【新潮社】
『黄金の羅針盤』

フィリップ・プルマン著/大久保寛訳 



 少年少女が冒険の旅に出る。さまざまな人たちとの出会いと別れを経験し、多くの苦難を乗り越えて、人として大きく成長していく――世の中にある多くの冒険譚が、その主人公として少年や少女を選ぶのは、たんに彼らがまだ、どんな人間にもなりえる可能性を秘めた、未完成な精神を宿している存在だからというだけでなく、日常から非日常へ、という明確な転換期を置くことで、身体だけでなく心も一人前の人間として成長してほしい、という書き手の願いが込められているからだろう。

 子どもというのは、今という現状が永遠に続くとまだ信じることができる生き物でもある。だが、私も含めた世の大人たちは、当人の意志とは関係なく、不意にそれまでの日常が日常でなくなる瞬間がやってくることを知っている。私たちはどれだけ望んでも、永遠のままでいることはできない。それは、冒険物語の主人公たちが、本人の意志とは無関係に冒険の渦中に巻き込まれてしまうのと同じようなものだ。そしてその渦中にいる少年少女が、自分たちがそのとき大きな転換期にいたのだと気がつくのは、いつもずっと後のことである。

 本書『黄金の羅針盤』は、「ライラの冒険シリーズ」と銘打ったシリーズ3部作の第1作目であるが、彼女にとっての日常――それはオックスフォード大学のジョーダン学寮であり、親代わりに彼女と接してきた学者や研究員たちであり、他の学寮や街に住む子どもたちとの、いささか過激な遊びであったのだが――が非日常へととって変わられることを冒険のはじまりとするのであれば、すでに本書の冒頭、ライラの尊敬する叔父であるアスリエル卿毒殺の陰謀をかぎつけてしまったときから、すでに彼女にとっての冒険ははじまっていた、と言うことができるだろう。

 こうした冒険ものでは、よく「まるで運命に導かれるように」というフレーズが使われたりするが、本書の物語構成はまさに「運命」というものを感じさせるような、複雑で絶妙なものだ。アスリエル卿が唐突に学者たちを呼び出しておこなった、北極調査に関する奇妙な報告の数々、ライラと同じ立場にいる読者にもよくわからない単語の謎――ライラは北極への興味をおおいにかきたてられるのだが、当然のことながら、子どもである彼女が北極探検に同行できるはずもなく、一度は彼女にとっての日常へと戻ることを余儀なくされるのだが、このときすでに、彼女の日常は少しずつ変わり始めていた。

 それはまず、子どもたちを誘拐していく「ゴブラー」と呼ばれる謎の集団が、ついにライラのいるオックスフォードにも出現し、彼女の一番の親友だったロジャーを連れ去ってしまったことからはじまり、またライラ自身、北極に詳しい魅力的なコールター夫人に付き添って学寮から出ていかなければならなくなる、という形でやってくる。否応なく行なわれる日常から非日常への転換――だが、そのコールター夫人が「ゴブラー」とつながりをもっており、また北極に向かったアスリエル卿を北極のどこかに監禁したということを知ったライラは、彼女のもとから逃れ、ジプシャンと呼ばれる船の流浪人たちとともに、さらわれた子どもたちを助けるために、北極への旅を開始する。こうした過程を経て、ようやくライラの本格的な冒険がはじまるのだ。

 はたして、誘拐された子どもたちはどこで何をされているのか。「ゴブラー」=献身評議会がおこなっている実験とは何なのか。オーロラに浮かぶ、もうひとつの世界の映像、大人たちにだけまとわりつき、子どもたちにはとりつかない素粒子「ダスト」の存在、何百年も生きる北極の魔女、そして「切り裂かれた子ども」――謎が謎を呼ぶ展開で、読者を物語世界へとしっかり引っ張りこむ本書のなかで、最大の謎ともいうべきなのは、その世界の人間に必ず対となって存在するダイモン(守護精霊)の存在だろう。そしてこのダイモンの存在によって、本書の世界が、私たちの現実世界における、一種のパラレルワールドであることを、読者は知ることになる。

 私たちの世界において、人は基本的には孤独な生き物だ。産まれ出るときも、死にゆくときも自分ひとり――それはまぎれもない事実ではあるが、その事実と常に正面から向き合って生きていけるほど人は強くはない。だからこそ、人はなんらかのつながりで他人と結びつくことを望むし、その結びつきがたしかなものであることを確認せずにはいられない。
 だが、本書の世界では、人は常にダイモンと結びついた状態で一生をすごす。それは精神的な結びつきであり、基本的にその絆を切り離すことができない。ライラにとって、ダイモンであるパンタライモンが常に自分のそばにいて、自分と魂を共有している、というのは、ごくあたり前のこととして認識されているし、読者はおそらく、孤独という名の闇を抱えている我が身をふりかえって、ダイモンの存在をうらやましく思うことだろう。自分が常にひとりじゃない、という感覚――おそらく、本書の世界に生きる人にとって、「孤独」という言葉は存在しない。だが、私たちが常に誰かと結びつきたいと考えるのと同様に、あるいは本書の世界の人間のなかには、ダイモンから切り離され、孤独になりたいと考える者がいるかもしれない、と考えるのは、それほど難しくはないはずだ。そしてそこには、子どものダイモンがさまざまな動物へとその姿を変えることができるのに対して、大人になった人間のダイモンが、ある特定の動物の姿に固定されてしまう、という物語世界の設定にも大きくかかわってくることになるのだ。

 自然にしたがうことと、自然であることに反発すること――ダイモンをもたない白熊の一族や、ダイモンをはるか遠くまでとばすことのできる魔女の存在、そして本書最大の謎について考えたとき、本書にはそうしたテーマも隠されているのかもしれない、とも思うのだが、それは本シリーズの全体を把握したときに、はじめてあきらかになることだろう。

 ともあれ、かけがえのないダイモンであるパンタライモンと、物事の真実を指し示す「真理計」を使って、何の力もない少女であるライラが、知恵をふりしぼって困難を乗り越えていくさまは、物語として爽快このうえないことだ。そんなライラの冒険物語に、あなたもきっと目が離せなくなるに違いない。(2002.06.21)

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