【紀伊国屋書店】
『自分の体で実験したい』
−命がけの科学者列伝−

レスリー・デンディ&メル・ボーリング著/梶山あゆみ訳 



 テストというものがどれだけ重要なものであるか、というのは、SEとしてシステム開発にたずさわっている私にとって、嫌というほど理解していることでもある。コンピュータのシステムなのだから、論理上の問題さえクリアできていれば、テストなどしなくても動くはずではないか、という意見があることも承知してはいる。たしかに、コンピュータはけっして間違いを犯すことはないのだが、そのコンピュータを制御するプログラミングを行なうのが人間である以上、たとえ完璧だと思っていても、どこかに見落としや思わぬミスが生じることを完璧に防ぐことはできないし、そのシステムを使う側から見たときに、思っていた仕様と異なると感じてしまうこともある。だからこそ、システムを開発するときには、面倒ではあるがテスト期間というものを必ず設けることになる。

 ちなみに、この書評をお読みの方がまだ学生である場合、テストというとまた違った連想をするかもしれない。だが、学校で行なう「テスト」というものが、それまで学校で教えてきたことを自分がどれだけ理解しているか、ということを知るためのものだとするなら、その本質は同じだと言うことができる。そして学校の「テスト」は、生徒にとってのテストであると同時に、先生にとってのテストでもあるのだ。なぜなら、自分が教えている生徒のテストの成績が芳しくない場合、先生としては自身の授業のやり方に問題がある、ということを示唆する材料にもなるからである。

 ところでテストというと、たとえばシステム開発の場合であれば、開発者が行なうテストと、不特定多数の人が行なうテストというものがある。前者は開発者が考えているとおりの動きをするかどうかのテストであり、後者は開発者が想定していないケースを発見し、その穴を埋めるためのデバッグ作業のことであるが、システム開発ならともかく、たとえば新しい薬品の開発や医療技術といった分野のテストの場合、失敗がそのまま死を意味することも少なくない以上、テストや実験にはどれだけ念を入れてもやりすぎということはない、というのは想像に難くない。本書『自分の体で実験したい』は、まさにそのタイトルにあるとおり、科学における未知の領域の開拓のため、自分自身の体を使って人体実験をした、ある意味で命知らずな人たちを紹介した作品であるが、そこには人間が他のどんな動物でもない、まさに人間であるがゆえの考えや行動に満ち溢れている、という点で、このうえなく人間らしさを感じることのできる本だと言うことができる。

 あるときは高温に熱せられた部屋に入ってその身をあぶり焼きにされながら、体温がどのように変化するのかを記録し、あるときは袋や筒を飲み込んだり、胃液を吐き出したりして、消化の仕組みを解明しようとしたりする。超高速のロケットスレッドに自ら乗り込んだり、光の差さない洞窟に何ヶ月もその身を置いたり、猛毒かもしれないガスをあえて吸い込んでみたり――ときには、感染経路を特定しようと致死率の高い病原菌を自分の体に打ち込んだ結果、本当に命を失ってしまった例もふくめ、18世紀から20世紀にかけて、自分の体を実験台にすることにした人たちを10の章に分けて紹介した本書は、傍から見ればなんとも馬鹿げたことをやっているとしか思えないことばかりであり、そういう意味でユーモアにとんだ部分があるのはたしかである。だが、彼らはただ向こう見ずなだけではない。原因のわからない現象を解明するため、自分の考えている仮説が正しいかどうかを証明するため、あるいは苛酷な環境下で働く人たちの安全をよりたしかなものにするために、そうしなければならないと判断したからこそ自分の体で試してみることを決意したのであり、当然のことながら実験にさいして、細心の注意をはらっていることが示唆されている。

「危険のない人生は、マスタードをつけない牛肉のようなものだ。だが、私の人生は人の役に立つのだから、登山や自動車レースのようにただ危険のための危険を追いもとめるのは間違っている」(第7章 危険な空気を吸いつづけた親子)

 この書評をとおして述べてきたことのひとつに、人は未知のもの、わけのわからないものを怖れる生き物だ、というのがある。未知のものに対する恐怖というのは、言ってみれば生物としての防衛本能の一種であり、そうである以上、そうした恐怖心を克服するのは並大抵のことではない。本書に登場する科学者や医者たちは、いずれも強い意志の力と、何より自分の知らない事柄への好奇心によって、恐怖心を克服していった者たちでもあるのだ。そしてそれは、他の動物ではけっして成し遂げることのできない、人間だからこそできたことであり、だからこそ彼らの想い――患者を救いたい、人の役に立ちたい、人々の生活をよりよくしていきたい、という崇高な想いが、けっして上辺だけのものではない、たしかなメッセージとして私たちの心に響いてくることになる。

 私たちは歯が痛くなれば、歯医者に行く。病気になれば病院に行き、必要であれば手術を受けることになる。今ではあたり前のように用いられている麻酔の技術ひとつとってみても、そこにいたるまで道のりには、本書で紹介したようなさまざまな紆余曲折があり、何度となく実験が繰り返され、数多くの失敗を経てきている。自分の体を実験台にして、これまで誰も踏み出さなかったあらたな領域へと足を進める勇気をもった人の、文字どおり身を削るような実験の積み重ねがあったからこそ、私たちはその恩恵にあずかることができているのだ、ということを、本書は教えてくれる。それはきっと、それまで見えていながら気づくことのなかった大切な事柄に、読者をあらためて意識させることになるに違いない。

 体温計を脇に挟むとき、歯医者で麻酔を受けるとき、自動車のシートベルトを締めるとき――私たちにとっての常識が「常識」となるまでの壮大な物語の一端に、ぜひとも触れてもらいたい。(2009.02.20)

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