【アスキー】
『ドラゴンランス』

マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン著/安田均訳 



 あまりにあたり前のように存在しているために、つい忘れてしまいがちであるが、私たちが生きるこの世界は、じつにさまざまな要素が絶妙な均衡を保つことによって存続している。自然環境のバランスを考えてみれば、もっともてっとりばやいのではないだろうか。たとえば、この地球がほんの少し太陽に近い場所にあれば、たちまち砂漠ばかりの灼熱の世界になってしまうし、ほんの少し太陽から遠ければ、たちまち氷が地表を覆う極寒の世界になってしまう、ということだ。

 善と悪、という概念についても、同じことが言える。何が正しくて、何が間違っているか、という判断に絶対的な基準があるわけではないことを、私たちは知っているはずである。それは時と立場によって容易に変化しうるものでしかないのだ。いくらアメリカ合衆国が「正義のため」という旗印をかかげようとも、空爆される国に生きて生活している人たちにとって、アメリカは自分たちの住処をおびやかす悪の軍事大国でしかない、というのと同じことである。

 作物を荒らす害虫を駆逐するために強力な農薬を撒くことが、必ずしも私たち人間にとって良いものであるとは限らないように、極端な思想、極端な力というものは、それだけで世の中の絶妙な均衡を崩しかねない代物になってしまうことがある。本書『ドラゴンランス』は、いわゆる典型的な「剣と魔法の異世界ファンタジー」を描いた作品であるが、本書がたんなる「悪者退治」の御伽噺に終わらない、高い完成度を誇っているのは、その世界設定の圧倒的なリアリティーのせいばかりでなく、善と悪、そして中立という概念を魔法や神話のなかに組み入れることによって、世界の均衡が崩れ、それが再び回復するというストーリーを具現化することに成功しているからに他ならない。

 エルフやドワーフ、ケンダーといった、人間とは異なる種族が存在し、古の神々の伝説が現実のものとして世界に影響をおよぼし、いまだ人知では解明できないさまざまな不思議が渦巻いているクリンを舞台に、世界を闇に閉ざさんとする<暗黒の女王>率いる悪のドラゴン軍と戦いながら、冒険の旅を繰り広げることになる登場人物たち――ここでひとつ注目しなければならないのは、彼らがけっして「伝説の勇者」でもなければ、一国の王族に属する高貴な出自の者でもなく、寄せ集めの冒険者というパーティでしかない、という点だろう。人間とエルフの混血児であるタニス、強力な魔力を得る代償に肉体を犠牲にした魔術師レイストリン、その兄で巨漢の戦士であるキャラモン、厳格な騎士道の掟に生きるスターム、好奇心旺盛でトラブルメーカーだが手先の器用なケンダーのタッスルホッフ、ひたすら頑固者だが情に厚いドワーフの老戦士フリント――彼らはそれぞれの分野で卓越した能力を持つ者たちであるが、同時にそれぞれに欠点や短所があり、またそれぞれの悩みを抱え、自分勝手な思惑を持って行動をともにしている。思えば、これほど個性も特技も異なるパーティも珍しい。

 こうした混成パーティの存在は、本書の土台となっているTRPG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)において、およそどのような事態にも対処できるためのひとつの典型的な形であり、本書もその流れを組んでいるわけだが、この種族も役割もバラバラなパーティは、そのままこの世界における多様性を象徴していると言うこともできる。そして、彼らはただ単に敵のアジトや地下洞窟に潜入し、迫りくるドラゴン軍と戦うだけでなく、過去に世界を襲った「大変動」以後、それぞれが分断されてしまったエルフやドワーフたちとの交流を回復し、あるいは伝説の英雄ヒューマが属したとされるソラムニア騎士団の、地に堕ちた名誉を回復させることによって、世界がドラゴン軍に対して団結して戦う絆を回復させる、という役割をもはたすことになる。

 そう、彼らはけっして強いわけではないのだ。一匹のドラゴンとまともに戦って勝利できるだけの力があるわけでも、またひとりで何百という敵を葬り去る力があるわけでもない。だが、彼らはそのときそのときの危機を、お互いの足りない部分を補うようにしてなんとか切り抜けていく。そしてそんな彼らの結束の力が、徐々に世界を結束させていく力となっていく。彼らに課せられた使命とはけっして「勇者」や「英雄」となって悪を討ち滅ぼすことではなく、それぞれの立場や思惑によって縛られている人たちの「間」をゆるやかに繋いでいく、ということにこそあるのだ。そしてそれは、世界の多様性をそのまま具現しているタニスたちのような混成パーティにこそ――ときによってはドラゴンを支配すると言われる貴重な「ドラゴン・オーブ」を破壊することさえ厭わない、あらゆる組織や価値観から自由な立場にある彼らにこそふさわしい役割だとも言える。

「なぜみんなはタニスについていくのか? スタームは名家の出で、由緒正しい階級の一員です。なぜ彼は、父親も知れない<ハーフ・エルフ>に従うのでしょう? ――(中略)――タニスは自分の感情を大切にするのです。騎士のように感情を抑えつけたり、平原人のように隠したりしません。指導者たる者、時には頭でなく心で考えねばならない場合もあることを、タニスは知っているのです」

 本書の中で、タニスは常に迷い、悩んでいる、というイメージが大きい。もちろん、自分がエルフでもなく、といって人間でもない混血児である、ということも影響しているが、それ以前に、けっきょくのところ、タニスは自分が自分であることの拠り所として、自らの感情に頼る以外の選択肢を持てなかった、ということでもある。そして彼は、その自分の感情がもっとも大切だ、と伝えるものが何なのか、なかなか決心がつけられずにいる。かけがえのない仲間たち、昔の恋人だった美しきエルフの娘ローラナへの愛、そしてかつてのパーティのひとりであり、情熱的に恋した女戦士キティアラへの熱い想い――それはおそらく、タニスがエルフでもなく、人間でもないのと同じように、きちんと白黒つけられるような代物ではないのだろう。そしてそれはそのまま、善と悪による世界の均衡についても同じことが言えるのである。本書における善と悪の、世界の命運をかけた戦いは、タニスの心の戦いでもあるのだ。

 本書の冒険を通じて、登場人物たちはそれぞれの悩みにそれぞれの決着をつけていく。いっけん、悩みとは無縁のように見えるケンダーのタッスルホッフでさえ、もはやたんなるお調子者ではいられなくなるほどの経験を積み重ねていく。自分は何者で、何を頼りに生きていくべきなのか――常に迷い、悩みつづける弱き者たちが、しかしそれでも懸命に生きていこうとするクリンという異世界ファンタジーに、読者はきっと共感をもって入りこむことができるに違いない。(2002.12.06)

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