【東京創元社】
『クリスマスのフロスト』

R.D.ウィングフィールト著/芹澤恵訳 



 運が良いんだか悪いんだかよくわからないような運勢の持ち主がいる。いわゆる「悪運が強い」ということになるのだが、たんなる「悪運」ではなく、「悪運が強い」というところがミソだ。ただの「悪運」であれば「運が悪いこと」でしかないのだが、その後ろに「強い」という単語が加わると、本来であればマイナスの要素しかない「悪運」に対して、その影響を受けないどころか、むしろその悪運さえも利用して、最終的に良い結果を引き寄せるような人のことを指すようになる。

 人生においてトラブルはつきものであるし、運が良い時期もあれば、不運続きという時期もある。誰もが自分の思いどおりに生きていくことができれば、これほどハッピーなことはないのだろうが、残念なことに私たちの人生は、そうそう思いどおりにはならない運命にあるようであるし、じっさいにそのとおりでもある。言ってみれば、「悪運」というのはこちらの都合などおかまいなしに、常についてまわるものなのだ。となれば、「悪運が強い」人とそうでない人との違いというのは、けっきょくのところその「悪運」に対する個々の捉え方の違いにすぎないのではないか、とふと思うことがある。

 たとえば、交通事故に遭ったり、住んでいる家が火事で焼けるとかいった出来事は、その瞬間だけをとらえれば間違いなく「悪運」だ。だが、人生というより長いスパンで物事を眺めたときに、その「悪運」に遭遇したからこそ変化した部分が見えてくることがある。「悪運が強い」人というのは、そのスパンがより短い期間で起こるからこそ悪目立ちするだけであって、私たちにとってそもそも何が「悪運」で何がそうでないかというのは、時間の経過や環境の変化といった要素でいくらでも変化する可能性がある、ということである。

 ただし、これには大前提となるべきことがひとつだけある。それは「死なない」ということだ。「悪運」を経て、なお生き延びることができた者だけが、「悪運が強い」人になる第一条件なのである。本書『クリスマスのフロスト』に登場するジャック・フロストは、まさにそんなしぶとさをもつ人物である。

「確かにおれは、しょっちゅうへまをやってる」と彼はクライヴに言った。「だが、土壇場に強いのが取り柄でね。つきなんて、日ごろこつこつやってりゃ、めぐってくるってもんでもないのさ」

 ロンドンから遠く離れた田舎町デントンの警察署を舞台とする本書であるが、登場する人たちに共通することとして、いずれもなんらかの悪運に見舞われている、というのがある。そもそもこのデントン警察署の新顔として配属されることになったクライヴ・バーナードからして、せっかく刑事になったにもかかわらず、栄光のロンドンではなくこんな田舎町に配属されたという事実に不満たらたらという状態なのだ。しかもデントンについて早々、アップヒル夫人のひとり娘の失踪や、銀行の正面玄関をこじ開けようとした跡が見つかるといった事件が連続し、おちおち休んでもいられない。だが、彼にとって最大の悪運は、ジャック・フロスト警部とコンビを組まされる羽目になったことだと言える。

 よれよれのレインコートにえび茶色のマフラー、生え際がすっかり後退した髪の毛という、どこかうだつのあがらない風貌の刑事フロストは、きわどい冗談を連発したり、人にちょっとしたいたずらを仕掛けたりする下品なところがあるばかりか、とかく規律遵守が問われる警察のなかにあって、およそ服務規程をまともに守らず、上司の命令はしょっちゅう忘れてしまうという意味で、異端的な人物として登場する。事務処理が大の苦手で、机の上には放り出された書類が山と積まれたまま放置、事件の捜査についても、はじめこそ張り切ってとりかかるものの、しばらくするとすぐに飽きてしまう。そのくせ重度の仕事中毒で、誰よりも早く仕事場に来て誰よりも遅くまで仕事をしてしまうという彼であるが、しかしながらそのだらしなさゆえに、同僚や部下たちには意想外に慕われていたりする。なぜならフロストの「だらしなさ」は、自身をまったく飾ろうとしない性格――自分を取り繕うことにすら無頓着でだらしがないという性格につながるものであるからだ。

 本書を読み進めていくとすぐに気がつくことだが、デントン警察署のお偉方たちは、事件の解決以前に署内における自身の昇進や出世のことで頭がいっぱいだったりする。その象徴が署長であるマレットであるが、彼は規律や上下関係といった決まりごとに「だらしない」フロストのことを目のたんこぶのごとく嫌っている。だがやっかいなことに、フロストは過去に名誉ある「ジョージ十字勲章」を受けた者のひとりであり、自身の体面上おいそれと彼をお払い箱にできないというジレンマを抱えていたりするのだから、なんとも味のあるキャラクターである。本書に登場する人たちの、ひとクセもふたクセもあるそうしたキャラクター性もまた、本書の魅力のひとつだと言えるが、それ以上に特徴的なのが、やはりフロスト警部の「悪運の強さ」である。そしてその悪運は、本書のなかでは刑事事件との遭遇率という形で関係してくることになる。

 物語の冒頭で、少女の失踪と銀行襲撃のふたつの事件が起こっているが、これらの捜査にフロストがかかわることで、さらに別の事件が引き寄せられていく。地面を掘り返せば何十年も前に死亡した男の白骨遺体を発見してしまうし、家宅捜索をすればその人の恥ずかしい、犯罪まがいの趣味を発見する。トラックを止めて荷物をあらためてみれば、たまたま大量の盗難物を運搬する最中のトラックだったりするし、署内ではしょっちゅう小銭が紛失するという事件の真相を見抜いてしまう。まるで何かに吸い寄せられるかのように、次々と事件が起こり、しかしフロストのだらしない性格ゆえにあるときは別の同僚にその手柄と処理を丸投げし、あるときは見なかったことにし、あるときは表沙汰にすることなくすべてが丸く収まるような方策を考える。

 フロストのなかには、その言動の規律となるような部分が存在しない。自身を貫く信念とか、固い意思といったものは、彼からもっとも遠いところにあるものだ。だがフロストの場合、そのだらしなさが逆に物事への柔軟な対応という形で作用していくことになる。もしこれがマレットのような人物であれば、すべてを自分の手柄として処理しようと躍起になるところであるが、そうしたあからさまな思惑とは無縁のところにいるからこそ、フロストという人間臭いキャラクターが大きな魅力となっていく。

 警察という組織は人の悪運があるからこそ必要とされているものであり、それゆえに人の心の闇やその陰惨さをまのあたりにする機会にだけはめぐまれている。そして警察が法の番人である以上、決められた事柄に対して粛々と従うという姿勢は、むしろあたりまえのことでもある。だが、彼らとて血のかよった人間だ。とかく人を不幸にする悪運と対峙するような、気の滅入る業務のなかにあって、このうえなく無作法でがさつなフロストの存在は、警察というお固い組織の構成員もまた、まぎれもない人間であることを思い出させてくれる。それでなくとも、本書のなかで起こった事件は、多くの人の人生を一変させ、また多くの不幸を振りまいてしまっている。はたして、フロストのような悪運の強い人物が、今回の一連の事件にどのような決着をつけることになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2013.12.05)

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