【ポプラ社】
『削除ボーイズ0326』

方波見大志著 
第一回ポプラ社小説大賞受賞作 



 私はけっして波乱万丈の人生をおくっているわけでもないし、また世の中を大きく変えていくような事業に人生をかけているわけでもない、どちらかといえばどこにでもいる、ごくごく平凡なサラリーマン、一市民としての人生を無難に過ごしている人間のひとりにすぎないのだが、そんな私でも、その長いとは言えないこれまでの人生をふりかえったときに、できることならなかったことにしたい出来事や、もう一度やり直したいと思う過去のある一時期といったものを、しっかりと抱えこんでしまっている自分に気づくことになる。

 起こってしまった過去はけっしてなかったことにすることはできないし、また過去の過ちにいつまでもこだわっていられるほど人生は甘美なものではないのだが、それでもなお、ケン・グリムウッドの『リプレイ』や佐藤正午の『Y』といった、いわゆる人生やり直し系の物語が国を越え、時代を越えて常に物語のテーマのひとつとして絶えることがないというのは、それだけ現実の世の中を生きていくのが大変なんだということの表われでもある。それは逆に言えば、どこの国で、またどの時代に生まれたとしても、生きることの苦労というのはけっきょくのところ変わらない、そういうことなのだろう。

 まだまだ自身の人生を生き切っているとは到底言えない私がこんなことを言うのも変な話だが、人生というのはなかなかうまくできているもので、たとえそのときは死ぬほど悲しい出来事だと思っていても、それでもなお生きて時間が経っていけば、それだけ人生も積み重なっていくものであるし、時間が積み重なっていけば、その分だけ過去の自分と今の自分を比較するだけの距離を置くこともできる。仮に、本当に人生をやり直したり、過去のある事実をなかったことにできたとしても、そのことによって今の自分が永遠に失われることになるとしたら、あるいはそのことを躊躇するかもしれない、という気持ち――ようするに、それが人生を積み重ねていくこと、大人になるということなのだ。

 本書『削除ボーイズ0326』は、「グッチ」こと川口直都が「KMD」と名づけた、削除装置という不思議な機械をめぐる物語である。いっけんするとただのデジタルカメラのようなその機械は、小学六年の川口直都が夏休みのフリーマーケットに出かけたときに偶然手に入れたものなのだが、ついているタイマーで過去の時間をセットし、ファインダーで被写体をとらえてDELETEボタンを押すと、その被写体の、セットした時間を起点とする五分間を削除することができる、というもの。いかにも胡散臭そうなその削除装置であるが、ためしに使ってみると、たしかにそのとおりになるではないか。

 まるで某ネコ型ロボットが四次元ポケットから出してくる「秘密道具」のような機械が、現実のものとして登場し、その機械を中心にして騒動を巻き起こしていく――それだけであれば、たんなる現代を舞台としたライトファンタジーにすぎない本書であるが、じつはこの物語のもっとも大きな特長は、ある意味主役とも言うべき削除装置に課せられた、あるふたつの物語的機能が、じつにうまく物語を動かしているという点にこそあり、だからこそ読者は、本書の世界にすんなりと入り込むことができるのだ。

 そのひとつは、削除装置のもともとの機能のうちにある。削除する時間の幅は五分(後に三分二十六秒と少なくなる)とごく短いが、削除したい過去の起点は自由に設定できるという機能――それこそ、その気になればいくらでも時間を遡って、その対象から一定の時間だけをなかったことにできるというこの機能は、たとえば過去を大きく改変するといった極端なことを登場人物たちにさせないための、ある種の縛りであることは間違いないが、それだけでなく、削除する時間をそもそもの物語のはじまり以前へと向けないための縛りとしても機能している。普通の人間は、遠い過去において何が起こったのかを、分刻みに覚えていられるものではないが、もし削除装置が手に入り、しかもそれが本物であると確信したとすれば、きっとその後起こるあらゆる出来事について、まずその時刻を確認するようになる、という変化は、いかにも説得力のあるものとなってくる。

 たとえば、物語がはじまった時点で、グッチの友人である「ハル」こと篠原春は、一年前のある事故がもとで、残りの人生を車椅子で過ごさなければならなくなっている。グッチの父親は突然家から失踪してしまい、兄の圭はひきこもりになっている。そしてグッチも圭も、ハルの事故に何らかのかかわりをもっていることが、物語を読み進めていくことで徐々に見えてくる。それらの要素は、グッチにとってけっして良い要素とは言えないものであるが、だからといってそれらの原因となる過去を消してしまおうとするには、削除装置の機能はあまりにもピンポイントすぎるのだ。しかし、削除装置を手に入れ、それを使うことを前提に今後行動していくと考えれば、この削除装置はいろいろな意味で物語を面白くしていく要素となっていく。たとえば担任教師の頭を殴り、その後その殴ったという過去を消す、といったように。

 そしてもうひとつの物語的機能とは、グッチが削除装置を床に落としてしまったことによって、不可抗力的に課せられたもので、これはある種の故障に該当するものであり、削除装置の本来の機能ではない部分から来るものである。それは人の記憶にかんするもので、本来であれば時間が削除されると、被写体は削除された過去をまったく記憶していないはずなのだが、落としたことによってその部分が機能不全を起こすようになった、というものだ。つまり、過去を消しても記憶はその分だけ積み重なっていくという事態が生じるようになり、その機能不全は少しずつ削除装置の使用者の負担を大きくしていくことにつながっていく。

 たとえば、大切な人が死んでしまったとして、その死を回避させたいたと考えたとする。削除装置は生き物しか被写体として認識しないため、削除する時間は当人以外の人間の時間となるが、それは間接的な手段であり、けっして確実な方法とは言えない。そして、もし時間を削除しても死を回避できないとき、その記憶は純粋に倍に膨らむことになる。当然、悲しみも倍というわけだ。

 物事の因果関係はけっして単純なものではなく、ひとりひとりの人生や、その集合体である歴史というものは、そうした複雑な因果関係の総決算というべきものでもある。その因果関係の一部を削除すれば、当然そこにかかわるありとあらゆる事象が変化を余儀なくされる。そしてその結果がどう影響していくのかは、やってみなければわからない。そうした事実を、削除装置の限定された機能もふまえて、けっして説明的になることなく物語のなかで消化していくその構造の妙、それも、語り手が小学六年生であるにもかかわらず、そうした複雑な事情をすんなりと読者に伝えていくことができる高い文章力が、本書にはたしかにある。

 本書のプロローグにも書かれているように、世の中のどんな事件も、そのきっかけとなったのはほんの数秒の出来事なのかもしれない。そしてそのきっかけさえ削除することができれば、世界はもう少し平和になるのかもしれない。だが、その「きっかけ」がどの時点に該当するのかを知るのは難しいし、仮にそれがわかったとして、削除したあとの世界が以前よりもましになっているかどうかなど、いったい誰が保証できるだろうか。思わぬきっかけで時間に関与する力を得た子どもたちが、物語の最後でどのような行動をとることになるのか、その因果関係をぜひ楽しんでもらいたい。(2006.11.22)

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