【新潮社】
『屍鬼』

小野不由美著 

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 鬼ごっこ、という遊びをご存知だろうか。私は小さい頃、よく大勢の友達と鬼ごっこをして遊んだ経験がある。誰かひとり鬼を決めて、鬼につかまらないように逃げ回る、鬼は誰かをつかまえれば鬼から解放され、つかまった者が代わりの鬼となる、というごく単純なルールなのだが、この方式だと、鬼の身体能力によってはいつまで経っても鬼のままで面白くない場合が往々にしてあるため、私の地方ではしばしば「変則ルール」というのをとり入れることがあった。つまり、一度鬼になった者は、ゲームが終わるまでずっと鬼のまま、というルールだ。こうすると、時間が経つにつれて鬼の数は増え、逆にそうでない者は減りつづけ、最後には全員が鬼となってしまう。もちろん、全員が鬼になればゲームは終了だ。

 私が本書『屍鬼』を読み終えてまずイメージしたのは、外場という村を舞台にした壮大な鬼ごっこ、というものだった。だが、物語のなかでは当然のことながら、たんなるゲームで終わるわけではない。本書は、人間と鬼――「屍鬼」と呼ばれる吸血鬼との、それぞれの存続をかけて、どちらかが全滅するまで続けられる攻防の物語であり、それ以上に、人間という生き物の本質、その存在意義を問いかける物語でもあるのだ。

 人口千三百人あまり、溝辺町の北西に位置し、山と樅の森によって周囲から隔絶されている集落――外場。もともとは樅の木から卒塔婆や棺を作ることで成り立っていたこの村で、住民が次々と死んでいく。ついニ、三日前まで元気だった者が貧血状態に陥り、はっきりとした自覚症状もないまま衰弱して、最後には多臓器不全で死亡する。最初はたんなる病死と判断していた村の医者も、まだ十代の娘や、働き盛りの男性が同じような症状をおこして死んでいくのをまのあたりにするにつれ、何か異常な事態が村でおこっているのではないかと疑いはじめる。
 伝染病――だが、それらしい症状はまったく発見されず、しかも患者は自覚症状もないうえに、数日のうちに死に追いやられてしまうため、何が有効なのかを調査する余裕もない。確実に増えつづける死者、それと比例するかのように増加する不可解な転居者、外に働きに出る者が、死ぬ前に例外なく辞職しているという出来すぎた偶然、破壊された道祖神、そして、その一連の騒動がはじまる以前に、村のはずれに建てられたいかめしい洋館と、夜にしか姿を見せないその住人たち――村のごく一部の人たちは、これがただの伝染病ではなく、「屍鬼」という異形のものの仕業ではないかと疑い始め、彼らに対抗しようと動きはじめるが……。

 吸血鬼、ゾンビ、生きる屍――このような人ならざるものの存在を描いた物語は、古今東西に枚挙に暇のないほど存在する。だが、これらの作品が異形をあくまで異形のものとして区別しているのに対し、本書では「屍鬼」と呼ばれる吸血鬼と人間の存在を、可能な限り同列に取り扱おうとしていると言える。著者はまず、原稿用紙にして何千枚という膨大な量と時間を費やして、ひとつの村の存在と過去の歴史、そこに住む数多くの人たちの人格や生活習慣などをリアルに創造することに成功した。そして、そのようにして生み出した村の住民たちに惜しげもなく「死」というイベントを与え、次々と墓に埋葬していく。埋葬された死体のいくつかは「屍鬼」として「起き上がり」、生きるため、飢えをしのぐために食料としての生者を襲う――物語が進むにつれて、最初は人間たちの描写が100パーセントだったのが、徐々に「屍鬼」たちの描写が増えて、人間たちの描写を蹂躙していく様子がわかってくると思う。しかも、「屍鬼」たちの描写は、人間たちのそれとほとんど変わりがない。「屍鬼」たちには生前の記憶がちゃんと残っており、人間と同じように話をしたり、考えたり、怒ったり悲しんだり悩んだりするのである。そしてそこに、さまざまなドラマが展開することになる。だが、それは物語も終盤に入った頃、人間たちが否応なく「屍鬼」の存在を現実のものとして受け入れざるを得なくなり、同時にすべてが手遅れになるかもしれないぎりぎりの時点でのことである。逆に言えば、自分たちの常識に縛られて生きている人間たちに、「屍鬼」という非現実の存在を受け入れさせるために、物語の大半が費やされている、と言うこともできる。

 人の生き血をすすって生きる「屍鬼」、村の住民を次々と自分たちの手足としてとり込み、周到な計画を立てて人間たちを滅ぼそうとしている、人間の敵――しかし、人間が「屍鬼」の存在を認め、彼らを狩るために行動を開始したとき、人間と「屍鬼」――被害者と加害者、正義と悪という構図は、あっけないほど簡単に反転してしまう。人間でないものに対して、理性を失った人間たちのおこなう行為がどれだけ残虐なものであるか、中世の魔女狩りの例を挙げるまでもなく、本書によっても読者は思い知らされることになるだろう。

 人間を嬉々として襲う屍鬼、良心に苦しみながらも襲わざるを得ない屍鬼、あくまで人間を襲うことを拒否する屍鬼、人間のなかにもいろいろな人がいるのと同じように、屍鬼のなかにもいろいろな屍鬼が存在する。あたりまえだ、もともとは人間だったのだから。だが、そうすると、人間と屍鬼とはどう違うのだろう。同じように醜悪で、同じように残忍で、同じように感情を有する人間と屍鬼との間に、どのようなへだたりがあるというのだろう。

 屍鬼も人も似たようなものなのだけれど、ひとつだけ違うところがある。屍鬼は自らの残虐性に自覚的で、人は無自覚だというところだ……

「変則ルール」での鬼ごっこは、全員が鬼になった時点でゲームは終了する。だが、もしそれでもゲームが終わらないとするなら、鬼たちはどうするのだろうか。人間がいなければ生きていけない「屍鬼」の存在は、私たち人間にとって、脅威である以上の何かを訴えるために生み出された存在なのかもしれない。自分たちが世界の中心であり、自分たちの言動が善であり、人間以外のすべての生物にその善を押しつけて生きている私たちに対しての。(2000.02.10)

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