【河出書房新社】
『銀河ヒッチハイク・ガイド』

ダグラス・アダムス著/安原和見訳 

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 科学技術の進歩は、私たちの生活をより便利で快適なものにしていくという事実がある。たとえば明かりひとつ取ってみても、以前はロウソクやランプといった火を利用するのがあたり前であり、その火種は熾したり保持したりするのが容易でなく、またちょっとしたことで消えてしまったり、あるいは火事の原因になったりする、取り扱いの難しいものでもあった。

 電気というものがさまざまなモノの動力として使われるようになってから、明かりはスイッチひとつで点けたり消したりできるものへと変化した。これは間違いなく科学技術の発展による恩恵のひとつではあるが、では以前の私たちが認識していた、明かりを灯すことに対する苦労や危険というものが消えてなくなったのかと言えば、けっしてそうではない。それは単に私たちの手から離れて見えにくくなっているだけで、じつはまったく別のところ――ここでは電力設備で「明かりを灯す」ことに対するエネルギーの消費が肩代わりされているにすぎない。

 ある場所から別の場所へと移動するには、自分の足を一歩ずつ前に出して進んでいくしかない。車を運転したり、電車や飛行機といった乗り物を利用すれば、足をまったく動かさなくとも移動はできるが、その代わりに私たちは、本来であれば自分の体から消費されるはずのエネルギーを電気やガソリンといった資源に肩代わりさせている状態である。そんなふうに考えたとき、私たちの生活が快適になればなるほど、つまり科学技術が進歩すればするほど、肩代わりされる資源の消費も多くなっていくと考えることができる。

 SFの世界では、しばしば宇宙船が星間移動の乗り物としてふつうに登場したりするが、こうした宇宙規模のスケールとなったときに、その消費エネルギーはどれほどのものなのか、そしてそのエネルギーはどこから、どんな手段で手に入れるものなのかということを、今回紹介する本書『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読んだときに、ふと考えずにはいられなくなった。というのも、本書冒頭で地球がいきなり消滅するという展開になるのだが、その理由が「超空間高速道路の建設のため」という、ある意味で皮肉なものであったからである。

「いまごろ大騒ぎしてなんになる。設計図も破壊命令も、最寄りの土木建設課出張所に張り出してあっただろう。アルファ・ケンタウリの出張所に地球年にして五十年も前から出てたんだから、正式に不服申立をする時間はいくらでもあったはずだ。いまごろ文句を言うのはいくらなんでも遅すぎる」

 この恐ろしくも無意味な「地球消滅」というイベントは、私たち人間が地球上でさんざん行なってきた高速道路や線路建設のための環境破壊を、そのまま宇宙レベルに引きあげたものにすぎない。そしてそれを象徴するかのように、本書に登場する地球人のアーサー・デントは、市のバイパス建設工事のためにやってきたブルドーザーの前に座り込み、自分の家を破壊されるのを阻止しようとする。

 市の役人にとって、アーサー・デントの住まいが些細なものであるのと同じように、銀河外縁部開発計画を推進するものたちにとって、地球とは些細なもの――星図にも載っていない辺鄙な宙域にある、あきれるほど文明の遅れたサルの子孫が住む、あってもなくてもどうということのない惑星のひとつに過ぎない。自分たちが被害者側になることで、はじめて自分たちがこれまでしてきたことの理不尽さ、不条理さを思い知らされるという意味で、この「地球消滅」は皮肉以外の何ものでもないのだが、そうした皮肉をある種のユーモアとして還元するものとして存在するのが、本書のタイトルにもなっている「銀河ヒッチハイク・ガイド」という本である。

 ヒッチハイクとは言うまでもなく、トラックなどの乗り物に便乗乗車させてもらうことで、目的地まで無料で移動する手法のひとつであり、「銀河ヒッチハイク・ガイド」とは、それを宇宙船で実施するためのガイドブックということになる。この本の現地調査員のひとりとして、たまたま地球に滞在していた宇宙人フォード・プリーフェクトは、同時に星間ヒッチハイカーでもあり、その彼の友人であったアーサーは、彼の助けを借りてあやうく地球消滅の難から逃れることになるが、同時にそれは、生まれ故郷たる地球を失ったアーサーが、フォードとともに否応なく星間ヒッチハイカーにならざるを得なくなった瞬間でもある。

 宇宙を舞台とし、星間航行があたり前の技術となったSF世界、とくにスペース・オペラと呼ばれるジャンルにおいて、主人公たる人物が何らかの理由で自前の宇宙船を所有しているという設定はよくあるが、本書のように宇宙船をヒッチハイクしながら星から星へと渡っていくという設定は、斬新というよりは、むしろ「みみっちい」という感想が浮かぶ。宇宙は広大であり、だからこそそこを舞台とする物語は壮大なものであってほしいと思うのだが、主役たるフォードとアーサーには自前の船すらなく、他人の船に乗せてもらうしかないという立場だ。とてもではないが「銀河を股に駆ける冒険者」というわけにはいかないが、まあそれは本書のタイトルからある程度は推測されるものではある。

 そう、本書は宇宙を舞台としたSFでありながら、妙に私たちのよく知る現実的な一面をクローズアップしており、それが本書を大きく特長づけているところがある。地球が消滅した原因でもある「超空間高速道路の建設」というのもそうだが、土木工事レベルで星系を壊せるほどの科学技術をもっていながら、ヒッチハイクのガイドがベストセラーとなっていたり、富豪たちのためにオーダーメイドの惑星をつくっていた伝説の企業惑星が、景気回復を待つために何万年も営業を休止していたりと、何かと世知辛い宇宙事情が見え隠れする。それはまるで、私たち地球人類の価値観が、そのまま宇宙レベルで適用されたときに、おそらくこうなるであろうと思われるものなのだ。そしてそれは、SFの一要素たるセンス・オブ・ワンダーとは言い難いものでもある。

 しかしながら、そのことを理由に本書を駄作扱いするのは間違いであり、むしろこのばかばかしさこそが本書の真骨頂だと言うことができる。人間そっくりのロボットをつくろうというコンセプトで完成したのが、うつ病をこじらせたかのような性格のロボットだったり、「究極の回答」を計算したコンピュータが、今度は「究極の問い」を計算するための惑星規模のコンピュータを自作することになったりと、何かと人間臭い要素に溢れた本書は、まさにばかばかしくも素晴らしい「銀河を股に駆けるコメディ」という肩書きがふさわしい。

 ヒッチハイクとは、本来向かいたい目的地があるからこそ成立する行為ではあるが、かならずしも移動することだけが目的ではなく、ヒッチハイクで出会う人たちとの交流をふくめた過程そのものを楽しむという目的もある。星間ヒッチハイカーのフォードにしろ、故郷を失ったアーサーにしろ、急いで向かうべき目的地のない彼らの、ある意味で自由奔放なヒッチハイク・ライクがどのような騒動の引き金となっていくのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2015.05.23)

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