【早川書房】
『火星夜想曲』

イアン・マクドナルド著/古沢嘉通訳 

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 世界各地で語り継がれているその土地の、あるいはそこに住む民族の神話――とくに、世界を構成するあらゆる要素がどのようにして誕生するにいたったかを語る創世神話は、いくつかのパターンに分類することができるが、そのなかのひとつに、原初の巨人や神が死ぬか、あるいは別の神によって殺され、その死体が分断されて世界が創造される、という形のものがある。

 ここで登場する原初の巨人や神というのは、いっけんすると意思のある生物のように思われるかもしれないが、じっさいには混沌を象徴するものである。まだ世界が誕生したばかりで、どのような役割づけも与えられていない無秩序状態――創世神話は世界をつくる話であるが、それは混沌とした世界から秩序を生み出す作業であり、またあらゆるものに名前を与える作業でもある。そのことによって太陽は太陽となり、大地は大地となり、四大元素は四大元素となり、そして人間は人間としてそこに存在することを許されるようになるのだが、その材料たる「混沌」が、原初の巨人や神といった形をとっていると、そこには純粋な世界の創造というよりも、むしろかつてあった秩序から、別の価値をもつ秩序への再構築、という意味合いがより強くなるように思われるのは、はたして私だけだろうか。

「デソレイション・ロード」豆莢ワインの最後のひとしずくを飲み干しながら、声をかすれさせて彼はいった。「おまえはデソレイション・ロードだ」

 テラフォーミング技術の発達によって、人が住める環境として整えられた未来の火星、はるか地平線の彼方までつづいている広大な赤い砂漠を横断していたアリマンタンド博士は、神出鬼没する「緑の人」に導かれるようにして、砂漠の真ん中にある小さなオアシスにたどり着く。彼はそこで自らの移動手段を失うが、その代わり死にかけていたテラフォーミング用の巨大機械を発見し、その部品をもちいてなんとか人が住めるだけの小さな環境を開発する――本書『火星夜想曲』に描かれているのは、奇しくもアリマンタンド博士が「デソレイション・ロード」と名づけ、その創始者となった火星の小さな街の誕生から消滅にいたるまでの歴史である。歴史、とは言うものの、たかだか半世紀にも満たない期間の歴史であり、また長年における火星開拓計画とはまったく関係なしに、一個人によって勝手に築かれてしまった街であるがゆえに、まさに泡のように発生し、泡のように消えうせてしまった儚い歴史でしかないのだが、にもかかわらず――いや、それだからこそ、というべきなのだろうか――そこに収められた物語の要素は多岐にわたるうえに、SFでありながらどこかファンタジーめいた部分さえあり、まるで万華鏡のように展開していく壮大な叙事詩、どこかとらえどころのない幻想小説を読んでいるかのような魅力に満ちている。それはまさに、邦訳タイトルにある「夜想曲」を思わせるような物語世界である。

 デソレイション・ロードの基礎となった環境工学モジュールは、神話上に登場する原初の巨人や神の肉体とは異なり、火星のテラフォーミングというひとつの「秩序」を与えられた存在だ。だが、アリマンタンド博士は、その「秩序」からあらたな価値観、もうひとつの「秩序」を築く創生神としての役割を与えられることになった。「秩序」から「秩序」を生む、という行為――それぞれの秩序にとって、もう一方は「混沌」に属するべきであるはずの、相反するふたつの「秩序」の存在が、言ってみれば「デソレイション・ロード」という街の本質を支えている。それゆえに、この街の創成期にやってきた人々は、ほぼ例外なく、どこかに向かう途中に理由あってそこに留まらざるをえなくなった者たちばかりであり、街はつねに「楽園の一駅手前の場所」であり、つまり何らかの目的によって定められることがない、という運命を背負っている。

 先祖代々の英知をその身に宿した犯罪帝国の総帥、どんな機械でも思いどおりに操ることができる浮浪者、誰にも見分けがつかない三つ子の兄弟、強烈な美のフラッシュによって男たちをとりこにしてしまう少女――それぞれひとクセもふたクセもある登場人物たちが、まるで磁石に吸い寄せられるかのようにデソレイション・ロードに引き止められ、それぞれが奇妙な因果によって結びついていく。だが、そもそも「デソレイション・ロード(荒涼街道)」という命名じたいが、「デスティネーション・ロード(運命/到着街道)」の言い間違いによって生じたものであり、それゆえに本来あるべき「秩序」と常に反発しつづけるという不安定さ、そもそも存在しないはずだったもうひとつの「秩序」という、ほかならぬデソレイション・ロードの性質のために、彼らにとってそこはけっして永住すべき目的地とはなりえない。ある者は犯罪者となって街を追われ、ある者は借金のカタに売り飛ばされ、ある者は自分の手でつくった庭のなかで忽然と姿を消し、ある者は時間力学の謎を解き明かし、緑の人を追って超越した時間のなかへと旅立っていく。それは、移住者ではない者、デソレイション・ロードを生まれ故郷とする者たちにとっても例外ではない。

 殺人事件の裁判に殺された人間の幽霊が登場したり、15万年も降らなかった雨がひとりの男の歌によってもたらされたり、宇宙史上最高のスヌーカー・プレーヤーとして悪魔と戦ったり、鋼鉄の女神の祝福を受け、予言者として祭り上げられたり――本書の中に収められたエピソードは、それこそ枚挙に暇がないほど多彩な輝きを放っているが、そうしたいっけんするとどこか無秩序めいた、幻想的とも言うべき小さな世界でありながら、物語を全体として眺めてみたときに、まるでイーヴァ・マンデラが織り上げたタペストリーのように、しかるべき因果関係によってそれぞれがつながって、より壮大なエピソードを引き起こすきっかけとなっていることに気づく。アリマンタンド博士の遭難という、たったひとつの因果によって誕生したデソレイション・ロードの歴史が、樹が枝葉をのばすかのように複雑な因果を生み出しながら大きく広がっていき、そして最後にはまたひとつに集約されていく、という見事な構造を成しており、本書を読み終えた読者は、そこにたしかな「秩序」の存在を感じとりながらも、しかしすべてが再び無に帰してしまった今、まるで夢のなかの出来事であるかのような、どこか不安定で儚い思いをその物語に対して抱くことになる。

 混沌から秩序を生み出すというパターンを踏襲する創世神話は、世界と歴史、すなわち空間と時間を定めるための、ひとつの物語である。だが、本書に関して言えば、すでにある秩序のなかから生み出された、「秩序」の鬼子のような存在である。その閉じた世界のなかでは、時間も空間も定められることはなく、すべては壮大な因果関係によってのみ成り立っていく。火星への移住という、SFとしての要素を土台としながら、けっしてSFという枠だけにとらわれることのない世界を描き出すことに成功した本書を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2004.11.29)

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