【国書刊行会】
『エバ・ルーナ』

イサベル・アジェンデ著 
木村榮一・新谷美紀子訳 



 ストーリーテラー――多くの人に感動をもたらすような、面白い物語を生み出す能力を持つ人のことをこう呼ぶのであれば、本書『エバ・ルーナ』の著者は間違いなく、その名誉ある称号を冠するに値する作家のひとりに数え上げられるだろう。言葉を自在に操り、私たちが生きる現実の世界を魔法のように膨らませ、空間や時間を超越して何重ものパラレルワールドを創造していくストーリーテラーは、ある意味で天地創造を司る神に匹敵するだろう。そう、もしかしたら、現実と私たちが勝手に思い込んでいるこの世界もまた、誰かによって物語られてた、きわめて緻密な物語の世界なのかもしれないし、私という人物もまた、どこかの物語の登場人物にすぎない存在なのかもしれないのだ。

 本書は、そのタイトルにもなっている、エバ・ルーナという女性の一人称形式によって書かれている。みなしごの白人であり、密林の中の伝道所で育てられた母コンスエロと、頑健な肉体を持つインディオの父とのあいだに生まれたエバは、母の口から無限に溢れ出す色とりどりの物語の海の中で育てられるのだが、その後、彼女を待ち受けるけっして平穏とは言えない運命に翻弄され、いろいろな町を移り渡り、さまざまな人たちとの出会いと別れを経験していく過程で、エバは自分の中にも息づいている物語を生み出す力を開花させ、次々と物語を語って聞かせ、文字を覚えたのちは書き綴るようになっていく。
 その一方で、エバの視点は地球の反対側、オーストリア北部で暮らす少年、ロルフ・カルレにも向けられる。倒錯した精神の持ち主である父親のせいで、けっして幸福とは言えない少年時代をおくることを強いられたロルフは、後にエバのいる南米の、無尽蔵に石油が溢れ、長年続いた独裁制が徐々に揺るぎつつある国に渡り、世界じゅうでおこるさまざまな事件を記録する報道カメラマンとしての道を歩みはじめることになる。

 虚構の世界を物語る女と、真実の世界を観察する男――この相反するふたつの役割を与えられたふたりが、後にお互いに不足している部分を補おうとするかのように出会い、恋に落ちることになることは、おそらく目の肥えた読者であれば容易に想像することができるだろう。だが、本書の物語は男女の恋愛ものとして片づけられるほど単純ではないし、それが本書のすべてであるわけでもない。本書の最大の魅力、それは、宝石のようなきらめきを持つたくさんの物語の要素が、エバとロルフの物語という大きな流れのなかに、ふんだんにちりばめられている、という点なのである。

「わたしの名はエバ。生命を意味している」という冒頭の言葉どおり、エバの生き方は非常にエネルギッシュであり、瑞々しい生命力に満ちあふれている。また、死体の剥製技術に関する研究をしているジョーンズ博士や、後にレジスタンスのリーダーとして叛乱を起こすストリート・チルドレンのウベルト、上流階級の男たちを相手にする高級娼館の女将や、男性でありながら女性以上の美貌を身につけ、性を超越してしまったミミーことメレシオなど、彼女が関わりをもつことになる人たちもまた、一筋ならではいかない個性の持ち主である。そんな登場人物たちがそれぞれに抱く情熱、貧困、暴力、名声、変革、そして激しい恋愛感情――それらが複雑に入り混じり、交錯することで、一見すると荒唐無稽のように思える物語に確かな息吹を与えることに成功しているのだ。

 エバにとって、物語を語ることは、生きることそのものを意味している。これまでの人生で見聞きしてきたあらゆる物事から物語の要素を取り出し、ラジオ局が流す、ほんの数分も聴けば話のラストがわかってしまうような恋愛ドラマを自在に組み替えて、ハラハラドキドキの冒険活劇やバイオレンスものに仕上げてしまう彼女の力は、ときに無から有機物を生み出すかのように、人の心を満たしてしまうことがある。それは、生命力あふれる彼女の生きざまからこぼれ出た、死を遠ざけ生を呼び込む、いわばエバの一部だとも言えるのだ。

 わたしのお話が誕生する不動の砂、その上で生まれ、死に、生起する一切のものはわたしという人間がいてはじめて存在するのだ。わたしはその砂の上に自分の好きなものを置き、正しい言葉を発してそれに生命を与えるのだ。自分のまわりには実在の人物がうごめいている捉えどころのない世界であるが、それよりもわたしが想像の力で作り上げた宇宙のほうがよりいっそう明瞭な輪郭を備え、永続的なものではないだろうか、そんなふうに考えることもあった。

 本書は私のいちばんのお気に入りである。そして、本書を読み返すたびに、それまでは気づかなかったさまざまなサブストーリーを見つけては驚いてしまう。いったい、著者であるイサベル・アジェンデは、どのようにしてこれほどまでに活力に溢れた物語を創造していったのだろう。彼女の巧みなストーリーテリングの前には、どんな傑作、名作を持ってきても色褪せてしまうように思える。
 はっきり言おう。『エバ・ルーナ』は物語としては最高傑作である。

 なお、蛇足ながら同著者の『エバ・ルーナのお話』という本があるが、これは本書でエバが語ったさまざまな物語や、「貧者の宮殿」など、本書のなかにちらりと姿を現わす事物に対するサブストーリーなどを集めた短編集である。本書と合わせて読むと、よりいっそう物語に深みが出るので、本書に興味を持たれた方は、こちらのほうもぜひ読んでみてほしい。(1999.08.23)

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