【アメーバブックス】
『離婚裁判』
−モラル・ハラスメントからの脱出−

荘司雅彦著 

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 まず最初にことわっておかなければならないのは、今回紹介する本書『離婚裁判−モラル・ハラスメントからの脱出−』のメインテーマは、離婚裁判そのものではなく「モラル・ハラスメント」と呼ばれる、一種の精神的虐待だという点である。本書は言ってみれば、モラル・ハラスメントとは何かということ、そしてそこから脱却するにはどうすればいいのかということを、簡易な小説仕立てで解説した作品であるのだが、それは逆に言えば、何らかの物語形式で説明しないと、モラル・ハラスメントの全容をつかむのが難しいということを意味している。当然、モラル・ハラスメントが内包しているひとりの人間の精神を崩壊させかねない危険性についても、なかなか理解が得られないという背景がそこにはある。つまり、モラル・ハラスメントというのはそれだけ表に出にくい、しかしその被害者となった人たちにとってはこのうえなく危険な暴力行為であり、それは同時に、その加害者たちがいかに狡猾な存在であるかということを証明するものでもある。

 私も本書を読んではじめて「モラル・ハラスメント」という新しい言葉に触れることになったのだが、そこにあるのは一種の言葉の暴力である。だがここで問題となるのは、モラル・ハラスメントにおける加害者が被害者にあたえる「暴力」という言葉が、その言葉が本来持っている「肉体的損傷」を意味する暴力のイメージとうまく噛みあわない、という点だ。モラル・ハラスメントの加害者は、けっして被害者に暴力を振るうわけでもなく、また大声で怒鳴りつけたりするわけでもない。だが、彼らの言葉のひとつひとつ、その態度のひとつひとつが、確実に被害者のストレスを増大させ、精神的に追いつめていくものとして作用する。加害者を「加害者」として、被害者を「被害者」として、その当人たちも含めて認識することの難しさが、モラル・ハラスメントの大きな特徴なのだ。そしてそれゆえに、モラル・ハラスメントの被害者はその苦しみを周囲の人たちに理解してもらうのが難しい、という現実とまずは戦わなくてはならなくなる。

 本書に掲載された小説は、ひとつの文芸作品として見るかぎり、けっして良質なものとは言えない。だが、モラル・ハラスメントの実態についてわかりやすく解説する、という一点において特化された作品としてとらえるなら、この小説の構造はかなり用意周到なものがあると言える。たとえば、本書に登場する鮎川加奈子という女性は、上智大学卒業後、総合職で一流商社に就職をはたした才女として最初は登場する。国際感覚に鋭く、向上心も人一倍もっており、また両親の反対を押し切って東京の大学への入学を独力ではたすという行動力ももちあわせているという、将来有望な女性である。ところが、そこでやらされる仕事といえばお茶汲みやコピー取りといったどうでもいい仕事ばかり。さらに、90年代に深刻化した不況を乗り切るために会社が敢行したリストラの対象となった加奈子は、「研修」の名のもとにおこなわれた、その人間性を崩壊させるような内容によって、すっかり自身の内に閉じこもるような、萎縮した女性となってしまう。

 この加奈子の、やや乱暴ともいえる性格の変化が、その後におこる椿英一郎との結婚と、けっして幸福とはいえない、「真綿で首を絞め」られるような生活、そして弁護士との出会いではじめて知ったモラル・ハラスメントの存在と、英一郎との離婚調停という一連の流れを形づくるための布石であることは言うまでもない。というのも、モラル・ハラスメントの最大の特徴は、相手を精神的に支配して、最終的には自分の思いどおりに操ってしまうことにあるからであり、被害者が過去に自身に対するトラウマをもっていたり、内向的な性格だったりする場合に、その支配に抵抗するのが難しくなるからである。またそう考えると、椿英一郎の超エリートぶり、その完璧超人ぶりを強調するような設定についても、なんでもできてしまう自分を中心としたときに、他の人たちを見下すようなその精神構造を、モラル・ハラスメントの加害者としてのひとつの典型としてとらえることができる。

 前述したように、本書のメインテーマは離婚裁判そのものではない。だが、本書において加奈子が争うことになる離婚裁判は、理不尽な精神的暴力の連続によって歪められた、彼女本来の姿を取り戻すための戦い、という重要な役目をはたすことになる。本書の著者は現役の弁護士ということだが、加奈子の相談を受け、彼女にモラル・ハラスメントのことを教えることになった弁護士は、正式な弁護人としてではなく、あくまでアドバイザーとして、彼女の離婚裁判を彼女自身の問題として向き合わせ、解決させていこうという姿勢を見せる。あるいはこの姿勢こそが、本書のテーマとしてふさわしいものがあるのかもしれない。なぜなら、本書は加奈子と同じようにモラル・ハラスメントに苦しむ人たちに、ただ裁判に勝つというだけではない、本当の意味で自分自身を取り戻し、自身の人生を切り拓いていくための希望をあたえるものであるからだ。

 近年、サヴァン症候群やアスペルガー症候群、あるいはLDやADHD(注意欠陥多働障害)といった新しい言葉が次々と社会的に認知されていく傾向にあるが、本書でとりあげられた「モラル・ハラスメント」という言葉も、こうした新しい言葉のなかに含めることができるだろう。それまで名前すらなく、それゆえに存在しないものとして黙殺されてきたさまざまな疾患や障害に、きちんとした名前が与えられるというのは、そうした事象に苦しめられてきた人たちにとってはひとつの救いである。そして同時に、名前のなかったものに明確な名前を与えることによって、人々はそれに対抗する力を得ることにもなる。言葉を用いて書評を書く私個人としては、モラル・ハラスメントの加害者が被害者を追いつめ、なおかつ被害者の救いにもなる「言葉」というものの力について、あらためて考えさせられる作品でもある。(2007.08.05)

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