【河出書房新社】
『フレア』

大鋸一正著 
第33回文藝賞優秀作 



 男の私に女の気持ちがわかる、などと言うつもりはないが、それでも考えずにはいられない。彼女をあそこまで追いつめていったものは何だったのか、と。
 心から愛する人と別れてしまったことだろうか。
 その人の子供を堕ろしてしまったことだろうか。
 それとも、そういった過ちをもう一度繰り返さなければならなくなってしまった現状だろうか。

 本書『フレア』の全体に漂っているのは、重くたれこめた雨雲のような憂鬱感だ。起きるのがどうしようもなくつらくなる朝の低血圧、誰にでもできるルーチンワークをひたすらこなす毎日の仕事――およそ明るい未来など想像することすらできないキョーコにとって、今、自分に好きな人がいる、ということだけが唯一の生きる希望だったと言っていいだろう。今はコーイチという男、昔はモトヒコという男だ。
 キョーコがモトヒコの恋人だった頃、彼女がどこで何をしていたのか、本書にははっきりとは書かれていない。だから、なぜ彼女がモトヒコに黙って子供を堕ろしてしまったのかも、はっきりとしたことはわからない。だが、結果としてキョーコとモトヒコは別れてしまう。そしてキョーコはそのことをひどく後悔している。

 私は想像してみる。自分の恋人がある日「あなたの子供を堕ろしてきたの」と語ったとき、私はどんな気持ちになるのだろうか、と。私はしばらく、その言葉の意味をよく吟味してみて――あるいは「今何て言った」などと聞き返すかもしれないし、「冗談だろ」とも言うかもしれない――こまかいところはよくわからないが、おそらく、最終的にはなぜそんなことをしたのか、と彼女に訊ねることになるだろう。モトヒコのように本気で怒りだすのか、それともコーイチのように黙って彼女の前から消えてしまうのか、それはその理由を聞いたあと――もしかしたら、何も答えてくれないかもしれないが――でなければわからないが、どちらにしろ、その事がふたりの間の大きなわだかまりになってしまうことは間違いなさそうだ。できるなら、そんなことにはなってほしくない。

 キョーコの場合は、堕胎によってモトヒコと、モトヒコの子供とを同時に失うことになってしまった。そしてコーイチのときも。妊娠していることを告げたキョーコは「好きだ」と繰り返すコーイチの言葉を聞きながら、それが嘘だと感じる。

 コーイチはわたしと別れるつもりだ。コーイチはわたしを説得するつもりだ。子供を堕ろさせてそれから別れる考えだ。今はまだ口にしない。コーイチはわたしの扱いがうまい。少しずつ、少しずつわたしはコーイチにときほぐされてゆく。いずれコーイチに説得されるだろう。コーイチの思いどおりに二人目の子供を堕ろして、独りぼっちになる。

 彼女を追いつめていったもの――それは、自分がたったひとりになってしまうことだったのではないだろか。ただ失恋してフリーになる、といった生易しいものではない。それは文字どおり、自分の体の一部をごっそり持っていかれたあげくにひとり、世界に取り残されてしまうことなのだ。その圧倒的なまでの喪失感に心が砕かれたとき、キョーコは……。

 フレア――辞書を引くと、そこには(一瞬の)炎の輝き、とある。本書のタイトルとして付けられた『フレア』は、あるいはあまりに儚く弾けてしまう生命の炎を象徴したかったのかもしれない。(1999.04.19)

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