【早川書房】
『ミレニアム2』
−火と戯れる女−

スティーグ・ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・山田美明訳 



 ここ十年ほど、ネット上でささやかながら本の書評めいたことを続けていてつくづく思うのは、たとえばある本に対して単純に「面白い」「つまらない」という判断をつけてしまうことの難しさと、そうしてしまうことへのある種の恐ろしさということである。

 もちろん、そもそもこのサイトが「読んだ本は意地でも褒める」、より正確には、どんな本であってもどこかに良い部分があるはずだ、という信念のもとに更新をつづけている以上、たとえば段階評価といった、ある程度わかりやすい評価方法を取り入れる気は当初からなかったが、そんな私でも、物事に対してはっきりとした評価をつけることができたら、という気持ちは以前から強くあった。とくに私たちがコミュニケーションの道具として使う言葉について、単純に情報伝達のためだけに特化して用いられるものであれば、世の中はもっとシンプルな姿形になっていたのではないか、とすら思う。話し言葉にしろ書き言葉にしろ、それを額面どおりに受け取ればいい、ということは現実にはあまりない。その言葉の裏にふくまれている微妙なニュアンスや声の響きから、ひとつの言葉がいくつもの意味合いをもつことは日常的にありえるし、ニュース記事ひとつとっても、何が書かれているのかだけでなく、何が書かれていないのか、といった部分を考慮したうえで、その意図を読み解く必要がある。

 自分が思っていることや感じていることを、言葉で説明するのは難しい。より正確に記そうとすればするほど、より多くの言葉を費やさなければならず、しかもどれだけ言葉を尽くしたところで、限りなく100%に近くなるかもしれないが、完全に100%になることはない。ましてや、他人の考えていることとなると、さらに理解するのが困難になる。そんなとき、「この人はこういう人だ」と決めつけることができれば、そのことにそれ以上思い悩まなくてもすむ。だがそれは、その人の別の側面、異なるアプローチからの評価といったものを最初から切り捨ててしまうことにもなる。

「ええ。リスベット独自の道徳観です。自分がしたくないことは、何があっても絶対にしません。リスベットの世界では、言ってみれば、物事はすべて“いい”か“悪い”かのどちらかなんです」

 前作『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』で、一大企業グループを経営するヴァンケル一族が長年抱えていた謎を解明する過程で知り合うことになったミカエル・ブルムクヴィストと、リスベット・サランデル――しかしながら、今回紹介する本書『ミレニアム2 火と戯れる女』において、ふたりが直接出会うことはほとんどない。もともと人づきあいが極端に苦手であり、また過去の抑圧された子ども時代ゆえに、真に他人を信用することの滅多にないリスベットではあるが、前作の事件においては文字どおり生死をくぐりぬけ、恋愛感情にも近い想いすらいだいていたはずのミカエルに対して、今回彼女は徹底して冷たい態度をとりつづけ、意図的に彼との接触を断とうとする。それは、ミカエルのある種奔放な女性関係が原因であるのだが、このリスベットのミカエルに対する態度こそが、じつはこのシリーズを読み解くうえでの重要な要素ではないかという思いがある。

 なぜなら、自分に対して真摯な人間については、こちらもそれなりの誠意を示す――相手が自分に敵対するのであれば、徹底して抗戦するのと同じように――という強固な意志をもってそれまで生きてきた彼女にとって、ミカエルの存在は、それまで保ってきた価値観では推し量ることのできない何かを感じさせるものであり、それはリスベットをひどく戸惑わせるものであるからだ。上述の引用にあるように、物事を独自の価値観で「良いもの」と「悪いもの」とに振り分けてしまうのがリスベットという人間なのだが、おそらくミカエルははじめての「どちらでもないもの」という分類に入る人間となっている。

 人間の性質はけっして単純なものではないし、根っからの善人も根っからの悪人も存在しない。そしてそんなことは、リスベットも当の昔から気づいていることでもある。だが、にもかかわらず彼女が物事を「良い」「悪い」の単純な振り分けをしてしまうのは、逆に言えばその振り分けに対する全責任を背負う覚悟の表れでもある。まるで写真でも撮るように、一度見たものはけっして忘れない映像記憶能力や、ハッカーとしてのたぐい稀な才能のある彼女は、その気になればあらゆる情報を手に入れることが可能であるが、そうした情報収集能力が、彼女の価値判断の大きな後ろ盾になっていたことは、想像に難くない。

 だが、そんなリスベットにとって理解の外にあるのが、恋愛という感情だ。誰かを愛する気持ちというのは、たんなる性愛とはまた別の次元のものであり、それはどれだけ情報をかき集めてきても、理解はできるかもしれないが実感はできないたぐいのものである。

 本書を読みすすめていくとわかってくることであるが、リスベットにかぎらず、ミカエルもまた物事の善悪をはっきり区別する――良いものは良い、悪いものは悪いという判断を重要視する人物であり、それゆえに彼は社会派ジャーナリストとして雑誌「ミレニアム」の発行責任者たりえている。リスベットとミカエルがある意味よく似た者どうしであることは、前作の書評でも指摘したが、ただたんに外から与えられた情報に流されるのではなく、独自に調査を重ねて情報を集め、まぎれもない事実をはっきりさせたうえで善悪を判断するという姿勢においても、ふたりには共通する部分があると言える。

 いっけんすると、関係が断絶してしまったように思えるミカエルとリスベット――そんなふたりが、どのような過程を経てふたたび関係をとり結ぶことになるのかも、本書の大きな関心事のひとつであるが、散発的に発生するいくつかの小さな事件がしだいにひとつの大きな事件へと結びついていく物語の構成や、興味深い謎や伏線をいくつも用意して読者の興味を惹きつけるところなど、情報の使い方が秀逸なのも本書の大きな特長のひとつである。そして今回リスベットは、「ミレニアム」から人身売買と強制売春にかんする告発本を出版しようとしていたジャーナリスト殺人事件の重要参考人として指名手配されることになるが、何より女性を虐げる男性を憎むはずの彼女が、事件の犯人であるとはどうしても思えないミカエルの独自の調査は、リスベットの知られざる過去へと彼をいざなうことになる。

 ミカエルとの関係を絶とうとするリスベットと、そんな彼女のことが理解できないミカエル――だが、ひとつの殺人事件がふたたびふたりを結びつけずにはいられなくなる。そして前作が、おもにミカエルのかかえる問題をリスベットが手助けするという形だったのに対して、本書の場合は立場が逆で、リスベットの窮地をミカエルがなんとかしようと奮闘するという形となっている。相手のことを完全に理解はできないかもしれない、だが、それでもなお相手を信頼することはできるし、敬意をもって接することもできる、というミカエルの信念がはたしてリスベットの心境にどのような変化をもたらすのか――あるいは、すべてが手遅れになってしまうのか、その意想外なラストもふくめて、ぜひたしかめてもらいたい。(2010.06.28)

ホームへ