【講談社】
『顔に降りかかる雨』

桐野夏生著 



 私がこれまでそれなりに読み通してきた小説のなかで、とくに私の琴線に触れる要素のひとつとして、登場するキャラクターのひたむきさというものがある。あまり他人に依存せず、また他人の言動に多くを期待することを潔しとしない性格、困難を前にして、あくまで自分の力だけを頼みにして、自身の信念を貫き通そうとする意思の強さを感じさせるキャラクターにことのほか共感をおぼえるのは、私自身にもどちらかといえばひとりを好む傾向があり、しかしその傾向を孤高と言われるまでに磨ききれないでいる弱さを自覚しているということと、けっして無関係ではない。

 人はひとりではかぎりなく弱い存在であるし、そもそもひとりきりでは生きてはいけない。そしてそれは、人間である以上ある程度は仕方のないことであるし、だからこそ私たちは常に誰かに支えられ、あるいは誰かを支えて生きていくという人間社会の仕組みを受け入れていく。だが、その人間としてのあたり前の依存関係――とくに、自分が誰かから助けられる存在だという考えについて、さも当然であるかのごとく受け止めている人がいるいっぽうで、他人から助けられることに大きなためらいや、ときには苛立ちさえ感じてしまう人もいる。ハードボイルドの主人公というのは、そうした方面においてことごとく不器用で、それゆえに痛い目に遭ったり、損をしたりすることが多い傾向があるが、本書『顔に降りかかる雨』に登場する村野ミロは、間違いなく後者に属するタイプだと言うことができる。

 もしかすると、私と成瀬は似た者同士なのかもしれない。他人に期待せず、信用もできないくせに、何かを夢見ている。そして、いつしか誰からも届かない遠い地平に行ってしまう。

 ハードボイルドといえば、たとえば私立探偵のような一匹狼的な職についたりしているのが一般的であるが、本書の語り手である村野ミロは、物語の冒頭において社会的にはどのような職にも就いていない状態にある。もっとも、彼女の父親が裏の世界では名の知れた調査探偵であり、彼が引退した後に残された事務所を根城として使わせてもらっているという意味では、そういう職業とまったくの無縁というわけではないのだが、少なくともミロ自身は、父の後を受け継ぐことを明言してはいない。くたくたのTシャツに色あせたジーンズ、無造作なショートカットにノーメイクを常とする、およそ女性として着飾るということからかけ離れた格好のミロは、しかしかつては広告会社でマーケティングを担当していたという職歴をもっているし、また博夫という伴侶をもつ既婚女性でもあったのだ。だが、三十二歳の寡婦となった彼女の現在は、そのすべてから遠い場所にひとり取り残されている。そしてそこには、赴任先のジャカルタにおける、博夫の死が大きな影を落としている。

 死んだ夫の悪夢から真夜中の電話コールで起こされ、あえてそれを無視するという冒頭から、その翌日に彼女のもとに訪れた成瀬時男という男から、親友のノンフィクションライターである宇佐山耀子が、成瀬から預かった現金一億をもって失踪したという事実を聞かされ、はじめてあの電話が耀子からのものだったのでは、と気づき、電話に出なかったことを後悔するという流れるような導入部が見事な本書であるが、その無くなった金が暴力団関係とつながるヤバい金であり、さらには耀子とグルになってその金をせしめようとしているのではと疑われたミロは、完全に巻き込まれる形で成瀬とともに失踪した耀子の行方を追うという展開になる。それは奇しくも、私立探偵が依頼を受け、事件の真相を求めて疾走するという展開と同じ流れになってくるわけだが、本書を読み進めていって見えてくるのは、他ならぬミロが耀子の失踪――他人の金を持ち逃げするという行為について、どうしても納得できないでいるという点であり、たんに暴力団に脅されているという以上に、それこそが彼女を突き動かす原動力となっているところである。

 だから、身辺を整えることから始めたのだ。――(中略)――秘密の恋もしているけれど、普段は仕事、というわけだ。マスコミに出る時は、髪を束ねて化粧を薄くし、知的に見えるように演出する。耀子は計算で自分を律することのできる、数少ない女だった。

 飽くなき上昇志向で自分をさらにランクアップしていくことを望み、見栄は張れるだけ張っておく。ぬぐいがたいコンプレックスをバネにして、どこまでも計算高く、したたかに世のなかを渡り歩いていこうとする耀子というキャラクターは、言ってみればミロとは対極に位置する人物であり、恋においても仕事においても派手で輝いている彼女の存在は、ミロにとっては大きな魅力でもあった。だからこそ、たとえ金に困っていたとしても、それまで築き上げてきたものすべてを台無しにするようなことは、まかり間違ってもするはずがない――そんな確信めいたものが、彼女のなかにはたしかにあったし、それが最終的には今回の事件の真相へとミロを導くことにもなるのだが、耀子に対するそうした思いは、翻って自分自身の不器用さと強く結びつくものとしても機能している。

 かつて仕事をもち、結婚もしていたミロが、そのすべてが破綻して今に至っている原因として、けっして本書のなかでは明言されていないものの、耀子のような生活へのあこがれがあったのはたしかだ。だが、何事につけ要領よく立ち回るということができないミロの言動は、結果として夫である博夫に自殺のきっかけを与えることになってしまった。そして夫に憎まれて死なれてしまったミロが、そのことに対してどのように心の整理をつけるべきなのかを見出せないままでいるのは、耀子の行方を追いながらも執拗に過去の出来事へと心が傾いていくという本書の構成からも見て取れる。

 妻として夫を支えていくはずの役割を放棄し、また自分を愛してくれている夫と別れようとしたあげく、その夫にあてつけのように自殺されたのだ、と書いてしまうと、およそ村野ミロが最低の女のように見えてくるし、じっさいにはそのとおりでもあるのだが、彼女の要領の悪さは、その「最低な女」であることを他ならぬ自分自身がもっとも強く認識してしまっているという点にも表われている。いっさいがっさいを忘れ去って、あらたなスタートを切ることもできるはずなのに、いつまでもそれができずにいる極端な不器用さ――妻子がいるはずの成瀬の愛人として、堂々と恋愛をしていた耀子の失踪の真相を追うという本書の流れは、じつは輝いて見えた耀子のじっさいの姿を確認する作業でもあり、同時にミロが自身の過去に対して何らかの決着をつけるためのものでもあるのだ。だからこそ、本書の物語に私たちは奥の深さを感じ取ることができる。

 いかにもインチキ臭い占い師や死体愛好家、あるいはSMといったアブノーマルな嗜好を刺激するイベント、外国人労働者が生活する新宿というカオスな空間で、失踪した耀子の手がかりを追って疾駆する村野ミロは、そこでどのような事実と向き合うことになるのか、また、ことあるごとに対立し、また惹かれあったりする成瀬との関係や、今もなお引きずっている過去に対して、どのような決着をつけることになるのか――何者でもなくなっていた彼女が、不器用ながらもどのように立ち回っていくのかを、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.09.14)

ホームへ