【同学社】
『鳩』

パトリック・ズュースキント著/岩淵達治訳 



 たとえば、自分ひとりしかいないはずの部屋のなかで、ゴキブリやクモ、あるいはアリの大群といった生き物と出くわしたときの衝撃というのは、何度経験してもなかなか慣れることのできないものである。もっとも、もし「そんなの慣れっこですよ」などとおっしゃる方がいるとすれば、別の意味で衝撃ではあるが、幽霊や怪奇現象というわけでもない、ある意味では馴染み深いとさえ言えるそれらの小さな生き物たちは、しかしながら出会うときはいつも人の不意をつくがゆえに油断ならないし、一度その姿を見かけてしまったが最後、なんらかの手段で始末してしまわなければ、夜もおちおち眠っていられないという事態にその人を引きずり込む「憎いあんちくしょう」なのである。

 ゴキブリやクモたちにとってみれば、もちろんそんな家の住人たちの思惑など知ったことではないだろう。彼らはただ偶然に、その場所に住み着いただけのことなのだから。だが、私たちはもちろん、彼らとの共同生活を前提として物事を考えているわけではない。自分が唯一、ありのままの自分、誰にも気兼ねなく思いっきり自分自身でいられる閉鎖空間――その安らぎの場に、他ならぬ自分を悩ませる存在がいる、という事実は、たとえば人間とは身勝手な生き物だ、といった理屈でどうこうできない不快感をもたらすものである。

 さて、ここに一羽の鳩がいる。そう、本書のタイトルにもなっている『鳩』、何の変哲もない、どこにでもいる、ただの鳩である。しかしながら、本書に登場するジョナタン・ノエルにとっては、何十年にもわたって築いてきた平穏な生活を根底から揺るがしてしまった、まさに「憎いあんちくしょう」な鳩でもある。

「神様、神様」と彼は祈った。「なぜ私をお見捨てですか? なぜあなたにこんな罰を受けなければならないのでしょう? 天にまします父なる神よ、この鳩から私をお救い下さい、アーメン!」

 ジョナタン・ノエルは五十を過ぎた、なんの変哲もないごくふつうの人間で、長く銀行の警備員として、とくに贅沢もせず、また大きな野望を抱くこともなく真面目に生きてきた。彼の望みはただひとつ、なにかと信用できない人間をそばに寄せつけない、誰にもわずらわされることのない自分だけの場所をもち、ひたすら平穏無事な一生を送ることだけである。まだ若い頃にパリにやってきたジョナタンは、そこであるアパートの屋根裏部屋を見つけ、そしてその部屋は、もうすぐ彼のものとなるはずだった。だが、ある日の朝、彼がいつものようにアパートの共同トイレに行こうとドアを開けたとき、目の前の床にうずくまっている一匹の鳩と出くわすことになる。

 彼はべつに鳩恐怖症というわけではない。鳩のほうも、上述したように特別なところは何もない、ただの鳩だ。いったい、何がジョナタンをここまでおびえさせたのか――たった一羽の鳩と思いがけずはちあわせをしたという、ただそれだけのことによって、それまでずっと安定していた生活のリズムが狂い、心の平衡さえもろくも崩れ去っていく様子を書いた本書であるが、ひとつだけたしかなことがあるとすれば、それは人生における予期せぬ出来事というものを極端に恐れている彼にとって、いつもなら絶対にいるはずのない生き物と、何の心構えもなく出会ってしまうことは、まさに「予期せぬ出来事」と判断されるべき重大事だったということである。

 鳩というと、たとえば教会のうえを飛んでいく白い鳩のような、愛と平和のシンボルとしての意味合いをもっていたり、伝書鳩といった、人の役に立つよう調教された生き物であったりと、けっこういろいろなイメージがあるかと思うが、基本的にはスピネッリの『ひねり屋』に出てくる鳩のように、猟銃で撃たれ、簡単に首をひねられてしまう無力な小動物である。だが、これが著者の手にかかると、たしかになんとも得体の知れない生き物のように見えてくるから不思議である。

 とにかく鳩はぴくりとからだを動かし、それと同時に両方のまぶたがぱたんと目を塞いだ。片目は下から、もう片目は上から塞がった。まぶたと言ってもまともなまぶたではなく、何かゴム製の蓋のようなもので、この蓋が突然何もないところから出現した唇のように目を呑みこんでしまったのだ。

 こうした著者独特の世界のとらえかた――たとえば、台所の真っ白な洗面台にほとばしる放尿の場面や、「牛の血のように赤いタイル」の上に転々とこびりついている「エメラルドグリーン色の糞」の描写など、鮮やかできれいなものと、このうえなく汚いものとを混在させる表現方法は、たしかに『香水』を書いた著者らしいものだ。逆にいえば、とくに大きな事件がおこるわけでもない、ある中年男のごくふつうの一日を描いたにすぎない本書を、その感覚的な描写と主人公の妄想の連鎖によってまったく新しい世界へと変えてしまうだけの筆力を持っているからこそ、本書はひとつの作品として成立していると言えるのである。そして事実、ジョナタンは一羽の鳩と出会ってしまったがために、自分を長年守ってくれたアパートの屋根裏部屋に戻ることもできず、仕事もうまくいかず、いらいらしたり、世の中に絶望したり、世の中の何もかもをぶち壊してやりたいといった衝動に駆られたりするのである。

 ジョナタンにとって、他の人間は信用のならない、自身の人生に大きな波乱をもたらす忌むべき存在でしかなかった。ゆえに彼は、まるでひきこもりのように他人とのかかわりを極力避けるような生き方をつづけ、そしてそのことに満足していた。だが、彼が正しいと信じていた平穏無事な生き方は、けっきょくのところ一匹の鳩によってくつがえされてしまう程度のものでしかなかった、ということになる。そういう意味で本書はこのうえなく不条理な状況を描いた作品だと言うことができる。はたして、あなたはこの短編のなかに、どのようなものを見出すことになるのだろうか。(2004.04.14)

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