【早川書房】
『夢の蛇』

ヴォンダ・N・マッキンタイア著/友枝康子訳 



 今の日本の、良くも悪くも平和な状況において「とにもかくにも生き延びる」ということを想像するのは、それだけでも難しいことなのかもしれないが、それでも年に三万人以上の日本人が自殺するというある種異常な状況を考えたとき、この「生き延びる」ということについて、あらためて考えないわけにはいかない。

 人の生き延びるための力が試されるのは、たいていは非日常的な状況に置かれたときである。いつもであれば通用したはずの常識や慣習がまったく通用しないような極限状態において、いかに人間としての意識を保ちつつ生き延びることができるのか、という点については、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』などが詳しいが、端的に言えば、いかに人に頼ることができるか、という点が「生き延びる」ことにおけるポイントのひとつだと私は考えている。もちろん、人に頼ってもすべての人が助けてくれるわけではなく、極限状態においてはなおのことそうであるのだが、これは言い換えるなら、他人の助けを取りつけるための資質やスキルがどれだけあるかがその人の生死を分ける境界線となる、ということでもある。

 いうまでもなく人はひとりでは生きられないし、生きるということは他の誰かを頼り、あるいは頼られることでもある。そうしたつながりをできるだけ廃し、自分だけの力で生きていこうとするのは、一面では潔い生き方ではあるが、けっして賢い生き方というわけではない。そして何より、人の助けを取りつけるために自身が行動しないかぎり、現状維持はあっても改善することはない。本書『夢の蛇』という作品を読んで、私がまず抱いた感想が、そうしたことだった。

 本書の主人公であるスネークの職業は「治療師」、病気や怪我で苦しむ人たちに適切な治療を施すことを生業とする者であるが、その治療方法が一風変わっている。「治療師」たちは組合から特別な蛇を与えられ、彼らはその蛇をもちいて治療を行なうのだ。とは言っても、なにも呪術めいた怪しげなものではなく、蛇の毒素をコントロールして抗体をつくり、それを病人に注入するという、きわめて合理的な治療法である。しかしながら、スネークが西の砂漠を越えて訪れた遊牧民たちにとって、蛇はひたすら恐怖の対象として認識されるものであった。腫瘍に苦しむ子どもの治療にあたっていたスネークだったが、ちょっとした手違いで部族のひとりが、彼女の蛇の一匹である「夢の蛇」を殺してしまったのだ。それは彼女にとって手痛い損失――「治療師」としての力の一部を奪われるに等しい出来事だった。

 核戦争によって人類の文明が大きく後退し、荒れ果てた土地ばかりとなった未来の地球を舞台とする本書において、自身の技量のみを頼りに生きていくことがどれだけ多くの困難をともなうものであるかを想像するのは難しくない。スネークはそんな数少ない自立心溢れる女性として描かれており、「夢の蛇」を失うという不測の事態に直面したときも、組合本部に戻って指示を仰ぐよりも、別の「夢の蛇」を手に入れられるかもしれないというほんのわずかな望みにかけるほうを選択する。スネークという彼女の呼び名は、とくに優れた「治療師」に与えられるもので、それは彼女にとっての名誉であると同時に、彼女のアイデンティティの一部にもなっていることが、本書を読み進めていくとわかってくる。そういう意味では、本書はかつてあった自身の力を奪われた主人公が、その力を取り戻すための旅に出るという、物語としての王道をなぞっていると言うことができるのだが、本書を評するにおいて重要なのは、むしろスネークという人物と、彼女を取り巻く人たちとの関係性である。

「治療師」としての誇りを重んじるスネークにとって、「夢の蛇」を失ったという事実は、そのまま自身の認識の甘さと判断ミスによるものであり、すべては自分の責任として背負うべきものとしているが、その認識があまりに自身に厳しいものであることは、本書を読めばすぐにわかることでもある。じっさい、部族のひとりであるアレヴィンは、その責任の一端は自分たちにこそあると考えているし、スネークの力になろうと彼女の後を追う決意をするまでに到る。もっとも、そうした決意の裏にはちょっとした恋愛感情が絡んでいたりするのだが、ともあれここにひとつの関係性――人に余計な迷惑をかけまいとするスネークと、そんな彼女の力となりたいと望むアレヴィンという関係性が成立する。

 いっぽう、本書にはもうひとりの重要人物としてメリッサという少女が登場するのだが、ここにおけるスネークとメリッサとの関係は、上述のそれとはまったくの正反対となる。つまり、スネークのほうがメリッサの置かれた状況を何とか打開し、彼女を助けたいと望む側になるのだが、そこにはメリッサという少女の個人的な技量の高さを見抜きながらも、その技量がまったく生かされていないばかりか、無駄に腐らせているという不条理への怒りによるところが大きい。そして自由意志を奪われたまま、誰かに助けを求めるという考えさえ封じられているメリッサの立場は、誰かに余計な迷惑をかけまいという意識が強迫観念となり、当人にとって悪い方向に向かわせているという極端な例だ。

 メリッサにとってスネークは、あらたに与えられた選択肢のひとつであるが、それが選択肢のひとつであると認識できるかどうかの差は大きい。そしてそれは、スネークにとってのアレヴィンについても同じことだと言える。「治療師」としての高い矜持をもつ彼女にとって、当初アレヴィンとともにいるという選択肢は、たとえ彼に惹かれるものを感じていたとしても、選択肢のひとつとして含まれていなかった。そのために今回の物語がはじまり、その過程でスネークは多くの困難に遭遇することになるのだが、このメリッサとスネーク、そしてスネークとアレヴィンの関係の結末がどうなるのかというのも、本書の読みどころのひとつとなっている。

 外界との接触を極端なまでに避け、高い技術を独占しつづけている「都市」の存在や、外宇宙との交流があることを裏づける未知の動植物など、ファンタジーを思わせながらもあちこちにSFテイストをちりばめている本書であるが、純粋にひとりの女性が苦難を乗り越えて大きなものを獲得する物語としても充分楽しめるものがある。はたしてスネークは「夢の蛇」を手に入れ、「治療師」としてのアイデンティティを取り戻すことができるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.12.06)

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