【東京創元社】
『落下する緑』

田中啓文著 



 私たちが小説を読む楽しみのひとつとして、これまで知らなかったさまざまな世界を垣間見ることができる、というのがある。世界、といっても、たとえばファンタジー小説のような、文字どおりの異世界のことだけでなく、私たちが普通に生きていたとしたら、あるいは生涯縁のなかったかもしれないさまざまな分野の世界、という意味も含まれている。たとえば、雫井脩介の『火の粉』を読まなければ、私も今もなお裁判官という職業や冤罪について無頓着でありつづけたかもしれないし、森絵都の『DIVE!!』を読まなければ、飛び込みという競技に関心を寄せることすらなかっただろう。夢枕獏の『神々の山嶺』を読めば、私も一度はエベレストの景色を見てみたいものだと思ってしまうし、川端裕人の『夏のロケット』を読めば、遠い宇宙への憧れをかきたてられてしまう。北森鴻の『メイン・ディッシュ』を読むと、やはりそこに出てくる料理を味わってみたいと思ってしまうのだ。

 写真や絵画、骨董品や民俗学――そこに書かれていることの信憑性はともかくとして、物語という表現形式は、私たちが今まであまり縁のなかった世界をぐっと近くに引き寄せてくる力をもっている。本書『落下する緑』は、表題作をふくむ七つの作品を収めた短編集であり、さかさまにかけられた抽象画や盗まれたクラリネットのバネ、壊された超高級ウッドベースの謎といった、身のまわりでおこったちょっとした事件の謎解きを展開するという意味で、いわゆる死者の出ない「日常の謎」ミステリーに属する作品でもあるが、その大きな特長のひとつとして、本書が音楽、それもジャズの世界に深い造詣をもち、おもにそうした分野での事件を中心に物語を展開していくことで、読者をいつのまにかジャズの世界に引き入れてしまう点にある。

 なにより、本書の語り手である唐島英治はトランペット奏者であり、また本書のなかで探偵役を演じることになる永見緋太郎は、唐島英治クインテットの若きテナーサックス奏者である。すでに壮年に達し、落ち着いた安定感のある演奏をする熟練のトランペット奏者と、若手ながら野生児のように鋭い感性をもち、破天荒ながら人を惹きつけずにはいられない演奏をするテナーサックス奏者――年齢差はもちろん、何もかもが対極的な凸凹コンビであるが、これは北村薫の『空飛ぶ馬』からはじまる円紫師匠と「私」シリーズにおけるコンビとは、ちょうど逆の形をとることになる。それは、後者があくまで師匠の落ち着いた、何もかもお見通しという雰囲気を前面に押し出すことで、その作品のなかであつかわれる「日常の謎」が、このうえない日常のなかにあるという雰囲気を強調するのに対して、本書の場合、年下である永見緋太郎の、探偵といえばいかにも探偵らしいトリッキーな、しかし妙なところだけは鋭いという雰囲気を前面に押し出すことで、まさに彼らにとっての日常という雰囲気を生み出すことになる。そして、ここでいう「彼らにとっての日常」とは、他ならぬ音楽であり、ジャズである。

 私はジャズの世界についてはたいして明るくはないが、本書に収められた「田中啓文の「大きなお世話」的参考レコード」によれば、テナーサックスとは「基本的に下品な、ヤクザな楽器」であるという。叫ぶようなどでかい音、金切り声のようなつんざく音、機関銃の掃射を思わせる炸裂音――なるほど、きれいな音色で秩序あるメロディーを奏でるのが基本であるはずの音楽の世界にあって、けっして譜面上の秩序にとらわれない即興性と「スウィング」に重きをもつジャズのなかでも、ことのほか原色の「音」に近い楽器がテナーサックスという位置づけのようである。そしてこのテナーサックスの性格は、そのまま永見緋太郎の性格にもつながっている。

「シャーロック・ホームズ気取りはやめろ。まず私に話してみるんだ」
「シャーロック? 誰です、それは?」

 とにかく、四六時中サックスが吹ければそれだけで幸せという永見は、それゆえに日常生活そのものが散漫になりがちで、見ていて危なっかしいことこの上ない。およそその場の空気を読むとか、立場をわきまえるとかいう気配りとは無縁で、思ったことや感じたことはそのまま口にしてしまうし、ついさっき紹介された人の名前を忘れてしまっていることなどしょっちゅうだ。そのたびに、語り手の唐島は呆れたり肝を冷やしたりするが、それでもなお、あまりにも常識知らずな永見にいちいち説明することを忘れない。そうした、ちょっとした漫才を思わせるような言葉のやりとりの面白さもさることながら、本書のもっとも大きな特長は、まさにテナーサックスのような「不協和音」である永見が生み出すある種の危うさ、物語上の緊張感が、読者を物語世界にしっかりとつなぎとめる役割をはたしているという点である。

 表題作でもある『落下する緑』に登場する抽象画家の宮堀重吉、『揺れる黄色』に出てくるクラリネット奏者の野々山倫夫、あるいは『砕けちる褐色』の天才ベーシスト片桐芳彦――本書に収められた短編のなかには、ことのほか人の感情を逆なでするような性格のキャラクターが、物語の重要な鍵をにぎっていることがしばしばあるのだが、これもまた物語のなかに緊張感をもたらす大きな要素となっていることを考えると、妙に納得できるものがある。それは、本書はたしかにジャズをテーマとしたミステリーであるが、ただたんにジャズや楽器の知識を披露するだけで終わるのではなく、ジャズの魅力のひとつである即興性、アドリブがもたらす緊張感を、そのまま作品のなかに再現するという試みである。

 物語のなかに生じた謎という緊張、それを、不協和音の象徴である永見が探偵役となって解決するという構図は、いっけんするとただ混乱を増長させるだけのようにも思えるのだが、彼が吹くテナーサックスの音色は、不協和音でありながら、それでいてこのうえなくジャズという音楽の本質をつくものである。そして、そんなふうに考えると、この短編集における謎を解決する役目が他ならぬ永見に託されているというのは、じつはこれ以上ないという配役なのだ。

 数ある楽器のなかでも、ヤクザで下品な音を立てるテナーサックスによる七曲の演奏――だが、その不協和音は不思議と読者の心をウキウキとさせるリズムに満ちている。そして読者は本書という演奏がすべて終わったとき、きっとその七曲だけで物語が終わってしまうことを惜しいと思い、せめてもう一曲だけでもとアンコールを繰り返すことになるだろう。そんな魅力が、本書のなかにはたしかにある。(2007.03.07)

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