【講談社】
『ドッペルゲンガー宮』

霧舎巧著 
第12回メフィスト賞受賞作 



 ミステリーの面白さ、とくに本格ミステリーと呼ばれているものの面白さとは何かと問われれば、そこに仕掛けられた謎がどれだけ読者の想像を良い意味で裏切ってくれるものであるか――たとえば、不可解な殺人事件が起きたとすれば、その犯人が誰で、そしてどのようにして殺したのか、という点で、読者の想像を上回る、しかし論理的には破綻していない解答を提示することができれば、本格ミステリーとしてまずは成功だと言うことができるだろう。だがもうひとつ、本格ミステリーの面白さを語るうえで欠かすことのできない要素として、事件や謎を解き明かす探偵の存在を忘れるわけにはいかない。

 言うまでもないことかもしれないが、探偵とは、物語の中で提示される謎に対して、正しい解答を導き出すことを宿命づけられた者のことである。逆にいえば、ミステリーというジャンルにおいて、謎が謎のままで終わってしまってはミステリーとして成立しなくなる、という意味で、探偵役の人間は必要不可欠な存在だということでもある。それゆえに本格ミステリーにおいては、ともするとひとりの人間であること以前に、探偵という役割のほうに比重が傾いていき、謎を解かせるためのひとつの装置のような存在と化すこと、つまり、謎というメインを引き立たせるための、あくまで付属品のひとつに堕してしまうことも起こりえるのだが、それでもなお、古今東西の名作ミステリーというと、たとえばその作品名ではなく、ホームズや金田一耕介といった名探偵の名前が出てくるのは、やはり探偵という役割そのものに、本来大きな魅力があるからに他ならない。

 では、探偵の魅力とは何だろう。彼らはけっして大きな権力や腕力をもっているわけではない。だが、彼らは何より論理の力を信じている。けっして世の中の常識に縛られることなく、鋭い洞察力と自由な発想力でまっすぐに物事の論理に迫っていく力――いっけんするとややこしくてわけがわからない出来事であっても、まるでそこに方程式が存在するかのように、正しい論理から真実を看破していく探偵たちは、たしかに凡人たる私たち読者にとって、あこがれの対象となったとしてもおかしくはない。

「考えるんだよ。疑問に思ったら、どうしたらそういう結果になるか考えるんだ。事実は曲げられない。だとすれば曲げて考えなくちゃならないのは、常識という名の思い込みのほうだ」

 本書『ドッペルゲンガー宮』は、北澤大学の研究棟にある「あかずの扉」研究会のメンバーがかかわることになる連続殺人事件とその顛末を書いた作品であるが、本書の冒頭で費やされるのは、メインと言うべき連続殺人事件の現場である「流氷館」のことではなく、大学に入学したばかりの推理小説マニアである二本松翔が、「あかずの扉」研究会にやってくるというシチュエーションではじまる、そのメンバー紹介である。自称「名探偵」の鳴海雄一郎、断片的に未来のヴィジョンを見ることのできる森咲枝、鍵開けのテクニックだけでなく建築関係にも詳しい大前田丈、メンバーのムードメーカーであり、トラブルメーカーでもある由井広美、そして研究会の会長で、真の「名探偵」後動悟――それぞれひとクセもふたクセもある個性的なメンバーを登場させ、その特徴を印象づけさせると同時に、研究会におけるメンバーの関係性を強調させるちょっとしたエピソードを挿入することで、登場人物、とくに「あかずの扉」研究会のメンバーが、たんなる謎の付属品ではなく、たしかに生きた人間であり、また思い入れもあるのだということが強調されることになる。

 こうしたキャラクターの演出は、いかに不可思議な謎を提示し、その謎に対していかに論理的な解答を与えるか、という本格ミステリーの比重を、謎そのものからそこにかかわる探偵をふくめた人物へと移行させる役割を担っている。そういう意味では、本書はキャラクターありきの小説であり、また殺人事件を利用して人間ドラマを描いていく作品でもあると言える。だが、だからといって本格ミステリーの部分がおざなりになっているかといえば、けっしてそんなことはない。

 一年前に「たすけて」というメッセージを残したきり、音信不通となった純徳女学院の生徒、氷室涼香の実家でもある西洋風建築物「流氷館」――そこでは一年前、館主の氷室流侃をはじめとする推理小説の同人サークルの親睦会がおこなわれていたが、そのとき館にいたメンバーをふたたび呼び寄せようとする動きがあり、氷室涼香の行方もふくめた調査依頼を受けた「あかずの扉」研究会は、まず鳴海を依頼主と同行させ、「流氷館」へと先行させることになった。だが、翌日残ったメンバーが「流氷館」にたどりついたとき、昨日潜りこんでいたはずの鳴海をはじめとした全員が館から姿を消していた。すぐに携帯電話による鳴海自身からの連絡によって無事が確認されるものの、それでわかったことは、鳴海たちが「流氷館」とまったく同じ構造をした、もうひとつの「流氷館」につれてこられていた、ということだった。

 明かりも出口もなく、すべての窓が鉄板で封じられたもうひとつの「流氷館」は、はたしてどこにあるのか。そんななかで次々と起こる殺人事件の犯人は? その動機は? そして一年前にこの館で何があり、そもそも氷室涼香はどうなったのか? いかにもいわくありげな二重の館の存在をはじめとして、見立て殺人あり、密室あり、ダイイングメッセージあり、首なし死体によるすり替えありと、およそミステリーのあらゆる要素を詰め込んで、しかもそのことによって謎の解明をふくめた物語構造が破綻することなくまとまっているところは賞賛に値すべきバランス感覚であるが、それ以上に本書の大きな特長は、上述の「あかずの扉」研究会のメンバーのキャラクター性を前面に押し出していくことによって、本格ミステリーにおいて必ず付随してくる、連続殺人事件やおおがかりなトリックという非現実性から読者の視点をできるだけ遠ざけようと工夫している点である。

 たとえば、本書の語り手である二本松翔が推理小説マニアであるという設定も、ただたんに名探偵役である後動悟のワトスン役、名探偵の推理を引き立たせる役割を負わせるだけでなく、彼の推理が、これまで読み込んできた推理小説から蓄積してきた、およそ現実的でない推理であることを強調させることによって、彼らが直面している事件がけっしてそれまでの推理小説で出てきたようなたぐいのものではない、特別なものであることを暗に語ろうとしているのだ。

「そうだよ、ワトスン博士の間違った推理を知ることによって、シャーロック・ホームズは真相への正しい道を迷わず進むことが出切るんだ」

 もちろん、本書に仕掛けられたトリックにしても、他のミステリーと同様、およそ現実的なものではない。だが重要なのは、そのミステリーがいかに現実味のあるものであるか、ということではなく、与えられた謎に対していかに論理的に矛盾のない解答を示すことができるか、という点に尽きる。そして、その過程もふくめた一連の謎解きは、謎そのものを引き立てるのではなく、後動悟をはじめとする「あかずの扉」研究会の存在を引き立てるためのものであり、だからこそ本書は本格ミステリーであると同時に、キャラクター小説でもあると言えるのである。

 以前、同著者の『四月は霧の00(ラブラブ)密室』を読んだとき、そのキャッチフレーズが「霧舎がやらねば誰がやる」というものであった。霧舎学園シリーズはいわゆる学園ラブコメミステリーであり、そうしたたぐいのミステリーを書くのがなぜ霧舎巧でなければならないのか、という疑問は以前からあったのだが、本書を読み終えて、あらためてその理由がわかったような気がした。霧舎学園シリーズとも一部リンクしていく本書をぜひ楽しんでもらいたい。(2005.09.28)

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