずいぶん詳しいところまで、あくまでわかりやすく書かれている点を評価しなければらない。

 だが、何より本書の良いところは、ごく普通の女子高生を、宇宙飛行士として宇宙に打ち上げてしまおうというその発想だ。そしてその裏に、宇宙飛行はもはや特別でも何でもない、その気にさえなればもっと手軽に実現できることなのだ、という著者の宇宙に対するあこがれを感じるのは、はたして私だけであろうか。

 本書には、宇宙飛行士はエリート中のエリート、国民的英雄である、というゆかりの先入観を、那須田所長が次のようにこともなげに打ち壊すシーンがある。

「アメリカやロシアが英雄扱いするんで誤解しがちだが、ありゃ国民から税金絞るための茶番だ。宇宙船の仕事はコンピュータがやってくれる。飛行士はただ座って、外でも眺めてりゃいいんだ。気楽なもんさ」

 もちろん、現実の世界でも、そして本書の中でも、事は口で言うほど簡単なものではない。だが、仮に女子高生が本当に宇宙へ飛び出すとしたら、どのようなことが必要となるのか――それぞれの国の思惑や国際事情などから、遅々として進まない宇宙事業、そして宇宙から関心をなくしつつある人々の目を、再び空へ向けるために、著者なりに調査し、想像力をはたらかせたひとつのシミュレーションとして、本書は意義のある作品としての仕上がりをみせたのではないだろうか。

 はたして、低コストの小型ロケットは本当に完成するのか? 完成したとして、本当に人を乗せて安全に飛ばすことができるのか? 行方不明のゆかりの父親はどこにいるのか? そして、普通の女子高生だったゆかりは、本当に宇宙飛行士になってしまうのか? 本書を読むと、あるいは本当に、NASAや宇宙開発事業団を出しぬいて、どこかの集団がロケットのひとつもつくりあげてしまいそうな、そんな楽しい可能性を抱いてしまいそうである。(2000.06.18)

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