【国書刊行会】
『フィデリティ・ダヴの大仕事』

ロイ・ヴィカーズ著/平山雄一訳 

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 私は詐欺師がこの世の何よりも嫌いであり、すべての詐欺行為を働いた者は問答無用で死刑にするべきだとすら考えている人間であるが、その嫌悪感がどこから来るのかについて考えたとき、詐欺師と呼ばれる者たちが口にする「約束」について、はなからその履行を考えていない、あるいははじめから約束を破ることを前提に話をしているという態度にたどり着くことになる。しかも彼らは、人の心の弱さにつけこむのに巧みなことが多く、それは目的のためにどんな卑怯な手段を使ってもかまわない、という精神とも結びついている。

 敵の弱点をつく、というのは、戦いにおける定石ではあるが、それは相手もまた自分を勝負の相手として認識している場合にかぎられる。詐欺を行なう者は、自分は相手を敵としてとらえているのにもかかわらず、相手は自分を味方だと思わせようとしているということになる。そしてこうなると、詐欺師にとっての詐欺の対象は、対戦相手ですらなくなる。たんなる無害な金づる程度の認識となってしまうのだ。そこには、少なくとも対等な人間どうしの関係は存在しない。だからこそ私は、相手の信頼を得ていながら、その信頼を裏切って目的をはたそうとする詐欺師をこの世の何よりも憎むのだ。

 さて、今回紹介する本書『フィデリティ・ダヴの大仕事』は、ある稀代の女詐欺師の活躍する短編集であるが、彼女の詐欺行為が稀代の詐欺師嫌いの私をして、嫌悪感どころかこのうえない爽快感を与えてくれるものであることを、まずは述べておかなければならない。そしてそれはひとえに、この女詐欺師――フィデリティ・ダヴの個性的なキャラクターに拠るものである。

 あなたがただのペテン師だったら、まだ僕も我慢できるんだ。そこがあなたの不思議なところなんだよ、フィデリティ。そして恐ろしいんだ。顔はまるで天使みたいだし、声は死んだおふくろを思い出させる。

(『顔が命』より)

 全部で12の短編を収めた本書のなかで、常に誰もが思いもしないような大掛かりで手の込んだ詐欺行為を、しかもけっして逃げも隠れもせずに堂々とやってのけるフィデリティ・ダヴのキャラクター性について、いったんは「個性的」という単語をもちいたものの、いざ彼女の性格や特徴といったものを説明しようとすると、とたんにすべては深い霧のなかに包まれていて、はっきりしたところはほとんど見通せないことに気づくことになる。じっさい、彼女がどのような素性の人物で、その過去に何があり、そしてふだんは何をして過ごしているのかといった情報は、本書のなかにはいっさい出てこない。わかるのは、フィデリティが常に灰色の服を好んで着ること、人を虜にする美貌の持ち主であること、それなりの資産をもっており、詐欺行為の手助けをする腹心ともいうべき仲間たちが複数人いるということくらいのものだ。

 本書を読み進めていくとわかってくることであるが、この短編集の読みどころは、あくまで華麗な女詐欺師が、どのようにしてあくどい資産家から金品を巻き上げていくか、という一点に集約されており、それ以外の部分については余計なものとして切り捨てていこうという書き手の意思が見てとれる。フィデリティの素性にかんする情報の少なさも、そうした本書の性質からすれば、いかにも納得のいくものであるのだが、その情報量の少なさが、女詐欺師としての彼女の不思議さ、神秘さというひとつの「個性」をより強調する役目をはたしていると言うことができる。

 とはいうものの、フィデリティ・ダヴという女性について、そのいっさいが謎というわけではない。彼女の詐欺行為に対する特定のスタンスから、いくつか見えてくるものもある。そしてその筆頭として挙げられるものが、彼女の「仕事」に対するクールさという点である。

 余計な描写を極力そぎ落としている本書において、フィデリティの感情や心理というのも例外ではない。それゆえの彼女の、ペテンを仕掛けるさいの冷静さ――何事にもけっして心を動かされないという冷静さが際立つという側面もあるのだが、何より彼女の冷静さは、その詐欺行為がけっして金目当てのものではなく、むしろ誰かをまんまと騙してあっと言わせるスリルを楽しむためのものであることからも見てとれる。

 じっさい、フィデリティが「仕事」をおこなうきっかけは、誰からの庇護も受けられず貧困にあえぐ弱者に手を差しのべるというパターンが定石であり、それは必然的に、そうした弱者を食い物にしている「悪者」としての資産家や貴族という詐欺のターゲットと結びついている。そして彼女は自身の詐欺師としての才能と、仲間たちの豊富な専門知識をフルに活用して、まんまと相手から大金や高価な宝石といったものを、違法スレスレのやり方で巻き上げていくのだが、そうして手に入れた大金を、あえてどこかの慈善団体への寄付や、労働者の賃金を倍にするといった、きわめてささやかな願いを叶えるために使い、自身には詐欺にかかった必要経費プラスアルファ程度で(とはいってもそれなりの金額ではあるが)済ませていることが大半である。

 言ってみれば、本書の物語には「悪者をこらしめて弱者を救う」という勧善懲悪ものの流れの王道があるのだが、重要なのはフィデリティ自身がある意味で悪党であること、そして詐欺の相手から根こそぎ金品を巻き上げやろうというあくどさはなく、その詐欺行為の大掛かりなやり方とは裏腹に、手に入れるものはけっこうささやかなものであるという点だ。彼女にとって詐欺とは、一種の競技であるかのような厳正さをともなうものであり、けっして善意ある者をさらに不幸にするようなものではない。そしてそれを裏づけるかのように、彼女はその詐欺行為において常に本名を名乗り、スコットランド・ヤードの前に突き出されてもけっしてうろたえず、まるで自分が聖人君子であるかのごとく、じつに堂々と金品を手中にしてしまうのだ。そこに何らかのロマンスを感じないほうがどうかしている。

「――あなたと知り合って以来、あることわざが頭の隅に残るようになりました。おごれる者はなんとやら、というやつですよ」
「いつまでも久しいかもしれませんわよ、レーソンさま?」

(『偽造の定番』より)

 スコットランド・ヤードの刑事であり、フィデリティの事件の専門ともいうべき立場にあるレーソン警部補を前にして、逃げるどころか上述のようなセリフを交わすことができるという大胆さとクールさ――これこそフィデリティ・ダヴを象徴するものである。あるときは相手の弱みにつけこみ、あるときは本物を偽物に、あるいは偽物を本物だと思わせ、あるときはまったくの無価値なものを高額な骨董品だと思わせるそのやり方は、まさに詐欺師の得意とする手法だが、それを行なう人物の精神によって、行なわれた詐欺に対する印象がここまで変わるものかという驚きが、本書にはある。彼女の清教徒のような微笑のなかに、はたしてどのような心が宿っているのか、そして彼女の詐欺行為がいきつく先に何が待ち受けているのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.08.19)

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