【徳間書店】
『エサウ』

フィリップ・カー著 
東江一紀・後藤由季子訳



「ヒトの先祖はサルである」という、教科書にも載っている世間一般の常識が、じつはヒトの長い長い進化のほんの一部を埋めるにすぎない化石からの推測であり、その大部分は謎に包まれたままである、という事実は、岩井俊二の『ウォーレスの人魚』に対する随筆でも述べたとおりであるが、遺伝子学的な方面からこの問題を見てみると、ヒトとチンパンジーのDNA上の違いは、たった1.6パーセントしかないという。ヒトはいつからヒトになったのか――古人類学では「大躍進」と呼ぶ、ヒトとサルの系統上からの分裂は、おそらくその1.6パーセントのなかに要因があったのだろうと推測することはできる。だが、遺伝子そのものが明確な答えを出してくれるわけではない。けっきょくのところ、ヒトの起源が謎に包まれている、という事実はここしばらくのあいだは、くつがえりそうもないだろう。

 本書『エサウ』は、言ってしまえばヒトの起源に迫るスペクタクル・ミステリーに当てはめることができる。世界的に有名な登山家であるジャック・ファーニスは、ヒマラヤの秘峰であり、ネパール政府によって立ち入りが禁止されているマチャプチャレ山への登攀途中、謎の雪崩に遭遇、友人とシェルパを失いながらも奇跡的に助かったジャックは、偶然見つけた洞窟のなかで、ある原人の頭蓋骨を発見することになる。
 ジャックの友人で古人類学者であるステラ・スウィフトは、ジャックが発見した頭蓋骨が、これまでの人類の起源と進化の学説を根底からくつがえしてしまうような特徴をもった化石で、いわば「世紀の発見」となるかもしれないことに気づいてすっかり夢中になるが、頭蓋骨そのものの検査の結果、発見された頭蓋骨は千年も経っていない、非常に新しい骨であることが判明する。古人類学として化石と対話するスウィフトは、これらの事実をもとに、ひとつのとんでもない、しかしもし真実なら非常に魅力的な仮説を立てた。それは、ヒマラヤの奥地には「エサウ」と名づけたその原人の化石ではなく、生きた原人が存在するのではないか、という大胆な仮説だった。

 はたして「エサウ」はシーラカンスのような「生きた化石」なのか、それとも新種の類人猿なのか、はたまた伝説の雪男イェティか――緊迫するインド−パキスタン情勢のなか、ヒマラヤの秘峰に向けて出発したジャックとスウィフト一行が何を発見するのか、というのがおそらく読者の一番の興味になるであろうことは間違いないが、そのほかにも、本書にはさまざまな謎や読みどころが満載されていて、読者をけっして飽きさせることがない。たとえば、一行がヒマラヤ山中で出くわした謎の修行僧や謎の中国人登山チームの存在、また、調査団のなかにまぎれこみ、逐次通信を入れている謎の人物、また、先の雪崩に遭遇してから登攀という行為に恐怖を感じるようになったジャックがその恐怖を克服する様子を描いた人間ドラマや、さらにはちょっとしたロマンスなど、数えあげればそれこそキリがないくらいだ。古人類学や登山技術に関しても詳しく説明されており、高いリアリティーを生み出すことに成功している。そして、本書がほんとうに見事なのは、個人の人の関係から国どおしの関係まで、好悪さまざまな人間模様を描くことで、「エサウ」の存在がよりいっそう神聖化されている、という点である。邦訳に「封印された神の子」という副題をつけたのは、きわめて的を射ていると言うべきだろう。

 ヒトが地球上の全生物のなかで、進化の頂点に達したという考え、そして人間こそが地球の支配者であるという考えが、もはや人間だけの傲慢な思い込みでしかないことは言うまでもないことだが、私たちが人間だらけのこの現代で生きて生活するときに、そんな敬虔な想いにとらわれることがどれだけあるだろうか。「エサウ」の存在が神聖化されている、と先程は書いたが、それは逆に言えば、私たち人間がいかに愚かな存在であるかを思い知らされることでもあるのだ。大自然によって生かされているにもかかわらず、大自然のことを忘れて生きようとしている人間――考えてみれば、チンパンジーやゴリラ、オランウータンたちのほうが、地球という視点から見ればよほど賢く生きているように思えてならないし、それはおそらく、正しい。

 科学は人間を宇宙の中心から遠ざける――ヒマラヤ山中で出会った修行僧スワミの言葉は、そういう意味ではとても印象的だ。私たちは科学によって多くの知識を手に入れてきた。だが、人間はなお、知りたいという欲求を満足させることができない。おそらく、これからも科学は発展していくであろうし、これからも多くの謎が解き明かされていくであろう。だが、私たちは同時に心得なくてはならない。あまりに多くの真実を知ることは、神の領域を侵す行為につながることもあるのだ、ということを。(1999.09.24)

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