【角川春樹事務所】
『エリ・エリ』

平谷美樹著 
第1回小松左京賞受賞作 

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 私が以前から好きな物語のタイプとして、たとえば川端裕人の『夏のロケット』や岩本隆雄の『星虫』といった、人々が宇宙を目指していく物語というのがあるが、広大無辺の大宇宙――それこそ地球の存在など、塵ほどの小ささと化してしまう宇宙へのあこがれの根底にあるのは、おそらく今の世の中に対して感じずにはいられない閉塞感である。

 人口の増加や地球温暖化、枯渇していく資源や食料、考え方の違いから生じる絶えることのない人々の諍い、戦争など、私たちが生きている地球はあまりにも多くの問題をかかえこんでいて、しかもそれらの問題は、未だに解決の糸口すら見えてこない。人類が広大な宇宙にその住処を求めていく宇宙開拓の物語は、そんな私たちにとってこのような問題を一挙に解決する、いわば最後の希望だと言えるものがあり、だからこそ宇宙への憧れはけっして尽きることはないのだが、それは逆に言えば、今の私たちの生きる地球という世界のなかには、もはや何の希望も存在しないことを、暗に認めてしまっているということでもある。

 仮に、人類がひとところに長くとどまることよりも、より遠くへ拡散していくことを求める生き物であるとしても、誰もが宇宙に対して強い憧れをいだくことができるわけではないし、もしかしたらこの広大すぎる宇宙のなかで、ただひとつの知的生命を育む場であるかもしれない地球を離れ、人間が生きるにはあまりに過酷な、そしてあまりにも未知な宇宙空間へと飛び出していくためには、それ相応の精神的な強さも必要となってくる。そして人間は基本的に、自分がたったひとりであるという事実をそのまま受け入れることができるほど、精神的に成熟しているわけでもない。じっさい、宇宙にロマンを感じている私とても、もしそれが現実的な問題として目前にせまってきたとき、どのような反応を示すかはわからない。それはあるいは、UFOの存在を「ここ以外のどこか」への幻想の象徴として、生きる支えとせずにはいられないある種の人々と同様、私自身のこの思いもけっきょくのところ、自分以外の隣人を求めずにはいられない欲求からくる感情なのかもしれないのだ。

 今回紹介する本書『エリ・エリ』というタイトルに聞き覚えがある、という方は、おそらくキリスト教にかんする知識をある程度お持ちの方だと察する。ゴルゴダの丘で磔刑に処せられたキリストが、最後に発した言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神わが神なんぞ我を見棄て給ひし)」の、いわば神への呼びかけの部分をタイトルとして冠した本書であるが、その作品世界のなかでは、キリスト教はおろか、それまで人々の心の支えのひとつであった宗教という概念そのものが、無用のものとして人々から見捨てられつつある。時は二〇五四年、人々は宗教よりも、人類が移住可能な惑星の探査と、もしかしたらそこにいるかもしれない地球外生物の存在に心の拠り所を見出そうとしていた。

 木星ではホメロス計画というものが進行しているという。
 宇宙の隣人を探す計画だ。
 それは、ただ科学技術の向上がもたらしたプロジェクトではないのだ。
 人類は神を捨てて地球外知的生命の存在に救いを求めた。

 宇宙開拓が現実のものとして進行し、さらに外宇宙へと人々の関心が高まっている未来を舞台に、ひとりの神父は物理学的見地からの神の実在を求めて巡礼の旅に出発し、ひとりの博士はホメロス計画の実現のために木星へと旅立ち、そしてひとりの精神科医は、ホメロス計画の妨害をもくろむ組織の無自覚な駒として、同じく木星を目指す。物語はこの三人の視点が絡み合うようにして進行していくが、いずれの登場人物にも共通していえるのは、何らかの信念――自分が自分でありつづけるために必要な心の拠り所について、強いこだわりをもって生きているという点である。そしてこの、人間であるがゆえにもたずにはいられない心の拠り所は、人類の宇宙開拓への機運という、本書の大きなテーマとわかちがたく結びついている。

 神の存在と宇宙への進出という要素は、いっけんすると相反するもののようにも思えるが、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』をはじめとして、じつはSF方面ではけっこうよく結びつく要素である。それは、これまで地球という「母体」しか知らなかった人類が、はじめて無限に広がる宇宙という外世界に出ていくという、間違いなく人類史における大きなターニング・ポイントとなる瞬間において、人類もまた以前のような精神のままではいられないはずだ、とする共通認識によるものであるが、そうした精神面でのターニング・ポイントという点に着目したのが本書であり、そこにあるのは言ってみれば、人類の精神的成長――来るべき宇宙時代における真の意味での自立の、その過渡期にある時代を生きる人々の揺れ動く心のあり様である。

 世界的に宗教離れを起こしている時代において、自身もまた神の存在について疑問を投げかけずにはいられず、その信心への葛藤ゆえにアルコールに逃避しようとする神父の榊和人にしろ、かつて父親が宇宙人に殺されたという記憶の改竄ゆえに、宇宙人の存在を心の拠り所にしようとする人類の機運に反発し、ホメロス計画の妨害へと突き進んでいく精神科医のアドルフ・タウトにしろ、いずれもこれまで真実として疑うことさえなかった事柄について、それが本当に真実なのかという疑問にぶつかることから避けることのできない状況に陥って、それゆえにさんざん苦悩することになる。そのいっぽうで、エリック・クレメンタインのように、宇宙時代の幕開けについて、恐怖以上に知的好奇心を刺激され、軽やかに宇宙へと飛び出していく登場人物もいる。だが彼とても、最終的にはけっして精神的な自立心を確立した新人類として書かれているわけではない。

 はたして神は実在するのか。いるとすればどこにいるのか。そして人類は、本当に神を不要のものとするほどの精神的自立を確立することができているのか。物語は地球外知的生命のものと思われる宇宙船の太陽系への侵入を機に、大きく動き出していく。宇宙航行技術や重力波、ニュートリノの概念といった科学技術の知識と、新約聖書の内容とが渾然一体となることで、本書はSFというよりは、むしろ哲学的な内容を求める物語として昇華されたと言うことができる。

 自らの足だけで大地を踏み、虚空へ飛び立って行くには、人類の精神は脆弱だ。だからこそ、“隣人”を求める。神を捨てても、やはり、おのれよりも高次の存在を求めているのだ。

 本書のタイトル『エリ・エリ』という言葉は、イエスの神への呼びかけであったが、この叫びは時空を越えて私たち孤独な人間ひとりひとりの、“隣人”を求めずにはいられない叫びでもある。人はひとりでは生きられない。だが、その拠り所となるべき「神」が不在であるとするなら、自分たちからその「神」を求めて旅立っていくしかない。人類の宇宙進出と精神的自立――その過渡期にある人々の苦悩は、あるいは私たちが直面すべき大きな問題を先取りしたものなのかもしれない。(2006.11.18)

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