【日本図書刊行会】
『からのゆりかご』

マーガレット・ハンフリーズ著/都留信夫・都留敬子訳 



 國分功一郎の『来たるべき民主主義』によれば、政治の本質とは「多と一を結びつけること」だという。多種多様な意見のあるなかで、いかにしてひとつの政策を導き出し、それを皆に納得させていくか、という困難な仕事と対峙することこそが政治の役割であるのだが、それは原理的には無理なことであり、また無茶なことでもある。なぜなら、多は一とはけっして結びつかないからだ。だからこそそこから権威であるとか、「敵と味方」といった概念が政治に絡んでくることになる。

 私たちは多数の人間が寄り集まった社会のなかで生きている。そして人間である以上、それぞれがそれぞれの意見や考えをもっている。複数の意見を単一の決定へと結びつけるという無茶を押し通す過程において、かならず誰かの意見は否定される運命にあると言っていい。だが、それはあくまで「否定」であって、「無視」ではない。そこにはかならず、否定された意見についてもあらかじめ検討した、というスタンスがあり、だからこそそこに政治家の手腕が問われることにもなる。そして、それが民主主義というものであるのだが、ここにはひとつの前提が存在する。それは、政治家にとっての民とは、有権者であるということだ。民衆の代表としての代議士を選ぶ権利をもたない者、たとえば一定の年齢に達していない子どもたちなどは、そのなかに含まれてはいない。

 今回紹介する本書『からのゆりかご』は、第二次大戦後にイギリスで行われてきた児童移民計画のことに触れている。著者は一介のソーシャル・ワーカーとして人々の家庭にかかわる機会をもつ方であるが、オーストラリア在住のある女性からの手紙が、後に彼女が深くかかわることになる児童移民たちの悲劇を浮かび上がらせる第一手となった。彼女は両親が死んで孤児になったと聞かされ、保護者のいないままに四歳のときにオーストラリアに送られたと話したが、著者の調査ではそれとは異なる事実が出ていた。彼女の母親は少なくとも死んではおらず、社会的事情によって娘を手放さざるを得なくなったのだという。

 誰かが彼女を外地に送り、彼女自身に関する最も基本的な事実さえも奪い取ったのだ。彼女はこの世界のどこにも足場を持たなかった。彼女の所属する家族や国を彼女に教える出生証明書さえなかったのである。

 もし自分にほんとうの母親がいるのなら、ぜひ一度会ってみたい――それは、自分のルーツを確立するのにもっとも大切な、もっとも基本的な部分であるにもかかわらず、児童移民たちはそれを知る機会もないまま、深い喪失感とともに人生を過ごしていかなければならなかった。それはまさに、自分が忘れ去られた人間だと受け入れて生きるということであり、およそ自分がまともな人間であるという認識すら形成できなくなることを意味する。この問題は後に、児童移民にかかわっていた有名な慈善団体やカトリック教会、さらには児童移民を送り出していたイギリスやそれを受け入れてきたオーストラリア政府をも巻き込む一大スキャンダルへと発展していくことになるのだが、その第一手が、おもに養子に出された子どもとその血縁者とを結びつける活動をつづけていた、一ソーシャル・ワーカーにすぎない著者によるものであるという点が、本書の象徴的なところである。逆に言えば、著者が手をつけなければ、この問題はいまだ闇の中であった可能性が高かったということだ。

 ここでいう「闇の中」というのは、故意の隠蔽という意味ではない。児童移民計画そのものは、秘密でもなくでもなく、本書においても調査によってすぐにあきらかにされた事柄である。問題は誰が、どのような権限で児童移民たちを選出したのかという点であり、それは多くの児童移民たちと接触することになる著者に対しても、常に突きつけられる問題だった。それはそうだろう。著者はあくまで彼らの失われた家族とのつながりを回復させるために児童移民トラストを設立し、数少ない情報を得るために彼らの過去の記憶を、彼らの口から語ってもらう必要があったのだが、そこから出てくるのは、本来であれば弱者を守るべき立場にあるはずの慈善団体や教会が、守るどころか故意に児童移民たちの生い立ちや身分を書き換えたばかりか、強制労働まがいのことをやらせたり、性的虐待の対象として扱っていたという事実なのだ。誰が何の権利があって、本来なら当然手にしているはずの多くのものを奪い取り、非人道的な扱いを許したのかを探ることは、児童移民たちにとっては、そのまま自分の失われたルーツを探ることと同義に近いものである。

 だがその真相解明については、あまりに著者の手にあまる事柄でもある。本書を読んでわかるのは、新聞やテレビ局などがこの問題に光を当て、政治的な問題にまで発展していくなか、あくまで自分のやるべきことは、児童移民たちの失われた家族とのつながりを取り戻すことであるという著者の一貫した意思である。だが上述したとおり、この問題は児童移民の過去を探るうえで避けて通れないものとなっており、それがあるいは著者のストレスを増大させ、あるいは精神を病ませ、自分がカウンセリングを受けることになったり、あるいは見知らぬ誰かからの脅迫に悩まされたりすることになる。本書は言ってみれば、著者が児童移民たちとかかわるようになった七年間の活動をまとめたものであって、誰かをことさらに糾弾したり、非難したりすることを主に置いているわけではない、ということである。

 国の政治や行政が、しばしばそこに暮らす人たちの思いや意思といったものを無視した政策をおこなったりすることは、はるか昔から繰り返されてきたことであるが、児童移民の問題は二十世紀の時代に起こったことである。それも、年端のいかない子どもたちをターゲットに、国と多くの慈善団体や宗教団体が、それぞれの問題を解決するための手段としておこなわれてきた。まるで、有権者でない子どもたちには、何の人権もないと言わんばかりの行ないであるが、この問題の救いようのないところは、当時の国や団体が、児童移民計画を真に「正しい」ことと信じていたという点に尽きる。そして、自分たちの「正義」を振りかざして行われることほど、多くの不幸を生むものはないというのは、同じくはるか昔から繰り返されてきた過ちである。そしてなにより、この問題は私たち国民ひとりひとりが、児童移民のような存在をしばしば忘れ去ってしまうというところにもある。

 私たちが何かを忘れるのは、その「何か」を覚えていたくないからである。そして私たちが何かを知らないのは、じつはその「何か」について、知りたくないからに他ならない。本書のあとがきにおいて訳者も指摘しているように、この児童移民の問題は、イギリスやオーストラリアにとっては恥部に等しいものであり、それは同時にその国民を名乗る人たち全員の恥部でもある。そしてこの問題は、およそ国家という体制を維持しているすべての社会においても、けっして無関係ではない。生まれ故郷から忘れ去られた人たちの、人間としての尊厳を取り戻すために奮闘したまぎれもない人間としての活動に、ぜひ注目してもらいたい。(20134.01.07)

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