【講談社】
『新世界より』

貴志祐介著 



 私はこれまで拳銃という武器をもったことはないのだが、引き金を引くという単純な動作で人を殺傷せしめる拳銃は、それを手にした人間に、いずれその威力を試してみたいという衝動を――より具体的に言うなら、他の生き物や、同じ人間に対して、拳銃を発砲してみたいという衝動を起こさせるものだ、という話を聞いたことがある。

 どれだけ言いつくろったところで、拳銃は人殺しの道具であり、そのために発達した武器であるというのが厳然たる事実である。そうである以上、拳銃をもつということが、そのまま誰かを撃ち殺すという結果につながったとしても、それはある意味で当然の帰結だと言えなくもない。もちろん、私たちは拳銃であれナイフであれ、人を傷つけ殺すという行為に対して大きな抵抗を感じずにはいられない。言うまでもなく、殺人がこのうえなくとり返しのつかないことであることを知っているし、そうするには相当の覚悟が必要であることも知っている。

 だが、同時に私たちは、ちょっとしたことで感情的になったり、心の均衡が揺らいだりして、自分でも思ってもいない言動をとってしまう生き物でもある。私にしたところで、怒りで相手を殺してやりたいと思ったことが一度もないかと問われれば、あると答えざるを得ないし、それは他の人についても言えることだろう。もしそのとき、自分の手に拳銃があったとしたら、そしてそのとき、怒りで頭に血がのぼり、正常な判断ができないような状況だったとしたら、はたして自分がどのような行動をとってしまうのか、正直なところ見当もつかない。自分という存在は、私たちが思っている以上に油断のならないものなのだ。

 私たちはまず、日本列島だけで五万発から六万発の核兵器をしのぐ脅威が存在するというところから、考えなくてはならないの。……そのうち二つが、行方不明になったとき、たかが二つと言って片付けられるかしら?

 本書『新世界より』を評するにあたって、まず述べておかなければならないのは、本書の舞台となっている日本が、私たちがよく知っている日本とはまったく異なる世界だということである。語り手である渡辺早季が、千年後の同胞にあてた手記という形で展開していくその世界では、語り手たちは神栖66町という、七つの郷が寄り集まってできた町に住んでおり、八丁標という注連縄が町と外界を隔てている。そして町の外には、バケネズミや悪鬼、業魔といった魑魅魍魎がうごめいており、町は八丁標の呪力によって守られているという。小さい頃から、けっして八丁標の外に出てはいけないと教えられてきた早季は、やがて通過儀礼を経て子供時代を脱し、自身も呪力の使い手として全人学級にあがり、より高度な呪力の使い方を学ぶことになる。そしてそれが、この世界に生きる人たちがごく普通に経ていく人生の過程であることが知れる。

 私たち読者がよく知る科学技術の代わりに、念動力を中心とする「呪力」が中心となって発達した文明社会であるが、貨幣経済や交通網はすでに存在せず、また少なくとも数百年という時の流れがあったことを匂わせながら、けっして高度な文明の発達があったようには思えない世界が、そこには描かれている。そして、早季たち登場人物は、ごくごく限られた世界のなかで充足している。それは、少年少女ではあれば誰しもが似たようなものではあるが、本書の世界において特徴的なのは、語り手自身も言及し、また少しずつ変だとも思っているように、その「限られた世界」感がひどく人為的な雰囲気を漂わせている点である。

 たとえば、早季たちの班にいた、呪力の素質が極端に低かった女の子や、別の班にいた、競技でルール破りをあえておこなった男の子などが、知らないうちにクラスから消えていて、そのことに何の疑問もいだかないということ。校舎の中庭にある、けっして中に入ることの許されない場所の存在。ひそかに人を攫ってしまうというネコダマシなる怪物の噂や、図書館がありながら、その蔵書閲覧に関しては厳しく制限されているということ――そうした、いくつもの不自然な部分から見えてくるのは、いっけん穏やかで何の争いも心配事もない平和な世界のようでいて、じつは子どもたちはもちろん、人類全体が徹底して管理されている、何の自由もない、そもそも自由であるという意思すらコントロールされている世界の様相である。そして物語は、夏季キャンプにおいて早季たちが経験する尋常でない出来事を語ることになる。それは、早季たちが薄々気づきつつあった管理社会を裏づける事実と、過去において何が起こり、なぜ今のような世界が形成されていったのか、という秘密へとつながる出来事でもあった……。

 本書は常に、そうしたさまざまな謎で覆い尽くされた自身の住む世界に疑念をいだき、その真相を明らかにしていく方向で進んでいく。そういう意味では本書も立派なミステリーとして位置づけられる作品だと言うことができる。だが、これは著者の作品に一貫するものでもあるが、ある事実が表沙汰になることによって事態が好転するというよりも、むしろ人間の闇の部分、その愚かさや醜さ、どうしようもない傲慢さや残虐性といった側面を否応なく突きつけられたり、それまで絶対と信じていたものが脆くも瓦解してしまうという、なんとも後味の悪い展開を迎えることが圧倒的に多い。この書評の冒頭で、私は拳銃のことを語ったが、同じように例えるなら、自分にはそれを使いこなすだけの資質があると思って手に入れた拳銃が、じつは対人兵器としてはまったくの無力であるどころか、人に向けたとたん、暴発するような仕掛けが施されていた、ということになるだろうか。

 その手の達人クラスともなれば、核兵器に匹敵する破壊力をおよぼすことさえ可能だという呪力――本書に書かれている世界は、身に余りすぎる力を手に入れてしまった人類が、どうしようもなく抱かずにはいられない恐怖や疑心暗鬼がもたらした世界であり、同時に、その特別な力がもたらす底知れぬ優越感を満足させるために作り出された世界でもある。そしてそれゆえに、この物語のなかの世界はどこかがひどく歪んでおり、それがさまざまな形で読者の心を刺激することになる。その最たる例が、バケネズミたちの存在だ。もともとはハダカデバネズミというげっ歯類でありながら、人に近い知能を有し、人類のために労働力を提供してくれるバケネズミたちは、呪力をもつ人間の前ではなすすべもなく殺されても文句の言えない存在でしかない。物語のなかで、早季たちは彼らとさまざまな形でかかわりをもち、ときには呪力を行使して彼らを殺したりもするのだが、本書を読んでいるうちに、そのバケネズミたちの妙に人間臭い部分が目につくようになり、読者はまるでバケネズミこそが人間であるかのような錯覚に陥ることになる。だが、そうであるとすれば、呪力という能力をもつ早季たち人間は、いったい何者だというのか。

 神栖66町の外では、知性をもつバケネズミたちがそれぞれの集落をもち、その集落間で絶え間ない争いをつづけていた。そしてその火種は、ある日突如として人間たちの住む世界に飛び火することになる。そしてそれは、過去に私たち人類が延々とくり返してきた歴史でもある。それまでほんの小さな世界しか知らなかった語り手たちが、成長とともにより大きな世界を知るようになる――それは青春小説のひとつのパターンではあるが、その隠された世界の真相が、ただただ人間の愚かさを露呈するものでしかなかった、という点こそが本書の読みどころであり、また著者の容赦のないところでもある。

 拳銃という武器が人を殺傷するのを食い止めるために、今の日本では拳銃の所持そのものが厳しく規制されている。だが、それでもなお拳銃は日本で流通しているし、たとえ拳銃がなかったとしても、無差別テロといった痛ましい事件は抑えることができない。人は、はたして本当の意味で「自由」になれるのだろうか。拳銃という武器をもちながら、なおお互いを信用し、尊重していけるだけの高度な精神でもってより高みにのぼっていけるのだろうか。それとも人は、千年経ってもなお愚かなままなのだろうか。かつてない未来の世界を描いた本書には、そうした人類へのメッセージが、たしかに刻まれている。(2009.03.08)

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