【新潮社】
『どくとるマンボウ航海記』

北杜夫著 



・シンガポールで普及している日本語の文句は「IPPATSU YARUKA?」である。
・スエズの検閲官は仮病を使って船医に薬品をタカりにくる。
・ギリシャの海は葡萄酒色をしているときもある。
・サメは砂糖水を飲ませると死ぬ。
・欧州人はおしなべてアメリカ人が嫌いである。
・ドイツでは腸詰が首にからまって窒息死した事例がある。
・オランダではミミズに対する虐待で裁判沙汰になる。
・フランスのパリは、その魅力でしばしば人をサトリにいたらしめることがある。
・ミラノのスカラ座に通いつめるとノイローゼになる。
・盲腸炎は船につきものの病気である。
・タイガースはなぜ田宮を手離したのか?

 これらは、いずれも今回紹介する本書『どくとるマンボウ航海記』のなかで仕入れた知識の、ほんの一端である。本書は著者が船医だった頃の半年間の航海体験をつづったものであり、まだまだ海外旅行というものが今ほど庶民に普及していなかった一九五八年という年代を考えたときに、寄港した海外の様々な都市の様子を描いた本書は、読み手にとっては貴重な情報源となったに違いないと確信しているが、ひとつだけ気をつけなければならないのは、本書の著者が「アタオコロイノナ」というマダガスカル島の神さまの息吹のかかった男のひとりだという点である。

 なにせこの神さま、「何だかへんてこりんなもの」を象徴しており、著者が船医として舟に乗ることになった経緯も、つまるところそんな神さまのおぼしめしがあったからだ、というのはあくまで本人の弁。じっさいにはもっといろいろな事情があったのだろうと思われるのだが、本書を読んでいくかぎりにおいて、そうした真面目な部分に触れるようなことはない。というよりも、いつも酒を飲んで酔いどれているというイメージが非常に強い。そのせいか、本書の印象はまさに上述の羅列のごとく、どこまでが本当でどこまでが冗談なのか判断しづらい、どこかふわふわ浮いたような感覚なのだ。だが、その曖昧な雰囲気がけっして不快でないのは、ひとえに著者の人柄の賜物だと言える。

 そう、本書はあくまで「航海記」というタイトルを冠してはいるが、べつにじっさいの航海に役立つことが書かれているわけでもなければ、海外旅行に有益な情報が載せられているわけでもない。あくまで急遽船医として船に乗り込むことになった一精神科医の、ユーモア溢れる身辺エッセイなのだ。ゆえに、書かれていることも、船で世界をめぐるというある意味で壮大なテーマでありながら、著者の視点はどこまでも瑣末な部分に向けられていく。そして、

 私がなぜこんなことをくわしく書くのかというと、こういう些細なことこそ旅慣れぬ人々の役に立つと思うからである。その点私という男はまことに適任だ。

 と、自称「気が弱い」「語学オンチ」「方向オンチ」な自分の性格を正当化してしまう。なんというか、こんなふうに書いていくと、いかにも肝っ玉の太い人物を想像してしまうのだが、どのような環境においてもけっして物怖じせず、また変な先入観や偏見に囚われることもなく、純粋な好奇心で行動していくという意味では、まさにそのとおりである。

 言い方を変えると、著者は変に自分を飾ったりしない。本書を読んでいくとおのずとわかってくることだが、著者は船が寄港するその先々で、いろいろと失敗したり、情けない目に遭ったりするのだが、そのことをむしろあっけらかんと記していく。また船医として船に乗り込んではいるものの、もともとは精神科医ということもあって、医者としての立場に必要以上にこだわることもない。むしろ夢中になって虫を追ったり、赤潮をすくいとろうと奮闘したり、少なくなったウィスキーに氷を染み込ませ、それを舐めて過ごしたり、海を見て自作の詩をつぶやいてみたりと、何かとお茶目な部分が目立つ。こうした飾らない人柄、そして未知のものへの好奇心が、本書のもっとも大きな魅力となっている。

 今を生きる私たちにとって、海外はけっして遠い世界のことではない。それこそテレビやニュースでは毎日のように海外の情景が撮影され、インターネットの発達は世界のさまざまな場所を簡単につなぐことを可能にした。だが、どれだけ世界の距離感が縮まったように思えても、それを知識として知っているということと、じっさいに肌で体験することのあいだに広がる溝は、依然として残る。本書に書かれていることはたしかに瑣末なものが多いが、それでもなお本書が色あせない魅力に満ちているのは、まさにその「瑣末さ」ゆえのことだ。考えてもみてほしい。ある国のこと、あるいはある街のことについて、その概要を知りたければいくらでも調べることができる、それが現代という時代である。その気になれば映像や音声さえ手にはいるかもしれない。だが、本書に書かれているような些細な事柄は、まさに些細なことであるがゆえに漏れてしまい、検索しようにもそのとっかかりすらつかめない。

 海外を旅しようとする人は、それぞれの国のガイド本を手にすればいい。だが本書に書かれている多くの国や、そこに住む人たちは、あくまで著者の主観をとおして語られるものだ。そしてそこには、ニュースやネットではけっして拾うことのできない雰囲気――そう、世界が多くの人にとってまだ「ワンダー」なものであった頃の、まるで子どもが知らない場所を探検するかのような雰囲気がたしかにある。そして、そうしたワンダーな雰囲気というものは、あるいは本書のなかにしか生き残っていないものであるのかもしれない。はたしてあなたは、本書を読んでどのような感想をもつことになるのだろうか。(2014.09.27)

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