【アーティストハウス】
『ドスコイ警備保障』

室積光著 



 自分が本当にやりたいこと、目標とすべきことを見つけるのは難しい。やりたいこと、好きなことを自分の仕事にするのはもっと難しい。そして、好きなことだからこそ選んだ仕事で成功を収めるのは、さらにもっと難しいことである。

 たとえば、プロスポーツの世界を考えてみればわかることだが、全国、あるいは全世界から選りすぐられた、才能ある選手たちが集まってくるプロスポーツのなかで、さらに優れた成績を残しつづけるのは並大抵のことではない。おそらく、そうした厳しい世界のトップクラスの領域までのぼりつめることができる人は、ほんのひと握りでしかないだろう。そして、プロの世界で活躍できるかどうかは、当人の努力や実力もさることながら、運不運というものも大きく影響してくるはずである。たとえ、どれだけすごい実力の持ち主であっても、いざ試合となるとその実力をなかなか発揮できない、というのはよくあることだ。思わぬ怪我や故障で泣かされることだってあるに違いない。そして当人の意欲とはうらはらに、年齢を重ねていけばやがて肉体は衰えていき、若い力に凌駕されてしまう。

 何かひとつのことに、自身のすべてをかけて取り組んでいく姿勢は、評価されてしかるべきだと私は思っている。だが、これはプロスポーツに限ったことではないが、結果を出すことができなければ、いくらその過程で努力したとしても意味がない、というのが、現実世界の実情だと言うこともできる。その実情が間違っていると言うつもりはないが、ある目標めざして懸命に努力しつづけ、それでもなお目標に届くことができなかった人たちが、目標を達成できなかった事実を指して、それまでの人生を無駄にしてしまった、と思ってしまうのであれば、それはあまりにも哀しいことではないだろうか。

 本書『ドスコイ警備保障』は、廃業した力士、それもめぼしい活躍をすることなく土俵を去らなければならなかった力士たちの再就職先として、相撲協会の理事長となった元横綱・南ノ峰の提案で発足した株式会社の名前である。その巨大な体躯と、相撲で鍛えた力士としての能力は、ガードマンとしても立派に通用するに違いない――本書は、発足当時の元力士のメンバーと、南ノ峰の意向を汲んで、会社設立と運営のために一肌脱ぐことにしたサラリーマンたちの、笑いあり、涙ありの奮闘記なのだ。

 大相撲の世界では目立った成績をあげることのできなかった元力士たちが、契約先の会社ビルに忍び込んだ強盗相手に、現役時代を思わせる大立ち回りを演じたり、世界的大スターやボクシングの世界チャンピオンの護衛を勤めたりする姿は、読んでいてなかなかに小気味の良い面白さがある。そもそも、力士という特殊な体格の持ち主にガードマンの仕事を専門にさせてしまう、というある種のユーモアを、そのままひとつの小説として仕上げてしまうセンスの高さもさることながら、本書を語るうえでもっとも重要なのは、この警備会社を中心に、奇しくも結びつくことになった登場人物たちが織り成す、さまざまな人間ドラマだと言うことができる。

 運命というものを信じるようになったのは十年くらい前からだろうか。若い頃は頭の良さを鼻にかけていたわけではないが、自分の力だけで人生を切り開いていけると思っていた。
「でも違うの。あるのよ、運命って」

 元力士たちによる警備会社とかかわることになる人物のひとりに、木原敦子という女性がいる。彼女は当初、同じ郷里の同級生である近藤たちから「ドスコイ警備保障」発足の話を受け、おもにイベントの主催者を紹介するという形でかかわることになるのだが、三十八歳という年齢でありながら女性としての魅力を保ち、頭脳も明晰で、かつ芸能プロダクションの社長として成功するだけの才覚もあり、かつての同級生たちの憧れの的であった彼女が、今の自分の地位を「運命」だと捉えているという事実は、ある意味で象徴的である。

 本書に登場する元力士たちにしろ、敦子の同級生である近藤たちにしろ、彼らは今の社会でけっして成功しているとは言えない立場にある。大相撲と企業という組織の違いはあるものの、彼らはいずれもその組織の競争から落伍した存在である、という意味では、彼らは共通したものをもっているのだ。彼らはけっして能力がなかったり、努力が足りなかったりしたわけではないが、そんな彼らが、もし現状を「運命」という言葉で片付けようとすれば、それはどうしても言い訳めいたものにならざるを得ない。だが、敦子や南ノ峰といった成功者たちが「運命」や「運不運」という言葉を用いたとき、それはまた違った響きをもつことになる。

 世の中には実力や能力がないにもかかわらず、世の中をうまく渡り歩いて利を得ることに長けた人間というものはいるものである。本書に登場する人たちは、言ってみれば不器用で、なかなかその努力が報われない者たちばかりであるが、その裏表のない、素朴でひたむきな生き方にはおおいに共感するものがある。そのことに気づいたとき、読者は「ドスコイ警備保障」という株式会社がたんに力士の再就職先として存在する、保険のような場所ではなく、正直者が馬鹿を見ることのない世界を具現するための場であることをあらためて知ることになるのだ。それはたとえば、元力士の大東山が、総合格闘技の世界でのしあがっていくのではなく、あくまで弱い者たちを守るために、その力を発揮できる警備会社の仕事をまっとうするような世界である。

 はたして「ドスコイ警備保障」がどのような発展をとげていくのか、ということについてはぜひ本書を読んでたしかめてほしいが、何かというと嫌な事件ばかりが目立つ今の世の中において、本書のような作品があるという事実は、きっと多くの人たちに、未来はきっと良いものになることを信じさせるだけのものがあるに違いない、という確信が私にはある。(2003.10.23)

ホームへ