【角川書店】
『仄暗い水の底から』

鈴木光司著 

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 小さい頃に読んだ絵本の中に、水の生成流転を、水滴を模したキャラクターの冒険物語としてわかりやすく紹介していたものがあったのを覚えている。雲となって空に浮かんでいた水蒸気が冷やされて、雨となって山に降り、それが川の流れとなって平野へと下っていく。川はやがて海に出て、太陽の熱で暖められた海水が水蒸気となってふたたび空へと還っていく――私たちの暮らしに密着し、ごく身近なものとして手に入れることのできる水、その壮大な循環は、今にして思えば人が生まれ、子どもを成し、そして死んでいくという生命の循環と非常に良く似たものを感じさせる。父から子へ、そして孫へ――ただ生まれては死んでいくだけの、無限に続くかのような繰り返しのなかで、それでも人間は自分の遺伝子を、知恵を、そして意志の力を子孫に託し、未来に伝えようとする。そういう意味で、『利己的遺伝子』を著したR・ドーキンスの見解は正しい。ただの乗り物であろうが、生存機械であろうが、私たちはやはり何かを運ぶために生きているのである。
 そして何かを運ぶ、ということであれば、水の流れもまた同様だ。ためしに海岸に出てみれば、そこには水の流れが運んできたさまざまなものが打ち揚げられていることだろう。その大部分は、人間が出したただのゴミだ。人はそのゴミの山に、あまり良い顔をしないかもしれない。だが、もとより水の流れには固有の意志などないのだから、水に何を流すかは、人間次第だと言える。もしかしたらそれらのゴミのなかには、何かとんでもない物語を秘めた宝物が眠っているかもしれないのだ。

 本書『仄暗い水の底から』に収められている七つの短編は、ある老女が孫娘に語ってきかせるちょっと怖い話、という体裁をとっている。三浦半島の東端、観音崎まで散歩にやって来た老女と孫娘は、岬の展望広場から見渡せる東京湾を背景に、その波間に漂う漂流物にそれぞれ想いをめぐらせる。漂流物を媒介にして、老女がその豊かな想像力でつくりあげる七つのストーリー ――それらに共通するものがあるとすれば、ひとつは東京湾やそこに注ぎ込む河川など、水をテーマにした物語であること、そしてもうひとつは、水が喚起する想像力が生み出す恐怖、ということになるだろうか。

 たとえば『浮遊する水』では、東京湾の埋立地に建つ七階建てのマンションに引っ越してきた母子が登場するが、潔癖症の淑美(それが原因で夫とも離婚している)が、マンション内でおきたちょっとした奇怪な出来事から、自分達が毎日のように使っている水道水、それを溜めておく高架水槽のなかに、子どもの死体が浮いているのではないか、という妄想にとりつかれるという、なんとも皮肉な展開となっているし、『夢の島クルーズ』では、外資系マルチ商法への勧誘の手段として、逃げ場のない海に出ることができるクルージングを利用していた牛島夫婦の「夢の実現」の証でもあるヨットが、突如走行不能に陥ってしまうのだが、その原因がどうやら、子どもの死体が引っかかってしまったことにあるとわかり、その想像力がもたらす恐怖によって手ひどいしっぺ返しをくらう、という話である。そして、本書の構成として面白いのは、七つの短編のうち最初の五編が、たとえば夫婦間の不和であるとか、幼児への虐待であるとか、心の中に巣食っている破壊衝動といった、人間の持つ負の感情から引き起こされる、病的とも言える妄想をとり扱っており、登場人物たちは一様に、家族を持つこと、自分の遺伝子を子孫に託すこと(あるいは託したこと)を否定し、後悔しているのに対して、残りの二編に関しては、人間の想像力を肯定する方向にストーリーが展開していく、という点である。

『ウォーター・カラー』では、常に新しいものを志向する劇団「海臨丸」の主催者兼演出家である清原健三が、水をテーマにした斬新な演劇にとり組むことで、水がもたらす陰湿な想像力に果敢に挑戦しようとしているし、最後の『海に沈む森』に関しては――おそらく著者がもっとも書きたかった作品であろうと私は思うのだが――人跡未踏の洞窟に閉じ込められてしまった杉山文彦が、絶えず流転する水の流れのなかに、息子に対するありったけの想いと未来への可能性をこめるという、じつに感動的なストーリーとなっている。そして、その想いと可能性は、地球上に蔓延する悪意を押しのけるかのように、人から人へと巡っていくのである。

 言うまでもないことだが、地球は水の惑星である。そして私たちを含めたすべての生命は、水の恩恵なくしては生きられない。そういう意味で、水はまさしく万物の命をはぐくむ源であり、あらゆる動植物の死を、その身に受けいれてくれる存在なのである。私たち人間が地球上に発生する何億年も前から変わらぬ生成流転を繰り返してきた水――その気の遠くなるような歳月を積み重ねてきた水の流れを考えると、そこには人知では計り知れない何かが存在すると考えても不思議ではないような気さえしてくる。

 現に、地上のほとんどを探険しつくした人間の力を持ってさえ、地球の三分の二を覆う海の世界に対しては、今もなお手探り状態であり、また海には、人魚伝説や魔のバミューダ海域、巨大生物、そしていっさいの光が届かない深海世界など、多くの謎と不思議に満ちている。海がもつ、光と闇の二面性――豊穣と安らぎの象徴であると同時に、底知れぬ恐怖の元凶ともなりうる海、そしてその流転のなかに、著者はもしかしたら、善と悪をあわせもつ人間の二面性を見出したのではないだろうか。そして、だからこそこの一連の短編集を、たんなるホラー小説として終わらせるのではなく、生と死を繰り返す人間、その伝える力に秘められた可能性をほのめかす一作を加えたのではないだろうか。

 私たち人間のなかに、良い人も悪い人もいろいろ混じっているのと同じように、波間を漂うゴミもまた、一様ではありえない。たしかに、それらのほとんどは、ただのゴミなのかもしれないが、そのゴミたちが持つ、それぞれの物語を喚起する想像力に気がついた人だけが、そのなかからキラリと光る宝物を見つけ出すことができるのだ。本書のプロローグで登場した老女が、エピローグで孫娘に手渡した「宝物」とは何なのか――人間の伝える力の大きさ、偉大さを、ぜひとも味わってほしい。(2000.04.08)

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