【アリーフ一葉舎】
『エケリニス』
−ヨーロッパ初の悲劇−

土居満寿美著 



 ひとつの物語が生まれる可能性、というものに思いを巡らせたとき、今の本、そして出版社−取次−書店をすべて含めた出版業界の現状に強い危機感をいだいている人たちは、けっして少なくはない。それは、雑誌やベストセラーといった、いわゆる「売れる本」ばかりが本屋の店頭に並び、良い研究内容を発表した専門書のたぐいがなかなか売れない、あるいは本という形にさえならない、さらには出版されてもあっという間に返品され、市場の流通から消えてしまう、という現状に対する危機感である。その危機感をもっとも具体的に述べている箇所が『ルネッサンスパブリッシャー宣言』(松本功著 ひつじ書房)の序文にある。彼はこの本の中で、少部数の専門書のことを「基礎の本」と呼んだうえで、その「基礎の本」が「娯楽の本」に与える影響のことを書いている。

 エンターテインメント作家と呼ばれる人も、取り込んだ様々な知識のもとには「基礎の本」もあったはずなのは当然だろう。「基礎の本」が産んだ様々な知的営為を吸収した上で、「娯楽の本」があるとしたら、「基礎の本」が無い世界で面白い娯楽が生まれるだろうか?

 出版業界がかかえる問題について、ここで詳しく述べるのは避けておく。私がここで言いたいのは、「娯楽の本」のなかで展開されるさまざまな物語――その物語を生み出す、まさしく基礎となる本のひとつとして、本書『エケリニス−ヨーロッパ初の悲劇−』は、間違いなく冠されることになるだろう、ということである。

 本書は、いわゆる「小説」ではない。13世紀末から14世紀はじめにかけて活躍した、イタリアの文学者アルベルティーノ・ムッサートが書いた『エケリニス』という名の悲劇の全文訳を載せた本であり、同時にその悲劇が書かれた時代背景、そして著者ムッサートに関する研究書であると言ってもいいだろう。だが、そこに描かれた内容は、人間が人間である以上、誰もが心のどこかに持っている残虐性、他人を貶め、自らの欲望のために何万人もの人間を殺してしまうという、心の中の深い闇を鋭く抉り出しており、ある意味、これほど生々しく人間の姿を描いたものは、他にはないのではないか、と思えるほどである。

 『エケリニス』に書かれているのは、パドヴァというイタリアの一地方都市に、一時期暴君として君臨したエッツェリーノ・ダ・ロマーノと、その弟アルベリーコの一生である。そこでは二人は、悪魔ルチーフェロの子、ということになっている。そのことを母親から聞かされたエッツェリーノは歓喜し、地獄の悪魔の力を得て周囲の都市を次々と支配し、暴政をしいて人々を苦しめる。途中、ルーカ修道士が彼らを改心させんと進言するが、エッツェリーノは過去において何度も登場し、数多くの流血と屍の山を築いた暴君たちの名をあげ、彼らの行為を見過ごした神の悪意を笑うだけで、いっこうに相手にしようとしない。だが、栄枯盛衰の流れにはけっきょく彼らも逆らうことができず、各地でおこった叛乱によって権勢を失ったエッツェリーノは戦いの末に捕らえられて獄死、弟のほうも壮絶な最期をとげることになる。

 本書のサブタイトルには「ヨーロッパ初の悲劇」とあるが、『エケリニス』という物語に、悲劇という要素は見当たらない。そこにあるのは、ムッサートによって「悪魔の子」の烙印を押されてしまうほど、多くの苦しみをもたらさずにはいられなかったエッツェリーノの残酷性、そして物語の最後、アルベリーコ一族に対して行なわれた虐殺に見られる、神の子としての人間のなかにある残酷性のみである。本書には、この悲劇が書かれた背景に、当時ヴェーロナの僭主カングランデの脅威にさらされていた故郷パドヴァ、という構図があるのを指摘し、パドヴァ市民の士気を高めるため、カングランデをエッツェリーノに見立てた『エケリニス』をつくったのではないか、と述べているが、私が『エケリニス』のなかに見るのは、同じ人間から「人間であること」を奪われた者が、どのような末路を遂げることになるか、ということである。そこには、あまりにもえげつない表現で、一族が人々によって処刑される様が書かれている。まるで、人間ではないのだから、何をやってもかまわないのだ、という、考えようによっては恐ろしい概念が、そこに含まれているように思える。そして、かつて神の名のもとに一方的な略奪を繰り返してきた十字軍や、中世の魔女狩りといった事実を考えたとき、それはけっして誇張でもなんでもないような気がしてならない。

 私はイタリア史に関してはまったくの素人であるが、ムッサートという文学者はもちろんのこと、パドヴァやヴェローナといった地方都市がかつて存在し、そこに人々の営みがたしかにあったのだ、という事実は、私にとっては大きな驚きでもあった。そして何より、1315年という、キリスト教全盛の時代において、人間という、原罪にまみれた魂の本質に迫るような作品が書かれていたという事実にも。本来であれば歴史の影に消え去っていく運命であったその事実に、あえて光をあてた著者の業績は、やはり褒め称えるべきものであるだろう。そして、このような「基礎の本」がより多くの人の目に触れ、いつか面白い「娯楽の本」を生み出す土壌になってくれれば、と願う。(2000.07.10)

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