【新潮社】
『デッド・ゾーン』

スティーヴン・キング著/吉野美恵子訳 

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 第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の歴史における重大事件は何と問われれば、私はケネディ大統領の暗殺と、ベトナム戦争における歴史的「敗北宣言」だと答えるだろう。というのも、アメリカ現代小説についてけっして多くを読みこなしていないこの私でさえ、このふたつの歴史的事件がアメリカ国民に与えた影響の大きさを感じざるを得ないほど、手にする本ごとにそれらの事件の残したものが、明に暗に刻まれているのがわかるからである。

 ところで、ケン・グリムウッドの『リプレイ』という小説では、それまでの人生の記憶を保ったまま過去に跳ばされてしまった主人公が、自分がケネディ大統領の暗殺を食い止めることができる立場にあるのを知り、歴史を変えることを真剣に考えるシーンがあるが、すでに確定されてしまった事実に対して「if」と問うことの無意味さは置いておくとして、もしそれが可能な立場にあったとき、はたして人がどのような行動をとるのか、という命題は、とくに自分の力で未来を切り開く、という開拓者精神の持ち主であるアメリカ人にとっては、けっして無関心ではいられないものではないだろうか。

 本書『デッド・ゾーン』はそういう意味で、まさに「アメリカ人気質」を象徴するような作品だと言えなくもない。ここで言う「アメリカ人気質」とは、正義は必ず勝ち、悪は必ず暴かれ、正されるという勧善懲悪を好む心であり、きっと未来は明るいに違いないという楽観主義のことにほかならないが、それはあくまで本書のストーリーを客観的にとらえたときの結果でしかなく、じっさいに物語を追っているときにはそうした明るい要素とは程遠い重々しさ、運命の皮肉、そして登場人物たちの――とくに主人公ジョン・スミスの苦悩といったものが色濃く反映されていることを知るだろう。その土台に典型的な「アメリカ人気質」を置きながら、しかしまぎれもない人間の姿をひとつの物語のなかにとり入れてしまう才能、それこそ著者スティーヴン・キングの大きな強みなのだ。

 そしてこうした要素にも増して、著者がまぎれもないストーリーテラーであることを明記しなくてはなるまい。とくに冒頭のプロローグにおいて、幼年期のジョンの身に起こったちょっとした事故――それは後に、ジョンの驚くべき千里眼、予知能力への引き金になるのだが――と、それに呼応するかのように書かれている、ある訪問販売員の残酷で狡猾な一面は、どうしたって読者の興味を惹かずにはいられない。このふたりの人生に、予知能力という要素が加わったとき、この書評の冒頭で述べた、本来ならありえない「if」の問題が、現実問題として突きつけられることになる。そして、その思いは必然的に、本書を読み終えた読者の頭にも迫っている「if」なのだ。もしジョンが4年半の昏睡状態から回復しなかったとしたら、もしジョンが交通事故にあわなかったら、いや、そもそももしジョンが一九五三年の冬に氷上でひどく転倒しなかったら、グレグ・スティルソンはどうなっていたのだろうか、そして世界の運命はどんなふうに代わっていたのだろうか、と。

『キャリー』にしろ、『ファイアスターター』にしろ、あるいは『グリーン・マイル』にしろ、超能力と悲劇というスタイルは、著者のもっとも得意とするテーマと言えるだろう。手を触れただけで、触れたものに関して、何か五感以上のもの――それはあるときは過去であり、あるときは未来であるのだが――を見てしまう能力は、人にはけっしてわからない運命を垣間見てしまう、言わば神の能力である。人知を超えた力を、まぎれもない人間が持ってしまうこと――神ではない意志が神の力の一部を持ってしまうことの悲劇を描くことは、しかしときによると、人間というものを表現するための安易な手段となりかねない、という危険性を常にはらんでいる。SFやファンタジーが文学たりえないのは、まさにこうした「お手軽さ」によるところが大きいのだが、本書に関して注目しなければならないのは、本書がたんに、予知能力を持ってしまった男の数奇な運命や悲劇を描いているだけではなく、予知能力はあくまで予知能力であって、けっして確定してしまった事実ではない、ということであり、そこに入りこむ余地があるのは超能力などではなく、人間の力なのだ、ということをちゃんと示していることである。

 そのもっとも良い例が、物語の前半に「キャシーズ」というレストランに避雷針のセールスにやってきた販売員の、いっけん本筋とは関係なさそうなモノローグが、物語の後半、ジョンが「キャシーズ」の落雷による火事を予知するところにつながってくる、という、なんとも心憎い演出である。けっきょく予知能力は当たり、多くの人たちは救われたものの、それでも多くの被害者を出してしまう惨事となるのだが、もし避雷針を買っておけばこの悲劇は避けられたはずのものであり、また避雷針がなくとも、息子のためにジョンを家庭教師に雇っていたロジャーが言うように、たしかに「何か打つ手はあった」はずなのだ。そしてさらに言うなら、知ってしまった以上、人間というのは何かせずにはいられない生き物であり、そうしなければそのために「たっぷり代償を支払う」ことになってしまうのだ。

 そう考えると、あまりに多くのことを知ってしまうこと自体が、ひとつの悲劇なのだと言うことができるだろう。なぜ知ってしまったのだろう、知らなければ以前と同じように生きていくことができるのに、しかし知ってしまった以上、それを放っておくことはできない――そういう人間像を描く本書は、だからこそ「アメリカ人気質」な作品なのである。たとえ、その結果がどのようなものであったとしても、だ。

 本書のタイトル『デッド・ゾーン』とは、脳の一部が破壊されてしまったために失われた断片的な記憶をことであるが、予知能力とは、まさに人生の「デッド・ゾーン」を覗きこむ行為でもあり、そのことを意識したうえでのネーミングなのだろう。はたしてジョンが自分の運命にどのような決着をつけるのか――ぜひ本書を読んで確かめてもらいたい。(2001.08.22)

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