【早川書房】
『ダイヤモンド・エイジ』

ニール・スティーヴンスン著/日暮雅通訳 



 小さな子どもと接する機会の多い方、子持ちの親であればとくに分かるかと思うが、子どもはしばしば、同じ絵本を何度もくりかえし読んだり、同じアニメを何度も観たいとせがんだりすることがある。それも、たとえば図書館でいくつかの本を借りてきたにもかかわらず、何が気に入ったのかそのなかの一冊ばかり読むことを大人に要求したりするし、ときには自分で本を持ち出し、飽きもせずにページをめくっていたりする。私も読書好きな大人のひとりではあるが、一度読んでしまった本というのは、その内容がわかっているがゆえに、なかなか再読したりはしないものだ。仮に再読することがあったとしても、そのあいだに長いスパンを置くことで、また別の感じ方ができるかもしれない、という期待があることが前提にある。

 私たち大人にとって、一冊の本に書かれていることは固定であり、その内容が大きく変化することはない。だが、小さな子どもの読書というのは、まったく同じ本を読んでいながら、その度ごとにその子どもの頭のなかでは別の物語が生まれ、進行しているようなところがある。私にもかつてはあったはずの、子どもならではの突拍子もない想像力――たった一本の流れしかない物語を、無限に枝分かれするダイナミックな物語に変換してしまえる力は、今にして思えば子どもの特権に他ならないし、だからこそ一読書家として、その想像力がときにうらやましいと思ってしまう。

「無知な人間と知識豊富な人間との差は、後者は前者よりもものを知っているということだ。だがそれは、バカか賢いかということにはまったく関係ない――(中略)――賢いやつは曖昧な状況にも、矛盾をはらんだ状況にすらも、迷ったりしないものだ。」

 本書『ダイヤモンド・エイジ』は、ナノテクノロジーが人々の生活に普及していて、分子単位に分解された素材から、物質組成機(マター・コンパイラ)を使ってさまざまなものを簡単に作り出すことができるという、なかば魔法のような未来を描いたSFである。きわめて高度な科学技術は、当然のことながらその世界の文明社会や、そこに住む人々のものの考え方を大きく変えるだけのものがあるし、またその変化をセンス・オブ・ワンダーとして読者に体感させるという意味で、本書はまぎれもないSFであることに間違いはないのだが、そうした世界設定をふくめた本書の中心がどこにあるのかと探っていくと、そこには一冊の本が鎮座していることに気づく。

「若き淑女のための絵入り初等読本(プライマー)」と呼ばれるその本の特長は、この書評の冒頭で語った、子どもだからこその変化に富んだ想像力を、ナノテクノロジーによって科学的に実現することが可能になっている、という点に尽きる。「プライマー」の物語は、けっして固定したものではない。読み手自身が物語の主人公となり、読み手の置かれた家庭環境や周囲の人間関係を情報源に、読み手だけの物語を展開しながら読み手を教育していくという、ナノテクノロジーの粋を集めた究極の本である。

 国家という、土地の枠組みを超えて、人種や思想、宗教、趣味や技術といった単位で集団をつくるのがあたり前となっている世界――そのなかのひとつで、世界三大種族のひとつとして繁栄している「新アトランティス」の公爵であるフィンクル=マグロウ卿が、娘の教育のために資金を提供し、ナノテク技術者の第一人者であるハックワースに作らせた「プライマー」は、現在の「新アトランティス」の教育方針について疑問をもっている公爵が、既存のものの考え方にとらわれない、新しい価値観やものの考え方を教え込むための書物だ。その可能性に気づいたハックワースは、元中国の種族「漢」のMCで非合法に「プライマー」を複製することに成功する。自分の娘の教育にも「プライマー」が有効だと判断しての違法行為だったが、どこの種族にも属さない「シート」のストリートキッズたちに襲撃され、奪われた「プライマー」はめぐりめぐって、貧困と虐待の境遇に身を置く少女ネルの手に渡る……。

 読み手の境遇やその成長によって、千変万化に変化していく物語という要素は、それだけで充分に魅力的だ。じっさい、ネルが手にした「プライマー」は、彼女が興味をもったシーンを深く掘り下げることで、それまでなかったエピソードが動的に生み出されたり、主人公に行動を指示することで、その結果が物語に反映されていくというインタラクティヴ性を備えているのだが、じつのところ、このナノテクノロジーの傑作とも言える「プライマー」のインタラクティヴ性については、完全に機械化されたロジックの産物ではなく、その向こうで物語を語り、読み手の質問に対して答えを返す役割をする人間によって実現されている。ナノテクノロジーといえば、SFの世界においてもほぼ「万能」と言い換えることのできるような技術である。そうした技術をもって、なお子どもの教育においては生身の人間――その姿を読み手は見ることができないのだが――の力を借りているのがじつに興味深いところであるし、それこそが本書のテーマと密接にかかわってくることにもなる。

「プライマー」のなかで、主人公のプリンセス・ネルが閉じ込められていたお城から脱出し、十二の鍵を探して旅をはじめるように、現実のネルもまた、自身の置かれた劣悪な環境から抜け出し、それまで知らなかったいくつかの「種族」社会をまのあたりにしていく。その遍歴の過程には、「プライマー」の役者として彼女の境遇をなんとかして改善したいと願うミランダの存在があった。そして「プライマー」の生みの親であるハックワースもまた、敵対する「新アトランティス」と「漢」のあいだにある複雑できな臭い陰謀に巻き込まれるような形で、ひそかな探索を開始する。本書においてネルというキャラクターは重要な存在であり、またその成長を描いたのが本書であるととらえることもできる。だが、この物語の中心にあるのは、あくまで「プライマー」であり、ネルやミランダ、ハックワースといった人物が、それぞれ「プライマー」とのかかわりという要素で独自の物語を展開していくことになるのだが、その流れが最終的にどのような形で収束していくことになるのか、そのダイナミズムもまた本書の大きな読みどころである。

 小さな子どもが本を媒介にして、その想像力を膨らませて展開させる物語には、多くの矛盾や曖昧さをはらんでいる。だが子どもたちは、そうした矛盾とはべつのところで、自身の物語を楽しむことができる。それははたして、ただたんに子どもが無知な存在だからというだけのものだろうか。どれだけ文明が発達し、科学技術が進歩しても、私たちの生きる世界は多くの矛盾を払拭することができずにいる。悪人は常に悪人でいつづけるわけではないし、誰かに対する感情も時と場合によって大きく揺れ動いていく。そう、世界はけっして本のなかの物語のように、固定されたままではないのだ。そういう意味で、きわめてデジタルな技術の産物でありながら、その根幹にまぎれもない人間同士のつながりを求める「プライマー」のはらむ矛盾は、そのまま世界の矛盾に他ならない。奪われた十二の鍵を取り戻す旅を通じて、現実世界のネルが、そしてそれにかかわる人々が、いったい何を考え、どのような行動をとることになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2011.04.14)

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