【新潮社】
『ごくらくちんみ』

杉浦日向子著 



 私の生まれ故郷は海産物の豊かな北陸地方になるのだが、そのせいか私の実家の食卓には、夕食のおかずの一品として、あたりまえのように刺身が並べられていたのをよく覚えている。食卓に刺身がある、という食事時の風景が、幼い私にとってはごく普通の、どこの家庭でも当然そうあるべきものと信じて疑わなかったイメージであり、それゆえに、大学入学のために上京して、はじめて刺身というものがけっこう高級なものであり、めったに食卓にのぼるものではない、むしろそれが普通なのだと気がついたときには、かなり強いカルチャーショックを感じたものだった。たとえば、サザエなどは私の実家では夏になれば海水浴がてらにタダで獲ってくるものであって、けっして珍しいものではなかったのだが、東京ではそういうわけにはいかない、という違いなど、こと魚介類の食に関するギャップは、私にとってそれなりに大きなものであり、故郷を離れてみて、はじめて自分がそれまでけっこうめぐまれた環境で育っていたのだと気づいた次第である。

 ところで、私は小さい頃、刺身というものがあまり好きではなかった。というか、生の魚を辛いだけのわさびをつけて食べるなど、正気の沙汰ではないとさえ思っていた。その頃の私は、どちらかといえばハンバーグやカレーライスといった、いかにも子どもたちが好きそうな脂っこいものが好きだった――いや、ハンバーグやカレーは今も好きだし、喫茶店ではチョコレートパフェをたのんでしまうほどの甘党だったりするのだが、不思議なことに、大きくなるにつれていろいろな刺身が食べられるようになり、最後まで駄目だったイカの刺身も、母方の親戚がその日に自家用ボートで釣ってきたという新鮮なイカを食べたときの、そのあまりのうまさに感激して、それ以来、およそどのような刺身も食べられる大人になった、という経緯があったりする。

 たとえば、子どもの頃は大人がいかにもうまそうに飲んでいるビールについて、よくこんな苦いものが飲めるもんだと不思議でしょうがなかったのだが、いつしか私も、かつての父親のようにビールをうまいと思うようになっていた。逆に言えば、刺身やビールといったものは、大人だからこそ味わうことのできるもの、言ってみれば「大人の味」であり、私もまたそういう意味では大人になった、ということなのだろう。本書『ごくらくちんみ』という本は、キャビアやエスカルゴ、つくだにといった有名どころから、梅干のミイラのような「うばい」や、鮎の内臓の塩漬けである「にがうるか」、鮫の心臓を指す「もうかの星」といった、はじめて聞くようなものまで、古今東西のさまざまな珍味をテーマに、ごくごく短い掌編を収録した作品集である。

「珍味は旨い食いもんたあ限らねえ。むしろ奇妙で異様な味だろう」と評しているのは、「ばくらい」と呼ばれる珍味の項に出てくる男であるが、なまこの腸の塩辛でほやを和えたというこの「ばくらい」に限らず、本書に登場する珍味たちは、たとえば虫の幼虫やさなぎであったり、ふぐの精巣であったり、豚の耳や鮭の頭の軟骨だったりと、およそ人間が食べるものとしては、下手をすると――いや、下手をしなくてもゲテモノ扱いされそうなものが多く、その旨さがわからない人にとっては、なぜそんな部位をわざわざ調理して食べるのか、と頭をひねりたくなるようなものばかりである。だがよくよく考えてみれば、この私にしたところで生の魚の身を刺身と称して食べているし、とくにうにや蟹味噌などは重宝しているけど、あれも最初に食材として食べた人は、よく食べる気になったと思わせるような部位である。

 たしかに珍味であり、なかなか食する機会のない食材でもある本書の珍味たち――そのせいか、それぞれの掌編で登場する人たちも、会社をリストラされた人や、オールドミス、何度か結婚と離婚を繰り返して現在独身という人など、ままならぬ人生に振りまわされているような人たちが圧倒的に多い。そして、これはほとんどすべての掌編について言えることだが、これらの珍味はそれ単品ではなく、必ず酒がペアとなった酒肴として登場する。つまり、本書における珍味とは、まさしく「大人の味」であり、人生の酸いも甘いも噛みしめた、経験豊かな大人だからこそ楽しむことのできるものなのだ。

 ちょっぴり嘗める。ちょっぴり呑む。舌にいつまでも濃厚にまとわりつく塩うには、荒磯の香りを充溢させる。そこへ、コニャックの芳醇なヴェルヴェットのようなふくらみのある酒が融和すると、己の体の輪郭さえ、部屋の空間に溶け、散華する恍惚感に包まれる。(『しおうに』より)

 珍味のもつ味わいをどのように表現すべきなのか、ひと口に表現するのは難しい。単純に甘いだけでも辛いだけでも、また酸っぱいだけでもない複雑な味わいは、さながら人間の複雑な人生模様の縮図である。だからこそ本書は、さまざまな珍味を紹介するために、それにふさわしい人生をかかえている人たちのひとコマを切りとってきたのだろう。そして、そのセンスはけっして目立つようなことはないものの、それゆえに読み手に深い味わいを残すことになる。とくに、珍味の味と人生の味をよく知っている大人の読者には、なおのこと。

 珍味さえあれば、安酒だって旨くなる。珍味さえあれば、どんなにつらくてもとりあえずは今を生きていくことができる――本当にうまいものは、しばしば人々に生きる力を与えてくれるものであるが、ハンバーグやカレーライス、あるいはチョコレートパフェといったストレートにうまいものではなく、見た目はグロテスクだったり、あまりお目にかかれなかったりする珍味というものは、ユーモアのなかにもどことない哀愁をただよわせる、複雑で、それゆえに格別な味わいをその中に隠し持っている。それはまさに、大人でなければ本当に味わうことのできない、大人の食べ物なのだ。(2005.08.25)

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