【幻冬舎】
『永遠の仔』

天童荒太著 



 自分のこれまでの、けっして長いとは言えない人生を振り返ってみると、家族――とくに両親の存在が、自分の人格形成においていかに多くの影響をおよぼしているかをまざまざと実感する。柳美里の『家族シネマ』を読んだときにも思ったことだが、家族というのが人間が最初に置かれる環境の単位であることを考えれば、少なくとも彼らなりに惜しみない愛情をそそぎ、生きていくことを肯定してくれた両親に対し、私は感謝しなければならないのだろう。だがその一方で、もし両親に愛されないがゆえに子供の心がゆがめられ、踏みにじられていくことがあるとしたら、その子供たちは、いったいどうやって自分というものを確立させていくのだろうか、と考えずにはいられない。
 たとえば、本書『永遠の仔』に登場する、三人の子供たちのように。

 愛媛県立双海小児総合病院第八病棟――親からの虐待などによって、心に深い傷を負った子供たちの治療を実践するその病院で、三人の子供たちは出会った。お互いに似たような境遇に育ち、同じように親に虐げられ、それゆえに自分を責め、苦しんでいることを悟った三人は、やがてお互いの心の傷を舐め合うようにしながら仲を深めていく。そして、治療の一環である霊峰登山で、三人は救いを求めてある恐るべき計画を実行しようと決意する。

 それから十七年後、退院してから離れ離れになっていた三人――長瀬笙一郎、有沢梁平、久坂優希は、まるで運命に導かれるかのように再会を果たすことになる。笙一郎は弁護士、梁平は刑事、そして優希は看護婦として、それぞれが、少なくとも外見上は立派な大人に成長していた。だが、それはけっして、自分たちの暗い過去を克服してのことではなかった。むしろ、子供の頃に受けた傷を、そして十七年前の霊峰での事件をひきずりながら生きてきた結果であることは、本書を読んでいけば容易に察しがつく。

 必要以上に自分を犠牲にし、患者のために懸命に働きつづける優希、そして、過去の入院生活のことを頑ななまでに隠しつづける優希に不満にも似た何かを感じ、真実を知りたい一心で優希の過去を調べはじめる弟の聡志、さらに、そんな弟の動きに呼応するかのように、三人の身近で起こる殺人事件……。

 「悲劇は繰り返される」――そんな芝居がかった言葉が、本書では特別な重みを持って迫ってくる。笙一郎も、梁平も、優希もけっして悪くはない。それはわかりすぎるくらいわかっているのだ。ひとりの人間として生きのびるために、そして自分自身を救うために、子供だった三人は、どうしても優希の父親を殺さなければならなかった。だが、そのことによって救いがもたらされたかと言えば、けっしてそうではなく、かえって三人の中で新たな悲劇の火種を植えつけることになってしまう。そして、火種は三人の意志とは無関係に大きくなり、やがて三人以外の人々をも巻きこんでいく。

 そう、けっして意図したわけではないのだ。過去につらい思いをしてきた彼らは、だからこそ自分の周りにいる人たちを傷つけまい、悲しませまいと、人以上に腐心していると言える。だが皮肉なことに、そんなふうに心を砕きすぎるあまり、必要以上に嘘を重ねたり人を傷つけたりしてしまう。そして、その事実がよりいっそう、彼らの罪悪感を深いものにしていく……。
 悲劇が悲劇を生むという、この悪循環――未来永劫つづいてしまいそうなこの悲劇の連鎖は、いったいどこから、誰のせいではじまってしまったのだろうか。そして、この連鎖を止めるには、いったいどうしたらいいというのだろうか。

 精一杯やってきたつもりだった。力は及ばないにしても、自分なりに懸命に努めてきた。なのに、何かを得られたという感覚はまったくない。生きてゆくことに、よい意味も、意義らしいものも見つからない。
(中略)
 これからもずっと、わたしの受けた傷、わたしの痛み、わたしの悔い、わたしの怒りは、誰にも償ってもらえないまま、生きてゆかなければいけないの。誰にも許してもらえず、ひとりで罪を背負って、生きつづけなければいけないの……。

 せまい押入れに閉じ込められ、餓死直前にまで追いこまれる、全身に煙草の火を押しつけられる、そして、自分の弱さにかこつけて性交を強制する父親――そんな壮絶な過去を背負って生きている三人の口から吐き出される言葉のひとつひとつの、そのあまりの重さに、ただ沈黙するほかにない。どんな言葉をかけてやればいいのか――どんな言葉も、おそらく彼らの前では無力だろう。わたしにできるのは、生き残った人たちが少しでも早く、自分の人生を歩きはじめることを願うだけである。(1999.05.17)

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