【講談社】
『梟の拳』

香納諒一著 



 人はひとりで生きているわけではないし、そもそもひとりで生きていくことなどできない――そんなあたり前の事実を、しかし私たちはしばしば忘れてしまうことがある。とくに、人生において上昇気流に乗っているようなとき、成功が続いて何もかもがうまくいっているようなとき、人は、世の中が自分を中心にまわっていると勘違いし、すべてが自分ひとりの力で成したものだと思い込んでしまう。だが、もし少しでも自分の周囲に注意を向けることができるなら、影ながら自分を支えてくれている人たちの存在に、きっと気づくことだろう。もちろん、本人の才能や努力も、成功をおさめるための重要な要素だ。だが、考えてみてほしい。溢れんばかりの才能に恵まれていても、また人の何倍もの努力をしていても、それを結果に結びつけることのできない人のいかに多いことか。人が上昇気流をつかむこと、成功をおさめること――それは言いかえれば、周囲の人たちが、その人が上昇気流をつかみ、成功をおさめることを許してくれている、ということと同義なのだ。

 本書『梟の拳』に登場する桐山拓郎は、元ボクサーだ。つねに前へ出て敵と打ち合うアグレッシブなボクシングを得意とし、チャンピオンの座に輝いたこともある拓郎だったが、網膜剥離の再発、そしてそれが引き起こした失明という事態によってボクシング生命を絶たれた後は、拓郎の妻で元編集記者の和子のマネージメントによる、講談会やテレビ出演などによって芸能人に近い身分を確立していた。だが、世界チャンピオンという夢を自分の意志とは無関係に断念しなければならなかった拓郎にとって、盲人としての人生は、失意とともに流れていく時間を無為に過ごすことに等しいものだった。
 そんな夫婦の芸能活動とも言えるものの一環として、「平和テレビ」が毎年夏に行なう二十四時間のチャリティー生番組のゲストとして出演することになった拓郎は、チャリティー会場となっている「ホテル・ビューホイント」の一室で、チャリティーのスポンサーである久岡昌樹と会うことになっていたのだが、そこに趣いた彼が知ったのは、すでに死体となっていた久岡と、拓郎を振りきって部屋から飛び出していった男の気配だった。しかも部屋の中には、その直前に会って話をした、ボクサー時代のマネージャー、永井康介が吸っていた煙草の匂いが残っていた……。

 久岡の不可解な病死、「この件にはかかわるな」と言い残して交通事故死した永井、久岡の通夜や葬式にも姿を現わさなかった娘の静江の行方、そして拓郎の周囲で不気味な動きを見せはじめる組織の影と、その裏に見え隠れするきな臭い陰謀――永井が何かとんでもない事件に巻き込まれていたことを知った拓郎は、和子とともに永井の死の真相を知るべく行動を開始する決意をする。そう、かつてボクサーだったころ、世界チャンピオンという目標のためにただひたすら突っ走っていた、かつての自分を取り戻すために、そして盲人となった今の自分を受け入れるために。

 本書は本格的なミステリーであり、その背後には非常に複雑な因果関係が隠されている。それに対して盲人の拓郎が知覚できる世界は非常に限られたものでしかないが、彼はけっしてあきらめることなく、少しずつ事件の真相へと近づいていく。そう、まるで、最初はまったくの闇の世界であったのが、手探りで周囲を調べていくにつれて、だんだんとその世界が形を整えてくるのと同じように、本書に隠された謎が、拓郎たちの手探りの調査によって――それこそ目も見えないのに敵と殴り合い、あちこちに怪我をつくりながら――少しずつその全容が明らかにされていくという、その全体の構成が、いかにも盲人を主人公にしたミステリーらしいと言える。そして、その真相に近づくためのきっかけとなるのは、盲人である拓郎が、盲人であるがゆえに気づく、ちょっとした違和感なのだ。

 失明という、あきらかなハンディキャップ――「身体にハンディがあるってことは、親友がわけもわからず殺されたのに、指をくわえているしかねえってことなのか」という言葉からもわかるように、拓郎は何かを深く考えることよりも、常に何か目標を持ち、目標に向かって突き進んでいくタイプの人間だ。ボクシングという、自分の拳ひとつで道を切り開いていく世界は、まさに彼のためにあるような場所だった。だが、失明という事態は、彼を否応なくその場所から追い出したばかりでなく、絶えず誰かの力を借りなければ生きられない、ということを拓郎に自覚させることをも意味する。過去の栄光と、今の自分とのあまりのギャップの間で、拓郎の心は大きく揺れ動く。だが、そもそも人間というのは誰かの力を借りなくては生きていけない生き物なのである。これまで自分のことだけで精一杯だった拓郎にとって、失明は大きなハンディだ。だが、そのことによって見えてきたもの、それまで振り向きもしなかったいろいろなこととあらためて向き合うきっかけとなったことだけは確かではないだろうか。

 ボクサー時代、問題を抱えこむのは苦じゃなかった。体重が問題なら落とせばいい。体力が問題なら蓄えればいい。自分の弱さが問題ならねじふせればいい。だが、目が見えないということは、解決すべき問題じゃない。もう答えが出てしまった事実だった。受けいれ、馴染んでいく以外に手がない事実だ。

 男らしさ――最近はひさしくこのような言葉を使わなくなったような気がするが、自分が決めたことをあくまで貫こうとする拓郎のその態度は、ほれぼれするほど男らしい生き方だと言えるのではないだろうか。そんな彼が盲目であるという事実、そして彼が妻にも隠してきた過去とどのように向き合い、受け入れていくのか、そして拓郎が生まれた三十年前に、いったい何が行なわれてきたのか――本書を読んでぜひ確かめてもらいたい。(2000.02.18)

ホームへ